第六十三話 ドーナのダンジョン 中編
ひと眠りして、体力と魔力を少し回復させてから。
僕たちは、またダンジョンの奥へと歩き出した。
さっきまで休んでいた窪みから一歩出ると、また魔力の流れを感じる。
緑に覆われた一本道は、相変わらず続いていた。
「モンスターさっきから出てこんね」
前を歩くフリールが、杖を肩に乗せながら言う。
「減ったっぽいか?」
「いや、油断できねぇぞ」
ハルが剣の柄に手を置いたまま、周囲に視線を走らせる。
「いきなりくるやつもいるからな」
「その通りだよ」
僕は探知の感覚を広げつつ、前後の気配を探る。
「ダンジョンは、何が起きても不思議じゃないからね」
(ねぇフライ)
パンが緊張した声で言う。
(南の森と一緒なら、この先って)
(……迷路かもね)
器の中で小さく返す。
(まだはっきりとは分からないけど)
(さっきから、少しずつ奥に呼ばれてるような気配を感じるようになってきた)
(モンスターが減ってきたら迷路──)
パディットの声が続く。
(前と一緒だな)
(そうなったらさ)
パンが不安そうに言う。
(パディットの鼻無しで帰るの、厳しくないかな)
(……確かにね)
僕は一瞬だけ、フリールの背中を見る。
(でもフリールが……)
(パンはね)
パンは、ふふっと笑うように言った。
(フリールなら、受け入れてくれそうな気がするよ)
(ファラの時みたいにさ)
(うーん……)
僕は小さく息を吐いた。
(フリールのことは信用してるんだけどさ)
(……ちょっと考えるよ)
僕は器の中でムーに言った。
(ムー? 勝手にローブから出ちゃダメだよ)
(わかったのん)
ムーの声が、ぷるぷるした感じで返ってきた。
(ムーもいい方法考えるのん)
「静かだと思ったらさぁ」
前を歩いていたフリールが、くるっと振り返る。
「フライ、どったの?」
じっと目を細めてくる。
「考え事してたっしょ?」
「……いや、なんでもないよ」
僕は慌てて首を振った。
「ちょっと、ダンジョンのこと考えてただけ」
ハルが、横から軽く肩をすくめる。
「とにかく、今は進むしかねぇだろ」
僕は前を向く。
(でも、ダンジョンの奥に、もしまたゼインの石碑があったら)
(フリールにどう言おうか……)
そんなことを考えていた、その時だった。
「おっ」
前を歩くハルが、ふいに足を止めた。
「なんか、ひっかかった……」
伸ばした腕が、空中で止まる。
「なんだこれ、ネバネバする」
よく見ると、ハルの腕が透明な何かに絡め取られている。
見えない蜘蛛の巣みたいな、細い糸。
(フライ)
パンの警戒が強くなる。
(魔力だ、しかも結構濃いよ)
(今ので、相手は完全に気づいたみたい)
「前方から、モンスターがくる」
僕はすぐに前を見た。
「相手は、もう気がついてるよ」
「うえー、またきたよー」
フリールが、げんなりした顔をする。
「泣き言言ってもしょうがねぇ」
ハルが、絡まった腕を力づくで引きはがしながら言う。
「やるぞ!」
剣を抜き、構えを取る。
その瞬間──
頭上で、何かがのそりと動いた。
「……っ!」
フリールは思わずライトの火の玉を上に向ける。
緑で覆われた天井の一角が、ずるりとずれた。
灰色の曇みたいな半透明の体。
何本もの脚。
その体表に、青白い雷光がぱちぱちと走っている。
蜘蛛型のモンスターが、天井に張り付いたままこちらを見下ろしていた。
「こいつは……蜘蛛!?」
ハルが顔をしかめる。
「僕も見たことないタイプだ」
僕は、帯電している体を見上げる。
「体に、電気を溜め込んでる……?」
クラウドスパイダー。
灰色の雷雲みたいな体に、雷をまとった蜘蛛。
その名のとおり、体表を走る電気が、周囲の空気を緊張させる。
観察する間もなく──
クラウドスパイダーが、電気をまとった糸を一気に吐き出した。
「来たぞ!」
「〈〈アイスシールド〉〉」
僕は反射的に杖を突き出した。
薄い氷の壁が、通路いっぱいに立ち上がる。
電気をまとった糸が、そこに次々と突き刺さった。
ぱちぱち、と火花が飛ぶ。
「なんとか、なりそう──」
言いかけた瞬間。
氷の表面を、電撃が走り抜けた。
次の瞬間、アイスシールドは粉々に砕け散る。
冷気と電気が、細かい霧になって飛び散った。
「やばいねこりゃ」
フリールが、目を丸くする。
「くらったら、感電じゃすまなそう」
「天井から雷降らせるなんて」
肩をすくめて笑う。
「まるで曇だね!」
「おい」
ハルが余裕のない声で言う。
「それにツッコんでる余裕はねぇんだけど」
「くっそ……」
僕はクラウドスパイダーをにらんだ。
「雷は、明らかに効かなそうだし、炎もここじゃまずい」
「攻撃しようにも、天井に張り付いてやがるしな」
ハルが悔しそうに見上げる。
「届きゃしねぇ」
「んじゃ、一発いってみますかね」
フリールが杖を構え直した。
「〈〈トーネード〉〉」
足元から風が巻き起こり、天井へ渦を巻いて伸びていく。
けれど──
天井まで届いた頃には、勢いは半分くらいに落ちていた。
クラウドスパイダーの体を揺らす程度で、効いていない。
「あこまでは、威力が続かないっす」
フリールが更にげんなりする。
「こいつはヤバいな……」
「〈〈アイスニードル〉〉」
僕は立て続けに氷柱を生み出し、クラウドスパイダーめがけて撃ち出した。
鋭い氷が、空を切り裂いて飛んでいく。
だがクラウドスパイダーは、体にまとった電気を一瞬で解き放った。
氷柱と電撃がぶつかる。
激しい閃光とともに、氷は空中で粉砕された。
「くっ……」
僕は奥歯を噛みしめる。
「どーすんの?」
フリールが、目だけをこちらに向ける。
「ねぇ、どーすんの? やばくない?」
「威力が続きゃ……」
ハルが息を整えながら言う。
「あの蜘蛛自体は、硬くなさそうだよね」
僕はクラウドスパイダーの膜みたいな体を見上げる。
「攻撃を受けないために、距離を取ってる感じがする」
その言葉で、ハルが閃いた。
「なぁ」
ハルが、フリールのほうを向く。
「フリールの風を、俺の剣で放てば、天井まで届くか?」
「それなら」
フリールもすぐに乗ってきた。
「さらに風魔法も重ねて押し上げるってぇのは、どーよ?」
「なるほど、行けるかも」
僕は頷く。
「決まりだな」
ハルが剣を構え直した。
「俺が風をぶん投げてやるよ!」
「っしゃ、やるか!」
フリールが、にやりと笑う。
「いっくぞーい!」
「〈〈ウィンドグレース〉〉」
フリールの杖から、風の奔流が放たれる。
ハルの剣にまとわりつき、刃の周りに薄い風の刃が重なっていく。
「うっしゃいくぞおおおおおおおお!」
そのまま、剣を縦に振り抜いた。
斬撃とともに、圧縮された風の刃が天井へ向かって走る。
クラウドスパイダーも、それを察知したのか。
体にまとっていた雷を一気に下へ向かって放った。
「フリール!今だ!」
ハルが叫ぶ。
「まっかせーい!!」
フリールも、全力で杖を振る。
「〈〈トーネード〉〉」
鋭い風の渦が、ハルの風斬撃に絡みついた。
ふたつの風が混ざり合い、一本の巨大な風の槍のように形を変える。
雷の壁を押し返し、そのままクラウドスパイダーの体を貫いた。
「キイイイイイイ!!」
耳をつんざく悲鳴とともに、体の真ん中に大きな穴が開く。
帯電していた雷が暴発するように四方へ散った。
クラウドスパイダーの巨大な体が、天井からずるりと剥がれ落ちる。
落ちてきたクラウドスパイダーめがけてハルが走り込んだ。
「うぉおおおおおおおおおお!」
痛む足を動かし、飛び込む。
「斬ッ!!」
剣が、落ちてきたクラウドスパイダーの胴を横薙ぎに両断した。
灰色の体が、真っ二つに分かれて床に叩きつけられる。
雷は完全に抜け、クラウドスパイダーは沈黙した。
⸻
静寂。
「すごいよ、二人とも」
僕は、剣を下ろしたハルと、杖を抱えたフリールを見る。
ふたり同時に、こっちを振り向いた。
そして、示し合わせたかのように──
親指をぐっと立ててみせる。
「あはは……」
思わず笑ってしまう。
「しっかし」
フリールが、そのままその姿勢で伸びをした。
「魔法連発で、つっかれたやー」
「確かにな」
ハルも剣を肩に担ぎ直しながら言う。
「ダンジョンのモンスターは、一戦一戦ちゃんときついな」
でも、その分見返りも大きい。
クラウドスパイダーの胸のあたりが、ぱっと光る。
「あっ」
フリールが駆け寄る。
「ルミナストーンだ!」
透明な石が、さっきまで雷を蓄えていたあたりから転がり落ちていた。
「やったー」
フリールが、それを両手で抱え上げる。
「これがあれば、あたいは何度でも蘇れるよっ」
「さすがだね」
僕は笑う。
と、その瞬間──
胸の奥が、ぐっと引っ張られるような感覚に襲われた。
「……っ」
思わず胸に手を当てる。
(また、感じる)
(奥に呼ばれてるような、気配の流れ)
(南の森のダンジョンのときと、一緒だ)
フリールがルミナストーンに夢中になっているのを確認して、ハルが小声で寄ってきた。
「フライ?」
耳元で囁く。
「どうした?」
僕も囁き返す。
「ここから先は、きっと迷路だ」
「気配の流れが変わった」
(何か魔力っていうか)
ムーも、内側からぽよぽよした声を出す。
(違う何かが流れてる感じなのん)
(多分ここからは)
パディットの声が、いつになく慎重だった。
(フライじゃないと、辿り着けない)
「迷路ってのは……進むのが難しいってことか」
ハルが眉をひそめる。
「たまたま奥まで行けました、ってレベルの迷路じゃないよ」
僕は首を振る。
「気配の流れ自体が、道みたいになってる」
「それに逆らって進もうとしたら──たぶん帰れない」
「分かれ道になったら」
ハルが、前方を見る。
「フリールはまた、勘で行こうとすんじゃねぇか?」
「それはまずいよ」
僕はきっぱりと言う。
「ダンジョンで迷ったら、終わりだよ」
「ふんふんふーん♪」
そのとき、フリールがご機嫌な鼻歌を歌いながら戻ってきた。
「さぁて、そろそろ奥へ行っきますかー!」
ルミナストーンをしっかりポーチにしまいながら。
「……まぁ」
ハルが小さく息を吐く。
「とりあえず進んでみるか」
「だね」
僕も頷く。
少し進むごとに、気配の流れが濃くなっていく。
呼ばれているような感覚。
そして──
通路が、ついに右と左に分かれた。
「アッチャー、分かれ道やなー」
フリールが、頭の後ろで手を組む。
「どうしよか?」
(流れは右だ、はっきり分かる)
僕は息を整える。
(でも、なんて言えば……)
(うーん……)
ムーが、困ったような声を出す。
(考えたけど、やっぱりこれしかムーは思いつかなかったのん)
(フライ、怒ったら……嫌なのんっ!)
「まさか──」
僕がそう思った瞬間。
ローブの中から、ぷるんと柔らかい感触が飛び出した。
「ほえ?」
フリールが目を丸くする。
「何か今、フライから飛び出さなかった?」
「ムー!!」
僕は頭を抱えた。
「またやったなーーー!」
(怒っちゃや、なのん)
ムーが空中でぷるぷると嬉しそうに震える。
「ねぇ!」
フリールが、何かを見つけた子どものような声を出す。
「スライム!スライム!スライムが現れた!」
「はぁ……」
ハルが額に手を当てる。
「もう観念しようぜ、フライ」
肩をすくめる。
「多分、隠すの無理だわ、これ」
「……フリール」
僕は観念して、正面から向き合った。
「あの、実は──」
「連戦できっついけどやるっきゃない!」
フリールが、なぜか杖を握る。
「ダンジョンならではの強敵だね!」
「そうなるよねー!」
僕が突っ込む間に、ムーがこっちに飛んでくる。
ぽよん、と僕の頭の上に着地した。
(のんっ!)
「ぎゃー!」
フリールが大げさに叫ぶ。
「フライがスライムに乗っ取られるー!」
ムーがびくっと震える。
(ムーが乗っ取るのん!?)
僕はもう一度ため息をついた。
「ごめん、フリール」
頭の上のムーをそっと押さえながら言う。
「実はずっと言えなかったんだけどさ」
「このスライム、仲間なんだ……」
「は?」
フリールが瞬きをする。
「まじで言ってる?」
ぐっと一歩近づいてきた。
「仲間って、本当なの!?」
声には、疑いよりも好奇心が多かった。
「あれ?」
ハルが小声で首をかしげる。
「なんか、思ってた反応と違うな」
「……」
フリールは、ほんの一瞬だけ真顔になる。
「これは……」
誰にも聞こえないくらいの声でつぶやいたあと、顔を上げる。
「ってことは、フライってさ」
真っ直ぐに僕を見る。
「テイマーなん?」
「そうだけど、ちょっと違うんだ」
僕は頷く。
「話すとすごく長くなるけど......」
ハルが代わりに口を開いた。
「フライは世間で言うテイマーとは、ちょっと違うんだよ」
「簡単に言えば、モンスターと友達なんだ」
「信じらんねぇかもだけどさ」
(いや、信じてもらうのん)
ムーが、僕の頭の上でぽよんと跳ねる。
(いつもこれでなんとかしてきたのん)
(のんのんのんのんのんのん!)
勢いよく跳ねて、フリールの真正面に飛び降りた。
「友達……」
フリールが、ぽつりと言う。
「マジで……?」
目が揺れている。
「本気で言ってるの?」
「そんなこと、可能なの?」
(なんか)
僕は心の中でつぶやく。
(フリール、様子がおかしいな)
「本当だぜ」
ハルが肩をすくめる。
「フライはモンスターの心がわかるし、モンスターと心でつながってんだ」
「……」
フリールは黙ったまま、ムーを見つめている。
「ねぇ」
視線を僕に戻す。
「ここから出たらさ」
「ちょっと一緒に来てくれない?」
「一緒に?」
僕は首を傾げる。
フリールは、珍しく真面目な顔をしていた。
「今は言えない......」
「でも、街に戻ったら必ず話す!」
「……いいよ」
僕は、はっきりと頷く。
「言ったでしょ、フリールの力になりたいって」
「おうよ」
ハルも笑う。
「できることがあるなら、手伝わせてくれよ」
「あり……」
フリールの声が、少し震えた。
「ありがとう」
すぐにかぶせるように息を吸い込み、いつもの調子を引っ張り出す。
「さ、さぁて!」
両手をぶんぶん振って気合いを入れ直す。
「では気を取り直すとすっかぁ!」
「そのスライムちゃんは仲間なんだよね?」
ムーに向かって笑いかける。
「今、なんて言ってるの?」
(フリール両手を出してほしいのん)
ムーが、ぽよぽよと跳ねながら言う。
「フリール、両手を出してってさ」
「こうけ?」
フリールは、言われたとおりに両手を前に出す。
(っのん!)
ムーが、小さな掛け声とともに飛び込んだ。
ぷよん、と心地よい音を立てて、フリールの両腕にすっぽりおさまる。
「まじかー……」
フリールが、目を丸くした。
「フライって、何者……?」
「……うーん、僕の方も訳ありなんだよね」
僕は肩をすくめる。
「ってか、多分ここ訳ありなやつしかいねぇぞ」
ハルが笑う。
「本当だね」
僕も笑ってしまう。
「僕も、ここを出たら話すよ」
「じゃあ」
フリールが、ムーを撫でながら言った。
「意地でも無事に帰ってやらんといかんねこりゃ」
「さーて」
分かれ道を見て、腕を組む。
「分かれ道をどっちにいくか……」
僕は一歩前に出た。
「それも実は解決してるんだよね」
ハルが頷く。
「フライは行く方向がわかるからな」
「ほえ?」
フリールが首をかしげる。
「これも後々説明するよ」
(説明することが増えていくね)
パンが、ちょっとだけおかしそうに笑う。
「とにかく、ついてきて」
僕は右側の通路を指さした。
「絶対迷わないで奥まで連れていくから」
「今更もう疑うことなんて、なーんもねぇってよ」
フリールが笑う。
「どこまでもついて行くぜ、ボス!」
「いや、ボスはやめてね」
即座に否定すると、フリールはケラケラ笑った。
⸻
僕たちは、右の通路へと足を踏み入れる。
そこから先は、文字通りの迷路だった。
右へ、左へ。
時々、ぐるりと一周しているんじゃないかという感覚に襲われる。
けれど、気配の流れは途切れない。
僕はそれを頼りに、ひたすら奥へと進んだ。
途中、何度かモンスターに行く手を阻まれたが──
ハルの剣と、フリールの魔法、僕の補助でなんとか倒していく。
「そろそろ、だね」
しばらく歩いたあと、僕はふっと立ち止まった。
気配の流れが、一気に濃くなる。
「すげぇな」
ハルが周りを見回す。
「これ、マジで迷ってねぇのか?」
「あたいは」
フリールが、コンパスをいじりながら笑う。
「コンパスあっても無理な自信がある!」
「いや」
ハルが容赦なくツッコむ。
「森もコンパスあったけど無理だったじゃねーか」
(くるぞ)
パディットの声が、いつになく真剣だった。
(そろそろ終点だ)
その言葉と同時に、通路の先の空気が変わる。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
次話も読んでいただけると嬉しいです。
クラウドスパイダー
大きさ:2m
蜘蛛型:雷気を体に帯電させる
生息:森、ダンジョン
魔力:雷単体
雷を纏わせた糸で攻撃する、サンダー:雷魔法を上空から放つ




