第五十七話 あの日の続き 前編
ハンターギルドでファラと別れてから、僕はまっすぐ宿へ戻り、ホルスさんの部屋の前に立った。
「ホルスさん、いますか」
「おう、空いてるぞ」
中に入ると、ホルスさんは椅子に座っていて、机の上には磨きかけの剣と地図が広がっていた。
「ファラに伝言を渡してきました」
「おう、ありがとな」
「ファラ、なんか言ってたか?」
「十日後に向けて、やることやるって。すごく、たくましくなってました」
「……そうか」
ホルスさんの口元が、少しだけ緩む。
「ならいいんだ。よし、じゃあお前たちはドーナ行きだな」
そこへ、ホップがいつもの調子で入ってくる。
「いよいよか、親父。どこに行きゃキャラバンに乗れんだ?」
「急ぐな、急ぐな」
ホルスさんは苦笑しつつ、机の地図を一枚つまみ上げた。
「正規のキャラバンは厳しい」
「ホップは処刑されてるからな」
「だから、テュリップの手配した行商キャラバンに乗ってもらう」
地図の一角に印をつけ、僕のほうへ見せる。
「城下の外れ、東門のちょい先だ」
「そこにキャラバンが集まってる。チェスって男がいる」
「テュリップの紹介だって言えば、話が早い」
僕は地図を受け取り、印を確かめる。
「ここですね。分かりました」
「ホップの方は正体を隠していけ。顔より名前がまずい」
「分かってるって」
ホップが肩をすくめる。
「名前くらい変えたってどうってことねぇよ」
「まぁ、そういうこった」
「気をつけて行け。ドーナの町は平和だが、ダンジョンは別物だ」
「はい」
僕は地図を丁寧に折りたたみ、懐にしまった。
⸻
僕とホップは、宿を出るとすぐ城下の外れの東門前に来ていた。
そこには、荷馬車が五台ほど並んでいた。
樽や木箱が山のように積まれ、ロープでぎゅうぎゅうに縛られている。
いわゆる、行商キャラバンだ。
「おーい、あんたらがフライとホップだな?」
声がして振り向くと、肩幅の広い男が手を振っていた。
まだ若いけれど、場慣れした雰囲気のある男だ。
胸元のポーチには、金属製の小さなチューリップの飾りが光っている。
「チェスさんですか?」
「そうだ」
男はにかっと笑って親指を立てた。
「俺の名前はチェスだ。まぁ、なんだ」
「事情は色々、ボスから聞いてるって感じだ」
ボスという単語に、僕はすぐテュリップさんの顔を思い浮かべる。
「安心して任せてくれや」
チェスさんは、僕の肩をぽんと叩いた。
「よろしくお願いします」
僕は頭を下げた。
「テュリップさんには、本当にお世話になってます」
チェスさんがにっと笑う。
「ボスは頼りになるだろ?」
「ま、とりあえず荷馬車の後ろの方に乗っててくれ」
チェスさんが指で示す。
「あー」
ホップが首の後ろをかいた。
「一応、顔と名前はちょっと、色々あって」
「おう、知ってる」
チェスさんはあっさり頷く。
「んで、名前はなんだ?」
咄嗟にホップが答えた。
「……じゃあ、ハルでよろしくお願いします」
「ハル、か」
チェスさんは納得したようにうなずく。
僕は一瞬だけきょとんとしたあと、すぐ笑った。
「いいね、ハル!」
「おい、おちょくってねぇだろな、それ!」
「よし」
チェスさんは手を叩いた。
「じゃあ、フライとハル」
「ドーナまで、よろしくな」
「はい、よろしくお願いします」
⸻
荷馬車の荷台に上がると、木の板の軋む音がした。
乾いた藁が軽く敷かれていて、思ったよりも座り心地は悪くない。
前方でチェスさんが手綱を引くと、馬たちが鼻を鳴らして走り出した。
ごとん、と車輪が動き出す。
「キャラバンって、初めてだ……」
思わず、空を見上げながら呟く。
青い空を、薄い雲がゆっくり流れていく。
遠くには、もう小さくなり始めたガルディアの城壁。
「だろうな」
荷台の縁に腰をかけながら、ホップが笑った。
「お前、村からほとんど出たことなかったもんな」
「前にもキャラバンに乗ったことあるんだよね?」
「ああ」
ホップは、少しだけ遠い目をした。
「村から出て、ガルディアを目指すとき、こんな感じのキャラバンに乗っけてもらった」
「結構快適な旅だったな」
「行商の人とも仲良くなったりして」
二人は荷台から前を見る。
街道は、前に見たときよりも賑やかだった。
数台の荷馬車が一定の距離を保ちながら走り、ところどころには別のキャラバンや旅人の一団も見える。
以前は、大型モンスターのせいで、人影もまばらだった街道だ。
それが今は、少しずつ、日常を取り戻し始めている。
「それにしても」
ホップが、ちらりとこちらを見た。
「フライとこうやって旅することになるなんてな」
「今は、楽しんでる場合じゃねぇかもしれねぇけどよ」
「僕も、村の外を旅するなんて、思ってもいなかったよ」
アルミ村にいたころ。
僕たちの世界は、村と、そのまわりの森と、ちょっとした川くらいしかなかった。
「あの日の続きみたいだな」
ホップが少しだけ真面目な顔になる。
「あの日?」
「お前と一緒に森の祠に行った日だよ」
「そういえばそうだね」
記憶がよみがえる。
まだ何も知らなかったころの、自分たちの姿が。
「その時は、お互い何も抱えてなかったな」
ホップは少し俯いた。
「そうだね」
僕も小さく俯く。
「今はなんか、ややこしい肩書きついちまったな、お互い」
「軍神の息子だの、竜の契約者だの」
「でもまぁ、お前はお前だし、俺は俺だ」
ホップは、荷台の板をとん、と軽く叩いた。
「村の時から、なーんも変わってねぇよ」
「そうだね」
僕はその言葉に頷いた。
⸻
荷馬車が、なだらかな丘を越えようとしたときだった。
探知が、何かに引っかかった。
(……ん?)
意識を、少しだけ広げる。
視界の外側で、モンスターのような気配が動いた。
(フライ、前方にモンスターがいるのん)
ローブの中で、ムーがぽよんと揺れる。
(距離は、もうすぐ見えるくらいなのん)
僕はすぐに顔を上げた。
「前方に、モンスターがいる」
「本当か」
ホップの表情が、すっと戦う顔になる。
「チェスさーん!」
僕は前方に声を飛ばした。
「もうすぐ前方にモンスターが見えます!」
「僕たちが倒してもいいですが、どうしますか?」
振り返ったチェスさんは、状況を一瞬で飲み込んだようだった。
「マジか!」
舌打ちしながら、周りのキャラバンに合図を飛ばす。
「この道を外れると、街道から外れちまう」
「できれば、まっすぐ行きてぇ」
「ホップ、ハル、頼めるか?」
「はい!」
「もちろんだ!」
荷馬車の前方、街道の先に土煙が見えた。
土煙の向こうから、ずしん、ずしんと重い足音が響いてくる。
やがて、姿を現した。
灰色の鎧みたいな皮膚。
ごつごつとした厚い装甲のあいだから、ところどころに古い傷跡。
額からは太い角が三本、生え曲がっている。
体長は、軽く三メートルはあるだろう。
巨大な犀、と言ってもいい姿だった。
「こりゃ……アーマーリノだ」
チェスさんが、思わず声を漏らす。
「たびたび街道に現れて、食料車を襲ったりすんだ」
「厄介なの引いちまったな」
「でもハルなら余裕なんでしょ?」
僕は、あえてそう言った。
「森でイノシシから守ってやったことでも思い出したか?」
ホップが笑って言う。
「甘いね、もう村にいた頃みたいに、守られてるだけの僕じゃないよ」
「俺も、村にいた頃の俺だと思うなよ」
僕はローブの裾を軽く跳ね上げて、荷台の縁に足をかけた。
「行こう」
二人同時に、荷馬車から飛び降りる。
⸻
アーマーリノはこちらに気づくと、怒りのこもった鳴き声を上げた。
「ブルゥウウウウウウウ!」
そのまま頭を低く構え、角をこちらに向ける。
突進の姿勢。
「先手、行くよ」
僕は右手の杖を前に出し、魔力を走らせる。
「〈〈エレク〉〉」
空気が、びりっと震えた。
雷光が走り、アーマーリノの体表に直撃する。
火花が飛び散った。
しかし――
「ブル……」
アーマーリノは一瞬びくりとしただけで、すぐに体勢を立て直した。
分厚い皮膚と装甲のせいか、ダメージが通りにくい。
「……雷は、通りにくいね」
「じゃあ俺の番だな」
ホップが、自前の剣を抜いた。
「行くぞ!」
地面を蹴り、一気に距離を詰める。
鋭い斬撃が、アーマーリノの角の一本をざくりと切り裂いた。
「ブルウウウウウウウ!」
アーマーリノが、怒り狂ったように鳴く。
後ろ足で地面をひっかく。
砂煙が巻き上がり、その砂に魔力がまとわりつく。
「……!」
砂粒が固まり、弾丸のような塊になって飛んでくる。
「まずい」
僕は、ムーの気配を感じながら魔力を切り替える。
器から氷の魔力を杖の先へ。
「〈〈アイスシールド〉〉」
僕の目の前に、透明な氷の壁が生まれた。
砂粒の弾丸がそこに直撃し、ばちばちと弾け飛ぶ。
「お前、魔法何個覚えてんだよ」
ホップが、横から顔を出して言った。
「だから言ったでしょ」
僕は笑う。
「村の頃の守られてるだけの僕と違うって」
「でも通してんのは俺の斬撃だからな?」
ホップがにやりと笑う。
「はいはい」
僕は肩をすくめて、再び器から魔力を練る。
「〈〈スパークフレア〉〉」
今度は、雷と炎の混じったような光球がアーマーリノの足元に走る。
どん、と小さな爆発が起こり、前脚のあたりに衝撃が伝わる。
アーマーリノの動きが、一瞬止まった。
「おっ」
ホップの口元が上がる。
「いいぞ、フライ」
ホップは地面を蹴り、一気に横合いへ回り込む。
「斬ッ!!」
横に振り抜かれた剣が、アーマーリノの鎧のような装甲に深いヒビを走らせた。
が、硬い音が響く。
「……ちっ、かてぇ」
ホップが舌打ちする。
「じゃあ、足を止める」
僕は再び杖を掲げる。
「〈〈アイシクルバインド〉〉」
地面から氷柱が伸び上がり、アーマーリノの脚に絡みつく。
しかしアーマーリノは、その鉄のような筋肉で無理やり動こうとする。
氷がぎしぎしと音を立てた。
「ブルゥウウウウ……!」
アーマーリノは、角に魔力を集め始めた。
砂が渦を巻くように集まり、角にまとわりつく。
あっという間に、さっきよりもひと回り大きな、砂の槍のような角が出来上がった。
アーマーリノが、地面を蹴る。
巨大な角を前に突き出したまま、一直線に突っ込んでくる。
地面が揺れ、土煙が舞い上がった。
「ホップ!」
僕は叫ぶ。
「止めるから!」
「さっき入れたヒビの場所に、一撃叩き込んで!」
「任せろよ!」
ホップが剣を構えた。
僕はまた杖を構え、氷の盾を展開する。
「〈〈アイスシールド〉〉」
さらに、二重で動きを止める。
「〈〈アイシクルバインド〉〉」
次の瞬間――
アーマーリノの角が、氷の壁にぶつかり、足元から氷の柱が立ち上る。
鈍い衝撃が、全身を揺らす。
アイスシールドの表面に、蜘蛛の巣状のヒビが走った。
額から汗を流しながら魔力を込める。
足元がずりずりと後ろに押される。
背中には、キャラバンの荷馬車が並んでいる。
ここで抜かれるわけにはいかない。
(絶対、通さない!)
「今だ、ホップ!」
「うおおおおおおおおおおお!!」
ホップが、氷の壁の脇を駆け抜けた。
アーマーリノの装甲に走ったヒビ。
さっき刻み込んだ弱点の位置に、全力で踏み込む。
「斬ッ!!」
剣が光の軌跡を残して、横一閃に走る。
甲高い音とともに、アーマーリノの鎧が完全に砕け散った。
僕はすぐさま杖を構える。
「ここだ!」
「〈〈アイスニードル〉〉」
巨大な氷の槍が、ホップの斬撃で露出した装甲の隙間に向かって突き出される。
「ブルウウウウウウウウ!!」
氷柱が、アーマーリノの柔らかい部分を貫いた。
巨体が、ぐらりと揺れる。
そのまま、大きな音を立てて倒れ込んだ。
巻き上がった砂埃が、風に流されていく。
⸻
静寂。
さっきまで荒れ狂っていた街道が、うそのように静かになった。
「……ふぅ」
僕は、大きく息を吐いた。
「おーい!」
キャラバンの方から、チェスさんの声がした。
隠れていた荷台から飛び降りて、こちらに駆けてくる。
倒れたアーマーリノを見て、目をむいた。
「あんたら……」
しばらく口をぱくぱくさせたあと、やっと言葉を絞り出す。
「強すぎだろ……」
「いや、助かった」
チェスさんは、心底ほっとした顔で笑った。
「こいつ、何度か出てきてよ」
「食料車襲われて、何度もルート変えさせられてたんだ」
「これでしばらく、この道は安泰だな」
「よかった」
僕は笑う。
「でも、まぁ――」
ホップが肩をぐるぐる回す。
「これなら、大体のモンスターは大丈夫だぜ」
「もう、調子に乗らないでよ」
僕は呆れたようにホップを見る。
「魔力切れだってあるからね、ダンジョンまで温存しないと」
「俺はいつでも戦えるぜ?」
ホップは、まるで当然のように胸を張った。
「地獄の特訓メニューで鍛えられてっからな」
(ほんとに、あの特訓受けてると説得力あるんだよな……)
「ま、とりあえずは助かった」
チェスさんが、僕たちの肩を力強く叩いた。
「ありがとな、フライ、ハル」
「ドーナまでの道のり、安心して走れそうだ」
「こちらこそ、乗せてもらって感謝してます」
僕は頭を下げた。
⸻
アーマーリノの巨体を街道の端に寄せ、ひと通り片づけを終えると、キャラバンは再び進み始めた。
「やっぱ、フライ」
荷台の上で、ホップが空を見上げながら言う。
「外は、いいな」
「……うん」
僕も、同じ空を見上げる。
ドーナまで、あと三日。
その先には、南の森とは違う、もうひとつのダンジョンが待っている。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
次話も読んでいただけると嬉しいです。
アーマーリノ
大きさ:3m
犀型:発達した3本ツノ、鎧のような体
生息:平野、砂地
魔力:地寄り、風小
ツノを突き立てた突進
サンドバレット:砂に魔力を乗せて放つ




