第六十六話 仲間が抱えるもの
地下室の空気は、少しずつ落ち着きを取り戻していった。
フリールはまだエルに抱きついたまま、時々しゃくりあげている。
「……ねぇ、君はこれからどうしたい?」
ヴァンハウンドの方をまっすぐ見る。
「僕は、君の気持ちを尊重したいと思う」
ヴァンハウンドは少しだけ目を細めた。
それから、フリールの頭に鼻先をそっと寄せる。
「正直……」
静かで、落ち着いた声で言う。
「フリールと一緒にいたいとは思うわ」
「何かと、心配な子だからね」
「やっぱり心配だった?」
フリールが、聞き返す。
「そりゃね」
エルが、やわらかく言う。
「無茶しすぎなんだもの」
「怪我しないで帰ってきた時は、嬉しかったものよ」
フリールが、片手で顔を覆う。
「ごめんね、ほんとに」
「でも」
ヴァンハウンドは、目を細めたまま続けた。
「わたしのためだったんだものね」
「怪我させて、ごめんね」
「ううん」
フリールは首を横に振る。
「全部、あたいが決めたことだからさ」
鼻をすすって、それでも笑ってみせた。
「決めたことには全力ってね」
「後悔……したくないからさ」
「知ってるわ」
ヴァンハウンドの声が優しくなる。
「フリールの、そういうところ」
「かっこいいって思ってた」
「えへへ……」
フリールが、ちょっと照れくさそうに頭をかいた。
「まだこうやって話せてることが信じられないや」
「夢みたいでさ」
その勢いのまま、僕の方を振り返る。
「フライ!」
目元を真っ赤にしながら、でも全力で笑っていた。
「ほんとーーーーーに、ありがとっ!!」
「わたしからも」
ヴァンハウンドも、静かに続ける。
「本当にありがとう、フライ」
「そんな……僕は、何もしてないよ」
僕は、少し俯いた。
「そういう時はな」
横からハルが、微笑みながら言った。
「感謝は素直に受け取るもんだぞ」
「……そっか」
僕は少し照れながら頷く。
「そうだね、うん」
⸻
少し空気が落ち着いたところで、ハルが真面目な顔に戻った。
「……まあ、落ち着いたところでだ」
腕を組みながら僕を見る。
「俺たちには時間がねぇんだ」
「そうだね」
僕も頷いた。
「あと五日、ないくらいだ」
「フリールたちに、色々言わないといけないことがある」
「うん」
フリールも、今度はしっかりした顔で頷いた。
「大丈夫」
「今度は、あたいが聞く番だよね」
「あ、その前にさ」
僕は、ふと思い出して聞いた。
「その子の名前って、あるの?」
「にしし」
フリールが、ちょっと得意げに笑う。
「ずっと呼んでる名前は、あるんよ!」
「名前は⸻」
「エル、だったわよね」
エルが、先に言った。
「あー!」
フリールが身を乗り出す。
「言われたー! あたいが言いたかったー!」
地下室に、少しだけ明るい空気が戻る。
「うふふ」
エルが笑った。
「気に入ってるわよ、この名前」
「フライ、わたしのことはエルって呼んで」
「わかったよ、エル」
僕は、素直にその名を呼ぶ。
「よろしくね!」
「よろしくね、フライ、ハル」
「おう、よろしくな」
ハルも頷いた。
「それと」
僕はエルに向き直る。
「多分、僕と繋がってる以上、離れていても魔力は大丈夫だと思う」
「器の魔力は、自由に使っていいからね」
「あなたって、不思議ね」
エルが、少し感心したように言った。
「色々聞きたいことはあるけれど……お礼が先ね」
「ありがとう、使わせてもらうわ」
「あと」
僕は少し苦笑いした。
「多分、牧場仲間とも僕を通して繋がっちゃうけど、大丈夫かな?」
(私の名前はネール、空の――)
いつものように堂々とした声が響いた瞬間、僕は慌てて割り込んだ。
(それやってたら時間が足りないから!)
(ネールさん、自重してください! また後で時間取りますから!)
(……承知)
ちょっと不満そうな返事が返ってくる。
(うふふ)
エルが楽しそうに笑った。
(賑やかそうで、たのしいわね)
(ムーも、はじめましての時そう思ったのん)
ムーが、ぷるぷる揺れた。
⸻
「じゃあ」
僕は深呼吸を一つして、フリールとエルを見た。
「色々あるけど、一気に話すね」
「分からないことがあったら、後で聞いてほしい」
「その前に、ハル」
僕は一度、確認するようにハルを見る。
「フリールには、包み隠さず全部言う」
「いいかな?」
「フリールになら、大丈夫だと思う」
ハルは迷わず答えた。
「自分のことを覚悟した上で打ち明けてくれた相手に、嘘はつきたくねぇよ」
「……そうだね」
僕も頷く。
「僕も、そう思うよ」
それからフリールを見る。
「フリールも、聞いてくれるかな?」
「結構、重い話になるし」
「もし、聞きたくなかったら……」
「うるへぇ」
フリールが、ぴしゃりと言った。
「話しやがれってんだ」
「恩人の話を聞きたくない人間なんて、いないっしょ」
「……ありがとう」
僕は、そう言って話し始めた。
アルミ村のこと。
リュミエールと契約したこと。
器のこと。
テイムの力のこと。
ハルが、ホップという名前で、本当は王族と剣聖の血筋だということ。
ガルディアに迫る危機。
サラームの闇。
僕たちが今、何と戦おうとしているのか。
途中、ハルも補足しながら、僕たちは包み隠さず全部を打ち明けた。
フリールは、途中で何度か目を丸くしたり、口を開きかけたりしたけれど、最後まで口を挟まずに聞いていた。
エルも、じっと僕たちを見つめている。
そして全部を話し終えた時。
地下室に、しばらく沈黙が続いた。
「……頭が爆発する」
最初に口を開いたのは、フリールだった。
真顔でそう言うものだから、思わず力が抜けそうになる。
「今の、全部……本当の話なの……?」
エルが、静かに聞く。
「いや、ほんとうなのよね」
「……信じられないのも分かるよ」
僕は、少し苦笑する。
「僕も、こんな話信じられないと思う」
「いや」
フリールが首を横に振った。
「信じるよ」
「二人は、嘘はつかない」
「フリール」
エルが、静かに問いかける。
「あなた、これを聞いてどうしたい?」
フリールは少し俯いて、しばらく黙った。
それから顔を上げる。
「……あたいは」
「二人の力になれるなら、なりたい」
ぎゅっと拳を握る。
「でも、王族とか、リュミエールとか、サラームとか」
「規模がでっかすぎて、力になれるかすらわかんない」
「でもっ!」
真っ直ぐ、僕たちを見た。
「仲間が困ってるのだけは、ほっとけねぇ!」
「フリール……」
エルが、少しだけ目を細める。
「あなた……」
それから、くすっと笑った。
「うふふ」
「でも、フリールらしいわ」
そして、今度は僕たちを見る。
「フライ、ハル」
「わたしたちも、あなたたちに恩返しがしたい」
僕は、慎重に言った。
「危ないことになるかもしれない」
「サラームは、とんでもなく残虐な国だし」
「俺は……」
ハルも、少し言いにくそうに続ける。
「俺の事情で、あんまり巻き込みたくはねぇけどよ」
「でも、俺も気持ち分かっちまうよ」
「同じ状況だったら、助けにならせてくれって言う」
「絶対」
「……そうだよね」
僕は、小さく息を吐いた。
「危険は承知だ!」
フリールが、力強く言う。
「でも、あたいも戦える!」
「力になれることがあるなら……譲らないよ!」
「この子はね」
エルが、少し呆れたように、でも優しく言った。
「こうと決めたら、多分世界一頑固よ」
「でも、孤児院はどうするの?」
僕が聞くと、フリールはあっさり答えた。
「ああ、実家をちょっと留守にするくらいだから、大丈夫だ!」
「永遠にお別れってわけじゃあないし」
「じゃあ」
「改めてよろしく、フリール、エル」
僕は笑って言う。
「よろしくなっ!」
「うふふ、よろしくね」
フリールとエルが柔らかく微笑んだ。
⸻
「あと、五日しかない」
僕は、気持ちを切り替えるように言った。
「ガルディアに、まず戻ろう」
「ああ」
ハルが頷く。
「四日ほどで着くか」
「ギリギリやな」
フリールが腕を組む。
「キャラバン、手配済み?」
「うん、大丈夫だよ」
僕は答えた。
「チェスさん、どこにいるっけ」
ハルが思い出すように言う。
「来た時の広場かな?」
「ここからまた出発って言ってたから」
「多分、もう来てるかもね」
「よっしゃ!」
フリールが拳を上げる。
「じゃあ、いくかぁ!」
「ちょっと待って」
エルが、そこで口を挟んだ。
「わたしは、さすがに……街に出るとまずいかなって」
「あ」
僕は、はっとする。
「確かに、そうだね」
「ここにいてもらっても大丈夫なんだけど」
僕は、エルに向かって言った。
「もしよかったら、僕の村の牧場に来ない?」
「無理にとは言わないから」
「行きたいって思ったらで大丈夫だから」
「うふふ」
エルが、小さく笑った。
「一人でこんな地下に閉じ込められてるのは、もうごめんだわ」
「ですよねぇ、すんまへん」
フリールがしゅんとする。
「いや、冗談よ、フリール」
エルがすぐにフォローする。
「落ち込まないで」
「というより」
少し楽しそうに言葉を続ける。
「わたしも、よかったら仲間に混ぜてほしいわ」
(もちろん、なのん!)
ムーが元気に言う。
(エルも、フライと繋がった牧場仲間なのん!)
(新しい仲間はいいものだ)
パディットも、落ち着いた声で続いた。
「みんな歓迎ムードだよ」
僕がそう伝えると、エルは安心したように目を細めた。
「よかった」
「で、そのテイムバンクっていうので行くのね」
「うん」
僕は頷く。
「じゃあ、送るね」
杖の先に魔力を流す。
「〈〈テイムバンク〉〉」
白い魔法陣が地下室の床に広がる。
光がエルを包み込んでいく。
「エル」
フリールが、少し寂しそうに呼ぶ。
「何かあったら、フライに知らせてね」
「うふふ、了解よ」
エルは、やわらかく答えた。
そのまま、光の中へと姿を消していく。
⸻
その直後だった。
(フライ……)
ネールの声が、急に張り詰めたものになる。
(多分、あれだ)
(明らかに輸送とは違う、戦闘用の船がサラームを出た)
「……!」
僕の背筋が、ぞくりとした。
(本当に!?)
(人数は多くない)
ネールが答える。
(だが、乗り込んで行った中に、モンスターみたいなのもいた)
(もう少し、空から見張る)
(わかりました)
僕は、器の中で返事をする。
(ネールさんも、無茶しすぎないように)
(承知)
そこで意識を戻す。
「サラームの船が出たらしい」
僕が言うと、地下室の空気が、一気に現実へ引き戻された。
「……いよいよ、来るか」
ハルの目が変わる。
「じゃあ急がないとね」
フリールも、さっきまでの余韻を押し込めるように真剣な顔になる。
僕は、頷いた。
「行こう」
僕が言うと、二人も力強く頷いた。
⸻
僕たちは、ドーナの街外れから中央へ向けて歩き出した。
時刻は、昼を少し過ぎたころだった。
ドーナの中央広場まで戻ってくると、行き交う人々の向こうに見覚えのある荷馬車の列が見えた。
木箱を積み上げた荷台。
荷の確認をしている行商人たち。
「あれ、チェスさんたちのキャラバンだ」
「お?」
ハルも目を細める。
「ほんとだ、チェスさんじゃねぇか?」
僕は小さく笑った。
「行こっか」
広場の隅まで近づいていくと、行きに積んでいた荷物はほとんど下ろされていて、荷台には今度は新しく持ち帰る荷物が積まれていた。
麻袋、樽、木箱。
きっちりと縄で固定されていて、もういつでも出発できそうだった。
「チェスさん!」
僕が声をかけると、荷台の横で縄を締めていたチェスさんが振り向いた。
「おー!」
チェスさんの豪快な笑み。
「二人とも戻ったか」
肩を回しながら、こちらへ歩いてきた。
「ちょうどいいタイミングだな」
「荷積みも終わったし、いつでも出られるぞ」
そう言ってから、ふと僕たちの横に立つフリールに目を向ける。
「って、ん?」
「そっちの嬢ちゃんは?」
「チェスさん、ちわっす!」
ハルが軽く手を上げる。
「この子はフリールって言うんだ」
「一緒にガルディアまで行くことになったんですが」
僕も続けた。
「乗せて行ってもらって、大丈夫ですか?」
「よろしくおねがいしやす!」
フリールが、ぺこっと頭を下げる。
「あたいはフリールってんだ」
「おーおー」
チェスさんは、にかっと笑った。
「元気でいいなぁ」
「こっちは問題ねぇよ」
そして、僕たち三人を見比べる。
「お前ら、ちょっと狭くなるけどな」
「大丈夫だよな?」
「はい」
僕はすぐに頷いた。
「オッケーだ」
ハルも親指を立てる。
「よしっ」
チェスさんが満足そうに手を叩く。
「じゃあ早速、乗っててくれ」
「他の馬車にも、もう出るって言ってくるからよ」
そう言って、広場の反対側に停まっている別の荷馬車へ足早に向かっていった。
⸻
その背中を見送りながら、僕たちが荷台へ向かおうとした時だった。
(ねぇ、フライ!)
器の中で、パンの声が響いた。
(治療所のみんなにクロープを診てもらってたんだけど)
(エルがすごいぞ)
続けて、パディットの声が響く。
(どうしたの?)
僕は器の中で問い返す。
(何があったの)
(うふふ、こうやってみんなで話すのね)
今度は、エルの落ち着いた声が聞こえた。
(回復魔法をエルが使ってさ)
パンが、少し興奮したように続ける。
(クロープの火傷が、治っちゃった)
(クロープは眠ったままだが)
パディットが補足する。
(呼吸は安定してる、大丈夫だ)
(よかった……心配してたんだ)
僕は心の底から安心した。
(わたしは本来、魔力が少なくって)
エルが、少しだけ照れくさそうに言う。
(ただ、回復の魔法は得意なの)
(フリールが傷だらけになって帰って来た時も、ずっと回復していたわよ)
(ただあの子、『治りが早い方なんだ、あたい』とか言ってたけど)
(じゃあフリールは……)
(知らないわね)
エルが、くすっと笑う。
(なけなしの魔力で回復してあげてたけど、限界があったの)
(でも、フライと繋がって器から魔力を引っ張れるようになったから)
(いい回復魔法が使えるわ)
(……じゃあ、もしかして)
僕は、嫌な予感と呆れが混ざったような気持ちになる。
(いつも魔力切れでぐったりだったのは……)
(うふふ)
エルは、答えそのものみたいに笑った。
⸻
僕は意識を現実に戻して、目の前のフリールを見た。
「あのー、フリールさん?」
フリールがきょとんとする。
「何ニャ?」
「フリールさんは」
僕は、少し真顔で聞いた。
「傷が治るのは、早いほうですか?」
「おっ!? よく知ってんね!」
フリールが目を輝かせる。
「あたいは、一晩ありゃ傷なんて塞がっちまうのよぉ」
「んなわけあるかー!」
思わず大声でツッコんでしまった。
「ほえ?」
フリールが、ぱちくりと瞬きをする。
「傷が治るのが早いんじゃなくって」
僕は指を突きつけるように言った。
「エルが回復魔法かけてくれてたんだよ!」
「……は?」
フリールの動きが止まる。
「お前……」
ハルも半眼になる。
「それまさか、気がついてなかったのか」
「それ、マ?」
フリールが、急に青ざめた。
「エルは魔法使えないんじゃ……」
「使えます」
僕ははっきりと言った。
「でも魔力が少ないのは本当らしくて」
「もう大分弱ってたのも事実で」
「その、なけなしの魔力でフリールを癒してたって、今、本人が言ってます」
「うそー!」
フリールが頭を抱える。
「じゃあ、あたい、特殊体質でもなんでもなかったんだ!?」
「普通気がつくだろ!」
ハルが即座にツッコんだ。
「なんでそれで『自分はすごい』になるんだよ!?」
「だって、寝たら次の日に治ってるんだもん!」
「エルぅ……ごめんねぇ、そしてありがとねぇ」
フリールが、天を仰ぐように言う。
(フライ)
エルが、やさしく声をかける。
(あんまりフリールを責めないでね、あの子悪気はないから)
(わかった、とりあえずフリールに事実を教えておくよ)
僕は小さく返した。
(それと、エル)
(クロープを助けてくれてありがとう)
僕がそう伝えると、エルは静かに答えた。
(うふふ)
(仲間のピンチは見過ごせないって、フリールも言ってたでしょ)
僕は改めてフリールを見た。
「エルは気にしてないってさ」
「やりたくてやったことだって言ってたよ」
「次会ったら、ちゃんと話しますゆえ……」
フリールが、しょんぼりしながら言う。
その様子があまりにもフリールらしくて、僕もハルも少し笑ってしまった。
⸻
「おーい! そろそろ出るぞー!」
その時、広場の向こうからチェスさんの声が飛んできた。
「大丈夫かー!」
ハルが、大きく手を振り返す。
「もういつでも出てくれていいよー!」
「よし!」
チェスさんが、勢いよく手を上げる。
「じゃあ行くぞ!」
そうして、キャラバンの荷台に乗り込むと、一行はゆっくりと動き出した。
木箱を積んだ荷馬車の車輪が、石畳を軋ませる。
馬の蹄が、広場を抜けて街道へと向かっていく。
ドーナの街並みが、少しずつ遠ざかっていく。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
次話も読んでいただけると嬉しいです。




