第五十五話 やり取りの行方
ギルドの朝のざわめきの中で、僕は声を落としてファラに尋ねた。
「それで、手紙には何て……」
ファラは、一度周りを見回してから、僕の近くまで歩み寄った。
昨日の夜より、少しだけ顔色が悪い。
「少し場所を移そっか」
「わかった」
そう言って、僕たちはハンターギルドを後にし、広場の隅へと向かった。
⸻
人気のない場所に行くと、ファラは周りを気にしながら、ポーチの中からサラームから来た手紙を取り出した。
「……手紙を持ってきてたから、見てもらえるかな」
何度も開いたり閉じたりしたのだろう、端が少しよれている。
小さく息を整えてから、僕は読み始めた。
『やあ、オーガス君』
『君には強化した魔物が溢れるようにしてほしいって言ったよね』
『なーんかさ、違う感じになってないかな』
『そんなんじゃさあ、こまるんだよね』
『オーガス君を信じて指輪渡したんだよ、わかってるかな』
僕の指先が、わずかに震えた。
「ここから先は……」
「いいの、続けて」
僕は、心の中に怒りを覚えながら、続きを読み進めた。
『それとさ、バルダン王が動いたとか』
『せっかく詰んでたのにね』
『とにかくオーガス君には、これからまた強化個体増やしてもらって』
『平野で噂の掃除屋も探ってほしいんだよね』
『やってくれるよねえ、たのしいねえ』
最後の一行を読み終えたところで、僕は紙をぎゅっと握りしめた。
「……一応想像通りだったね」
ファラの声は落ち着いているのに、喉の奥が掠れている。
きっと何度も、この文面を読み返し、恐怖と悲しみと怒りで涙したのだろう。
「酷い内容だった」
僕は、俯いて拳を強く握りしめた。
「でも、確かに大体予想していた通りだ」
僕は小さく息を吐いた。
(今まで僕たちがやってきたことの全部が、この手紙の中で奴の引っかかりになっている)
「ヴェンドさんが予定通りに行動すれば、きっとすぐ次の展開になると思う」
ファラは、胸元の布をぎゅっと掴んだ。
「……お母さん」
かすかな声で呟く。
その一言の中に、祈りと不安が詰まっていた。
「心配なのは分かる、悲しいのも分かる、怖いのも分かる」
僕は、ファラの方を向き、真剣な声で言った。
「でも、今はできることをやるしかない」
それは、ファラにも、自分自身にも言い聞かせる言葉だった。
「ここで折れたら、向こうの思うつぼだ」
ファラは目をぎゅっと閉じてから、ゆっくりと開いた。
「……うん、私は信じる」
「絶対、お母さんを助けられるんだって」
ほんの少し唇を噛んでから、顔を上げるファラは、いつものファラだった。
⸻
そのころ。
ハンターギルドの一角にある、ヴェンドの狭い部屋。
古びた机の上に、白い紙が一枚置かれている。
ヴェンドは、インクのついたペンを握りしめたまま、しばらく動けずにいた。
「ジーナ……」
誰もいない部屋の中で、そっと名を呼ぶ。
声に出すと、胸の奥の何かが今にも崩れそうになる。
(まだだ……まだ希望はある、絶対に折れるな)
机から一枚のメモを取り出すと、あらためて読み返した。
ファラづたいで受け取った、ホルスからの次の作戦だ。
内容は──
『次のサラームの手紙は、だいたいわかる』
『お前は、自分にできることは命令通りすべてやっている』
『でも、ガルディアが持ち直しつつあると送れ』
『謎の掃除屋に加えて、騎士団も平野に出るようになって、手の打ちようがない』
『もうどうすることもできない』
『そんな感じの内容の手紙を、サラームに送ってくれ』
『絶望した無能を演じるんだ』
『そして、次の動きを待つ』
「絶望した……無能、か」
ヴェンドは、苦く笑った。
(十八年分の、自分への評価と、そう変わらない)
(それでも、ジーナは必ず取り戻す)
今のヴェンドは、一人ではなかった。
部屋の隅には、いつものようにファラの荷物が少しだけ置いてある。
全部、娘との大切な日常の名残だった。
(私はもう絶望などしない)
(希望はあると知った)
ヴェンドは、自分に言い聞かせるように呟いた。
(ホルス、あなたもそう言った)
(十八年分の後悔と怒りを抱えた上で、それでもまだ前を向こうとしている)
(だったら──私は!)
ヴェンドはゆっくりとペン先を紙に下ろした。
『もう何をしても、うまくいかない』
インクが、白紙に滲んでいく。
『ガルディアは持ち直しつつある』
『強化個体は作っても倒され、新しく作るのに時間がかかる』
『掃除屋が大型を軒並み討伐し、さらに騎士団もまた平野に出るようになった』
『手は全て打ったが、もう役に立てることが何もない』
『ジーナ……私は疲れてしまった』
最後の一文を書き終えたところで、ペン先がかすかに震えた。
これは、演技の文章だ。
そう頭では分かっている。
けれど、その文章に嫌気がさした。
(これは過去の私だ)
(もし、希望を見いだせていなかったら、本当にこの文章のようになっていたかもしれない)
(それでも──)
(私は過去は忘れない)
(この絶望も、怒りも、悲しみも、受け入れて前へ進む)
小さく息を吐き、インクを乾かす。
窓の外では、文鳥の小さな羽音がした。
「すまないな」
ヴェンドは、その小さな体を両手でそっと包む。
紐で丁寧に折りたたんだ手紙を足にくくりつけると、窓を開けた。
「行ってくれ」
風が、頬をなでる。
文鳥は一度だけこちらを振り返るようにしてから、空へ飛び立っていった。
小さな影が、屋根の向こうに消えていく。
その背中に、自分の過去と、今と、未来の全部をくくりつけたような気がした。
⸻
それから、さらに数日が過ぎた。
いつものようにギルドに顔を出し、いつものように平野に出て、大型モンスターを狩る。
そんな日々が続いているようで、心のどこかでは、ずっと待っていた。
向こうの、次の手が来るのを。
⸻
王都の夜。
ヴェンドの部屋の窓を、こんこんと控えめな音が叩いた。
胸の鼓動が、一気に早くなる。
窓を開けると、文鳥の影。
震える指でそっと受け取り、足にくくりつけられた紙を解く。
そこには、見慣れた、ねっとりした字が並んでいた。
『やあ、オーガス君』
『絶望しているかい、たのしいねえ』
読んだ瞬間、胃のあたりがきゅっと縮む。
それでも目を離さず、続きを追う。
『ただ、そうも言ってられないかもね』
『僕も動かないといけなくなったんだ』
『ガルディアに行くついでに、ジーナちゃん連れて行くよ』
『元気でたかな』
ジーナでさえ、ただのついでに過ぎないとでも言うように書いてある。
『まあそういうことだから』
『十日後、ライゼル城跡の裏の港の入り江まで来てよ』
『強化した魔物をもっと簡単に作れる道具作ったから、それ持ってくね』
『これでオーガス君も大活躍、たのしいねえ』
最後の軽い一文を読み終えたところで、ヴェンドは紙から目を離せなくなっていた。
指先に力が入りすぎて、紙がくしゃりと音を立てる。
「……きた」
静かな部屋の中で、その声は自分にさえ驚くほど落ち着いていた。
「これでやっと……」
紙を胸元に押し当てる。
「終止符を」
自分に言い聞かせるように、もう一度呟く。
手は震えている。
それでも、その震えを押さえつけるように、拳を握りしめた。
(正直、奴らが怖い)
(長い年月で植え付けられた恐怖が、過去のトラウマが)
(だが、ここで行かなければ、一生、私は……)
「ジーナ……」
もう一度、その名を呼ぶ。
「待っていてくれ」
「今度こそ、私は逃げない」
⸻
数日後の朝。
いつもより少しだけ早く、僕はギルドに足を踏み入れた。
受付の近くには、すでにファラの姿がある。
いつもの柔らかい笑みではなく、何かを押し出すような真剣な表情。
「おはよう」
声をかけると、ファラはびくっと肩を揺らした。
すぐに僕だと気づいて、小さく頷く。
「……フライ」
その瞳には、不安と覚悟が混ざっていた。
「お父さんに手紙が来た」
「っ!」
予想はしていたはずなのに、心臓がどくんと大きく跳ねる。
「サラームが……」
ファラは、懐から小さく折られた紙を取り出す。
「内密にお父さんに接触しようとしてる」
十日後、ライゼル城跡の裏の港。
ジーナさんを連れて。
そういう内容だと、ファラは短く説明した。
紙を握る手の震えは、さっきよりも強い。
「これ」
ファラは、もう一枚、小さな紙を取り出した。
さっきのものよりさらに小さく、ぎゅっと折りたたまれている。
「ホルスさんに渡して」
「わかった」
僕は、真剣にそれを受け取った。
「ちゃんと渡すよ」
「お願い」
ファラは小さく頭を下げた。
今にも泣き出しそうな顔なのに、涙はこぼさない。
その強さが、胸に刺さる。
紙を懐にしまいながら、僕は静かに息を吸い込んだ。
「ホルスさんたちと作戦を詰める」
「ファラ」
僕は、ファラの目をまっすぐ見た。
「必ず、迎え撃つ準備を整えるよ」
「うん」
ファラは、小さく、でもはっきりと頷いた。
「私も、負けない」
僕は、懐の紙にそっと手を当てる。
そして、ギルドの扉を押し開ける。
街の向こうには、白い城壁が見える。
そのさらに平野の向こうに、ライゼル城跡がある。
僕は拳を握りしめ、震えていた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
次話も読んでいただけると嬉しいです。




