第五十六話 それぞれの準備
僕は、手紙を持って宿のホルスさんの部屋へ向かった。
部屋の前で深呼吸をしてから、ノックする。
「ホルスさん、いますか」
中から、声が返ってきた。
「空いてるぞ」
ドアをゆっくり開き、中に入る。
「……手紙が来ました」
入るなり、僕はそう切り出した。
薄い朝の光が、窓から部屋に差し込んでいる。
ホルスさんは椅子に腰を下ろしたまま、ちらりとこちらを見る。
「持ってきたか」
「はい」
「見せてくれ」
ファラから預かった小さな手紙を取り出し、テーブルの上に置く。
封を切ったときの折りシワが、そのまま残っていた。
ホルスさんは無言でそれを広げ、目を通す。
「……ついに動いてきたか」
小さく呟く。
「ライゼル城跡の裏の入江に、十日後か」
「ジーナを連れて、ってところが……いかにもだな」
僕は、拳をぎゅっと握りしめた。
「……でも、これで相手を誘き出せます」
その言葉に、ホルスさんがにやりと笑う。
「ああ、作戦を立てるぞ」
⸻
ホルスさんは背もたれから体を起こし、テーブルの上に手紙を戻した。
「フライ」
「そろそろ、ネールにサラームまで飛んでもらってくれ」
「位置と方向は、頭に入ってるな」
「はい」
僕は頷く。
以前、地図を広げて確認した位置関係が頭に浮かぶ。
器に意識を向ける。
(ネールさん、聞こえますか)
(動きがあったのだな)
ネールの澄んだ声が返ってきた。
(前話した偵察に行ってほしいんです)
(ガルディアの東の海を、船で四日行った内海寄りに陸路を三日です)
僕は、頭の中で距離と方角をなぞりながら伝える。
(位置は大丈夫ですか)
(無論だ)
ネールの声が、少し誇らしげになる。
(我が翼であれば、二日もあれば到着できよう)
(そこで動きがあれば、知らせればいいのだな)
(ええ、お願いします)
(承知した)
(頼りにしてます)
僕はそう返し、意識を戻した。
「ネールさんは、サラームの方向に飛びました」
「よし」
ホルスさんは短く頷いた。
「じゃあ、敵と対面した時に、やることを確認するぞ」
テーブルの上に紙切れを広げ、指でとんとんと叩く。
「まず、ヴェンドを入江に行かせる」
「俺たちは陰に隠れて、その様子を見る」
「ジーナらしき人物を確認次第、パディットが救出する」
ホルスさんが、視線を僕に向ける。
(全力のオレを目で追えるやつはそう多くはない)
パディットが器から言う。
「分かりました」
「人質という鎖が断てた瞬間、あいつらの優位は一気に崩れる」
ホルスさんは腕を組んで頷く。
「でもよ、親父」
そこで、ホップが口を挟んだ。
「相手は、あの軍神を倒すほど強いんじゃねぇのか?」
ホップは少し俯いた。
「俺らで、どうにかなるのかよ」
「それはそうなんだがな」
「強いって言っても、手がないわけじゃない」
「十日あれば、できることも増える」
「それに今は、俺とお前、それにフライと牧場連中もいる」
「さすがに負けない」
「というよりまず、俺自身が負けてやる気はねぇ」
十八年抱え続けた者の言葉だった。
「僕も、戦うことになったら、全力で戦います」
自然とそう言っていた。
「ああ」
ホルスさんは、ゆっくりと頷いた。
「状況的に、俺たちを消そうとするのは目に見えてる」
ホップが、ぐっと拳を握る。
「だな、全員守るだけだ」
「この十日でできることは、全部やる」
ホルスさんが、改めて言った。
「フライ」
「前にドーナの街で言ってた話、覚えてるか?」
僕は上を向いて少し考え、はっとした。
「あっ、フリールですね」
ホップが、僕を見て首をかしげる。
「フリール?」
「旅で出会った、ドーナの街の女の子だよ」
僕はそう説明してから、あの約束を思い出した。
「ダンジョン……ですか」
「正解だ」
ホルスさんはゆっくりと頷いた。
「南の森のダンジョンでゼインの遺物があったって話、あったろ」
「俺は、ドーナの森にも何かあるんじゃねぇかって思ってる」
「僕も、何かはあると思います」
ホルスさんが今度は視線をホップに向ける。
「ホップもフライと一緒にダンジョンに行ってこい」
「こっちにいても特にやることはねぇんだ」
ホルスさんはホップを指差して言った。
「でも俺、外には……」
ホップは不安そうに俯いた。
「いや、ドーナまで顔は割れてねぇと思うぞ」
「ただ、名前は偽名じゃないとダメだがな」
「なるほど、偽名か……」
ホップは腕を組む。
ホルスさんが続ける。
「ドーナまで、今日出るキャラバンなら三日ほどで行ける」
「帰り合わせて移動は六日」
「準備もある、残り三日あればなんとかなるか?」
「行けます」
僕は大きく頷いた。
「道中は、なるべく魔力を蓄えておけ」
「テイムバンクも、テイムも、ダンジョンで惜しみなく使えるようにな」
「はい」
「で、俺は少し根回しだ」
「根回し?」
ホップが首をかしげる。
「下準備ってやつだ」
ホルスさんが意味ありげに笑う。
「俺も新しい剣を作ってもらってるんだ」
「お前らばっかり強くなってちゃ、かっこつかねぇからな」
「親父はつえーよ」
ホップが、素っ気なく言う。
「俺が騎士見習いやってた時、つえー奴多いなって思ったけど」
「立ち会ってみて、親父の方が強いって何回思ったことか」
「ほう」
ホルスさんが、にやぁっと口角を上げた。
「お前も、ようやく俺の凄さが分かってきたか」
「……せっかく素直に褒めたのに、うるせーよ」
ホップが露骨に顔を背ける。
「でもよ」
ホップは、ふっと表情を緩めた。
「確かに、外に出ないと分かんねぇことはあるなって思ったぜ」
「ガルディア来て、いろんな奴見てきて」
「アルミ村って、やっぱ普通じゃねぇんだなって思った」
「それは、僕も思ったな」
笑いながら頷く。
ホルスさんも小さく笑ってから、表情を引き締める。
「とにかく、それぞれやることをやる」
「分かってます」
「おう」
「はい」
僕とホップは、それぞれ真剣に頷いた。
⸻
翌日。
ハンターギルド。
朝の光が差し込む受付カウンターの近くで、ファラが僕に気づいて手を振った。
「フライ、おはよう」
「おはよう、ファラ」
僕は歩み寄り、声を落とす。
「昨日、ホルスさんと作戦立てたから、ファラにも伝えるね」
「……うん」
ファラは真剣な顔で頷いた。
「ありがとう、フライ」
「みんなそれぞれ、思うところがあるからね」
僕は、少しだけ目を伏せる。
「真剣だよ」
ファラが、胸の前の手をぎゅっと握る。
「お父さんも、もう落ち込んでない」
「私も、今は前を向いてる」
その横顔からは、立ち向かっていく覚悟が強く感じられた。
「じゃあ、後はやることを精一杯やるだけだね」
「これを、ヴェンドさんに渡して」
僕は、懐から一枚の紙を取り出した。
みんなで一緒にまとめた、作戦の要点だ。
「作戦の流れを書いておいた」
「詳しいところは、場所を移して話そうか」
「分かった」
ファラは紙を受け取り、そっと懐にしまった。
それを見届けると、僕たちは広場の目立たない場所へ向かった。
⸻
朝の広場は人もまばらで、話をしている大人が数人いるだけだった。
僕たちは人目の少ない物陰に入ると、立ち止まった。
「じゃあ、作戦の説明をするね」
フードを少しだけ目深にかぶる。
「うん」
ファラが頷いた。
「十日後、ライゼル城跡の裏の港に敵が来る」
「ヴェンドさん一人で港へ向かって」
「僕たちは陰から様子を見る」
ファラが、真剣な目で聞いている。
「ジーナさんらしき人を確認したら、パディットが一気に駆けていって救い出す」
「なるほど」
ファラが小さく頷いた。
「パディットさんなら確かに」
(ジーナはまかせろ)
器から、声が響いた。
「パディットがジーナさんは任せろって言ってます」
ファラがほっと表情を変える。
「心強いね」
今度はネールの声が、割り込んできた。
(サラームの動きは、逐一こちらへ伝えよう)
「ネールさんも、偵察に行ってくれてます」
「サラームの港から船が出たら、それもすぐ分かるはず」
「みんな、頼もしいね」
ファラは、胸の前で小さく拳を握った。
(ムーも一緒にいるのん)
ムーが、ローブの隙間から顔を出す。
ぷるぷると震えながら、ファラの方を見上げた。
ファラは、ムーを見てふわりと微笑む。
「ムーも、一緒だね」
(なのん)
ムーが誇らしげにふくらむ。
「それと、僕とホップはこれから、ドーナのダンジョン攻略に行くことになりました」
「え、ダンジョン!?」
ファラの目が、驚きで見開かれる。
「色々事情があって、今ここで全部話すのは大変なんだけど」
「僕たちの力になると思うんだ」
「十日、何もしないで待つより、ずっといいと思う」
「そう……なんだ」
「私も、一緒に行きたいけど……」
僕は首を横に振った。
「ファラは、ガルディアにいないとまずい」
「サラームの目がどこにあるか分からないからね」
ファラは、不安そうな表情で言った。
「でも、ヒーラーなしでなんて……」
「危険はなるべく避けるよ」
「僕には探知もあるし、無茶はしない」
ファラは、しばらく黙って僕の顔を見ていた。
それから、ぎゅっと拳を握る。
「そっか、じゃあ信じるよ」
「無事に帰ってきてね」
「もちろんだよ」
僕は大きく頷いた。
十日後、ライゼル城跡の裏の港への準備が進んでいく。
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