第六十一話 森の磁場
ドーナの森に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
背の高い木々。
獣の気配も、さっきまでより少し増えた気がする。
先頭を歩くフリールの背中を見ながら、僕とハルはその少し後ろをついていく。
「いやー、森っていいよねぇ」
「緑っていいなーって思うよねぇ」
「モンスターだけは気をつけないとだよ」
「うい」
フリールは、最初のうちはやけにご機嫌だった。
そんなこんなで、しばらく森の中を歩いていると──
「……あっれれー?」
フリールが、立ち止まって首をかしげた。
「おっかしいなー」
「ん?」
僕とハルも足を止める。
「どした?」
「西って、このまま真っ直ぐだよね?」
「は?」
ハルの顔が一瞬で険しくなった。
「いや待て」
「お前、コンパス見てたんじゃねぇのかよ!?」
「それがねぇ」
フリールはポケットから小さなコンパスを取り出して見せた。
「コンパス、なんかクルクルになったんよ」
「見せてもらっていいかな」
「うい、どぞー」
渡されたコンパスを覗き込むと、針があっちこっち、落ち着きなく揺れていた。
北も南も西も東も、さっぱり分からなさそうだった。
「……ふむ」
僕はコンパスを軽く回してみたり、近くの木から少し離してみたりした。
けれど、針の揺れ方は変わらない。
「あのー、フリールさん?」
「なんでしょー?」
「この森、磁場が安定してないですね」
「と、言いますと?」
「控えめに言って、これはゴミです」
コンパスをそっと返しながら言った。
「そして真実を言うなら、僕たち迷子です」
「うーん」
フリールは、少し申し訳なさそうにコンパスを受け取る。
「てへへ」
「いや、てへへじゃねぇんだよ、お前!」
ハルが、思い切りツッコんだ。
「どーすんだこれ!」
「ま、待て!」
フリールが、慌てて両手をぶんぶん振る。
「まだ慌てる時間じゃない!」
「いや、慌ててんだよ、俺たちが!」
ハルががっくり肩を落とす。
「それで、どうすんだよマジで」
「あ、あたい、実は運はいいんだぜっ」
フリールは、焦りながら胸を張った。
「なんとなく方向は合ってる、と思う」
「はぁ……ダメだこいつ、早くなんとかしないと」
ハルは、クソでかため息をついた。
「正直本当にすまんです、コンパスで本気でいけると思ってたんよ」
「まさか使えないなんて思ってもみませんでした……はい」
フリールは肩を落として、少し俯いた。
詰めの甘さは相変わらずだった。
「まぁ、でも入り口から西に一直線で来てるのは確かだからな」
ハルは辺りを見回しながら言った。
(フライ、クロープの探知で魔力探った方が早いんじゃない?)
パンの落ち着いた声が、器の中から聞こえてきた。
(たぶんこの森、ダンジョンの魔力で磁場がゆがんでるんだと思う)
(確かにね、そうしよっか)
(クロープ? この森で、魔力の違和感探れるかな?)
(うん、大丈夫だよー……)
眠たそうな声が返ってきた。
(広いから、ちょっと待っててねー……ZZZ)
そして、僕はそっとハルの肩をつつき、小声で耳打ちした。
「探知で、ダンジョン見つかりそう」
「方角分かったら、それとなくフリールをそっちに誘導しよう」
「助かったー」
ハルの顔がぱっと明るくなる。
「さすがだな!」
前を歩いていたフリールが前を指差した。
「考えてもしょうがないか! よーし、このまま真っ直ぐ行こうぜ!」
(行こうとしてるぞ)
パディットの声が響く。
(クロープが探知終わるまで、引き止めろ)
「えーっと!」
「ちょっと……フリール、お昼だし休んで行かない?」
同時に、ハルの脇腹を肘でつつく。
「……あ?」
一瞬きょとんとしたハルは、すぐに察して棒読みで続けてくれた。
「あー、たしかに昼かー……」
「おいおい」
フリールが呆れ顔になる。
「若ぇもんが体力ねぇのう」
(近くに水場あるから行こうって言って)
パンが、さらっと指示をくれる。
(今は安全そうだし、一回休憩しよ)
(わかったよ)
僕は、頷いて続けた。
「すぐそこの、水場で少し休もう。休憩も大事だよ」
「賛成!」
ハルが手を上げて言う。
「まぁ確かにそれもそうか、じゃあ少し休もうかね」
フリールは、結局あっさりと休憩を受け入れた。
そう言って、水場へ先導するように歩き出す。
⸻
少し歩くと、木々が開けて、小さな水場が現れた。
大きな岩からしみ出した水が、ちょろちょろと溜まって小さな池になっている。
「おー」
フリールが腰に手を当てて辺りを見回す。
「まぁ、そろそろお昼だしね」
「メシだメシ!」
「じゃあ」
僕は荷物を降ろしながら言う。
「何か軽く作ろっか」
「お米と、水はあるし、干し肉もある」
「森の野菜が少しあれば、十分だね」
「お?」
フリールの目がきらりと光る。
「フライ、料理できんの?」
「フリール、驚け」
ハルが偉そうに腕を組んだ。
「こいつの飯はうまいぞ」
「ほう」
フリールがニヤリと笑う。
「このお料理お姉さんに、勝てるとでも?」
「あのー、期待値上げるのやめてもらっていいですか……?」
僕は額に手を当てる。
「でも、今回は僕が作るよ」
「ダンジョンでもご飯は必要だし」
「次はフリールに任せていい?」
「おー、順番っこだね」
フリールが親指を立てる。
「まかせてよ! 孤児院の子も美味しいって言ってくれるかんね」
「じゃあ、あたいは、とりあえず森のきのこでも──」
「待て」
ハルが、即座にその言葉をへし折った。
「そのフラグへし折らせてもらう」
「お前に任せたら、絶対変なもん持ってくんだろ!」
「きのこは詳しいぜ?」
フリールはなぜか胸を張る。
「色がいいやつが、うめーんさ!」
「絶対フリールには行かせねぇ」
「絶対フリールには行かせない」
僕とハルの声が、珍しくぴったり重なった。
⸻
ハルが慎重に選んできた食べられる野菜を受け取り、僕は小さな鍋を火にかけた。
水を張り、砕いた干し肉を先に煮出す。
じわじわと、肉の旨味が水に溶けていく。
そこへ洗った米を加え、軽くかき混ぜてから火を弱める。
森の香りがする野菜を刻み、火の通りを見ながらタイミングをずらして投入。
そして、いつもの香辛料を少しだけ振った。
鍋の中で、湯気と一緒に香りがふわりと立ち上がる。
「……おー」
ハルが、鼻をひくひくさせる。
「なんか、この前の料理にも負けてねぇ匂いしてきたぞ」
「ふふん」
僕は味見を一匙だけして、頷く。
「ラサジエ仕込みの、遠征用リゾットだよ」
「さ、できたよ」
木の器に分けて、それぞれに渡す。
「おー!」
ハルの目が輝いた。
「いい香りー!」
「こ、こりゃ絶対美味いやつや……」
フリールも、器を両手で抱えながら言う。
「でも、この香辛料の匂い、初めてだわー」
「この辺のじゃないでしょ?」
「お、さすがお料理お姉さん」
僕は笑う。
「詳しいんだね」
「あたりめーよ、調味料も研究してるからね」
フリールは、ふふんと鼻を鳴らす。
「料理は手ぇ抜かないのが、あたいのポリシーだ」
「誰かさんみたいだな」
ハルが横目で僕を見る。
「実験鍋時代を除けば、な?」
「それは、黒歴史だからやめてね」
「料理冷めちゃうから食べよっか」
僕が促すと、三人同時にスプーンを口に運んだ。
口の中に、優しい塩気と肉の旨味が広がる。
森の野菜の爽やかな香りと、香辛料の刺激が後を追いかけてきて、飲み込んだあとに体の内側がじんわり温まっていく。
「……うまっ」
フリールが、ぽつりと言った。
「これ、孤児院の子らにも食べさせたいな」
ハルも、あっという間に半分くらいまでかっこんでいる。
「ちゃんとした飯食えるのはいいよな」
僕も、食べながら頷いた。
「そうだね、ご飯は大事だよ」
「はぁ……美味しかったよぉ……」
フリールが、ごちそうさまのように背伸びをした、そのとき。
クロープの声が器で響いた。
(ダンジョンの位置、大体わかったよー……)
(こっちに徒歩二時間くらいだよー……ZZZ)
声と一緒に、方角のイメージが流れ込んでくる。
(クロープ、ありがとうね)
僕はクロープにお礼をいうと、器を置き、ハルにそっと耳打ちした。
「ハル、クロープが、場所分かったってさ」
「こっちに徒歩二時間程度だって」
僕はこっそり、森の奥の方角を指差す。
「助かったー……」
ハルは、心底ほっとした顔をした。
「じゃあ、フリールを誘導するか」
「さ、お腹もいっぱいだし」
僕は立ち上がって、手を叩く。
「よし、行こっか」
「うい!」
フリールも勢いよく立ち上がる。
「さあ、じゃあどっち行こっか?」
両手をぐるぐる回して、適当な方角を指差そうとする。
「魔力をすこーし感じるから、こっち行かない?」
僕はクロープに教えてもらった方向を指差しながら言った。
「フライは昔から方向感覚いいからそうすっかー」
ハルが少し棒読みで言う。
「なんか怪しいな」
フリールが即座にツッコむ。
「んー、でもあてもないし行きやしょう」
(いいね)
パンが、少しおかしそうに笑う。
(そのままそっち連れて行こう)
「じゃあ」
僕は、さりげなさを装いながら言う。
「行ってみよっかー」
フリールが目を瞬かせる。
「よーし、ダンジョン探しだぜ!」
「まぁ、結果オーライだな」
ハルが、肩をすくめる。
フリールが、元気よく森の奥へと歩き出した。
その背中を追いかける形で、僕たちも歩き始める。
⸻
そこから二時間ほど、僕たちは森の中を進んだ。
探知を広げてモンスターの気配を避けながら、できるだけ真っ直ぐに。
進むにつれて、森の雰囲気が少しずつ変わっていった。
鳥の声が減り、代わりに風の音がよく聞こえるようになる。
「……あ」
視界の先、木々の切れ間に、黒い口のようなものが見えた。
「あそこに、あるね」
「本当だ」
ハルが目を細める。
「森の雰囲気が、あそこだけ異質だな」
そこには、ぽっかりと地面が沈み込んだような窪地があり、石で組まれた階段が闇の中へと続いていた。
階段の周りには、古びた石碑がいくつか並んでいる。
「おー!」
フリールが両手を広げた。
「ね!」
「やっぱあたい、運あるっしょ?」
「たはは……」
僕とハルは、顔を見合わせて苦笑するしかない。
でも──
そのあと、フリールの横顔が一瞬だけ引き締まったのに気づいた。
いつもの笑顔の下で、ほんのわずかに緊張が滲む。
けれど、それもすぐにいつもの調子に戻る。
「よし!」
僕は、気を入れ直すように手を叩いた。
「じゃあ、作戦ね」
「おう」
ハルが腰の剣に手をやる。
「がってん!」
フリールも、杖の先を軽く地面についた。
「フリールは魔杖使いなんだよね?」
「うい」
フリールが胸を張る。
「風魔法と、炎をちょっとね」
「へぇ、風魔法……」
僕は頷く。
「……問題は、ヒーラーがいないってことだね」
「だな」
ハルが真顔になる。
「攻撃はできるだけ、かわすしかねぇ」
「手持ちのポーションで、なんとかなるだけなんとかなれ、だね」
フリールが腰のポーチをぽんと叩く。
「それでも足りなかったら──」
(いざとなったら)
ムーの声が、静かに響いた。
(テイムバンクも使うのん)
(危なくなるぐらいだったら、迷わず使うのん)
(分かった)
僕は、そっと胸元を押さえる。
(どうしようもなくなったらね)
(任せるのん)
ぷるん、と小さく震える感覚が返ってきた。
「よし」
階段を見下ろす。
「じゃあ、行こうか」
僕たちはダンジョンの階段を一段ずつ降りて行く。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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