第五十二話 帰る場所
「はっ……はっ……!」
足音と弾む吐息が、地下から続く廊下に響き渡る。
ホップは、半ば夢の中を走っているような感覚だった。
(処刑じゃなかった……)
(自由って、ガレオンさんは言ったけど……)
半年ものあいだ、狭い小部屋で朝と夜を数えてきた。
外の空気を吸うことさえ許されなかった身だ。
城の裏口へと続く階段を上がるたび、現実感が一歩ずつ遠のいていく。
(俺……ほんとに、ここから出ていいのか?)
胸の奥で、ざわざわとした不安と期待が混ざり合う。
最後の踊り場を駆け上がり、鉄の扉を押し開けた。
⸻
薄曇りの空。
人気のない裏庭。
そこに、ローブを目深にかぶった二つの人影が立っていた。
「……誰だ?」
足を止めて、息を整える間も惜しんで問いかける。
その瞬間、ふいに、懐かしい匂いがした。
(……まさか)
ローブの人物が、ゆっくりと両手を上げる。
フードをつまみ、ぱさりと外した。
見慣れた顔が、そこにはあった。
「フライ!!」
もう一人もフードを外す。
どこか不器用な笑み。
「……親父!!」
声が、勝手に出た。
「ホップ!!」
僕が、先に叫んだ。
「おかえり!!」
その言葉を聞いた瞬間、ホップの膝から力が抜けそうになった。
遅れて、低い声が続く。
「……よお、ホップ」
ホルスさんが、照れたように口角を上げた。
「久しぶり……だな」
ホルスさんの目元にも、光るものが見えた。
抑えていた何かが、一気にほどける。
ホップは、もう我慢できなかった。
「──っ!」
駆け出していた。
城のことなんて、王の命令なんて、何もかも吹き飛んだ。
ただ、あの二人のところへ。
「おっ!」
僕の胸元に、勢いよくぶつかる。
「ホップ!」
僕の手が、ぎゅっと背中を掴む。
肩越しに、もう一つ大きな腕が伸びてきて、ホルスさんの手が、ホップの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「……遅くなったな」
震えた声だった。
「帰るぞ」
ぽつりと。
「それと……」
ホルスさんの喉が詰まる。
「すまなかった……」
その一言で、ホップの胸の奥にずっと溜まっていたものが、決壊した。
堪えていた涙が、一気にあふれ出す。
「二人とも……」
声が震えて、うまく出ない。
それでもなんとか言葉を紡ぐ。
「ただいま」
ホップの腕が、僕の背中に回る。
ホルスさんも、二人まとめて抱きしめるように腕を回した。
ガルディア城の裏庭に、すすり泣きと笑い声が混じって響く。
⸻
しばらくして、ようやく三人は息を整えた。
「俺なら、大丈夫さ」
ホップは、涙で濡れた頬を腕でごしごしと拭った。
「でもよ……」
少し顔を上げる。
「なんで──」
言いかけたところで、ホルスさんが短く言った。
「積もる話は山ほどあるが、まずはここから離れるぞ」
周りを一度見回す。
頷いて、僕はローブの中から包みを取り出した。
「ホップ、これ」
フード付きのローブを差し出す。
「目立つとまずいから。とりあえず、これ被って」
「お、おう」
ホップは言われるままにローブを羽織る。
フードをすっぽりと被る。
(……ホントに、地下から出たんだな)
城を背にして三人で歩き出す。
(ああ──)
ようやく少し実感が湧いてきた。
(俺、外にいる……)
(一人じゃない。親父と、フライと一緒だ)
⸻
ほどなくして、三人は城下町の一角にある宿へとたどり着いた。
いつもの宿だ。
「あらためて」
僕は、椅子に腰を下ろしながら笑った。
「ホップ、おかえり!」
ホップも笑った。
「ああ、ただいま!」
「……でもよ」
ホップは天井を見上げて、少しだけ真面目な顔になる。
「どうしてこんなことになってんのか、いまだによく分かってないんだよな」
「そうだよな」
ホルスさんが肩をすくめる。
「そこはちゃんと説明しねぇと、さすがに混乱するだろう」
「じゃあ、全部話すよ」
僕は、少し息を整えてから話し始めた。
ホップが地下に入れられた理由。
あの日、王家の剣を振れてしまったことから始まった騒動。
バルダン王が板挟みになっていたこと。
ホルスさんが“剣巧シグル”という名前で過去に軍神ライゼルに仕えていたこと。
ホップが軍神ライゼルの息子、ブラーヴであること。
ライゼルと城の最期。
サラームが仕掛けた闇。
ヴェンド──オーガスの罪と、十八年の地獄。
そして、僕自身のテイムと、テイムバンクのこと。
ホルスさんも途中で言葉を継ぎ、足りないところを補っていく。
ホップはその間、ただ黙って二人の顔を見ていた。
時折、拳を握り。
時折、目を伏せ。
それでも、目を逸らさず、最後まで聞き切った。
⸻
「……嘘だろ」
話が終わったあと、ホップはぽつりと呟いた。
「全部、御伽噺みてぇだな」
宿のランプの火が揺れている。
外からは、かすかに夜のざわめきが聞こえてきた。
「俺が、軍神ライゼルの息子で」
ホップが、自分の胸を軽く叩く。
「ブラーヴだって?」
「本当だ」
ホルスさんが、静かに言う。
「全部、この十八年の狂った歯車のせいで起こった事実だ」
ホップは、しばらく天井を見つめていた。
やがて──
「まぁ、いっか」
「は?」
思わず僕は聞き返す。
「まぁいっかって、ホップ……」
「だってよ」
ホップは、苦笑いしながら肩をすくめた。
「実感ねぇんだよな」
「軍神がどうとか、王家がどうとか、ブラーヴだとか」
「親父は親父で」
ホルスさんの方を見る。
「フライはフライで」
今度は僕を指さす。
「俺は、俺なんだよ」
言いながら、ホップは笑った。
「色々すげぇ話聞かされたけど」
胸のあたりをぽん、と叩いた。
「ここは、なーんも変わんねぇんだよな」
沈黙。
すぐに、ホルスさんが顔を覆った。
「お前ってやつは……」
笑いともつかない声が漏れる。
「色んな意味で、気にしなさすぎだ」
「でもさ、それがホップだよ」
僕は小さく笑った。
ホルスさんも、肩を落としつつ笑う。
「……だな、ちげぇねぇや」
「正真正銘、俺の息子だ」
「似すぎなんですよ」
僕は即座に言う。
「うるせぇ」
「うるせぇ」
二人のツッコミが見事に重なった。
狭い部屋の中に、懐かしいアルミ村の空気がふっと蘇ったようだった。
⸻
「……で」
僕は真面目な顔に戻る。
「バルダン王は、うまくやってくれるでしょうか?」
「ああ」
ホルスさんが頷く。
「城内と貴族どもの顔色を見ながら、ちゃんと収めてるさ」
「明日になったら、結果が分かる」
「今は気にすんな」
ホルスさんは、ホップの顔を見た。
「気にすんな、ですか」
僕は苦笑する。
「……よし」
ホルスさんは、椅子から腰を上げた。
「経緯の説明は終わりだ」
「これからの話に移りてぇ──」
「その前にいいか、親父、フライ」
ホップが、手を上げた。
「なんだ」
「うん?」
「俺はどうしても、サラームって国の奴らが許せねぇ」
ホップの目が、ふっと鋭くなる。
「どうにかして、一発ぶん殴ってやりてぇ」
一瞬の沈黙。
「僕も同じ気持ちだよホップ」
「そうだな」
ホルスさんも頷きながら続けた。
「ホップ、まさにそのことなんだ」
僕も頷く。
「僕もサラームは許せない」
「ヴェンドさんに、ファラに、ジーナさん」
「ライゼル、滅ぼされた城の人たち、それにホップ」
僕は、指を折りながら名前を挙げる。
「全部のツケを、払ってもらう」
「何より僕は、ジーナさんを助けたい」
ホルスさんが、ゆっくりと頷いた。
「そこまで行かないと、この作戦は終われねぇ」
「……そうか、そうだよな!」
ホップが、拳を握る。
「サラームを、炙り出す」
ホルスさんが僕とホップを見て言う。
「明日には、大罪人ホップは処刑されたことになる」
「そうすりゃきっと、ヴェンドにサラームから指令が来ると見てる」
「……」
ホップは、少しだけ眉を寄せた。
「明日だ、明日からこの作戦は動く」
ホルスさんが、ゆっくりと言った。
「少なくとも、この国は大きく動く、それからだ」
ホップは、しばらく黙って考え込んだ。
そして、ふいに顔を上げる。
「……明日なのは分かった」
「それからなのも、分かった」
「でもよ」
ホップが、真剣な顔で二人を見る。
「一つ、どーしても信じらんねぇことがある」
「ん?」
「なんだ?」
「テイムバンクってなんだそりゃ!?」
ついに本音が炸裂した。
「今!?そこ!?」
僕は盛大にずっこける。
「ありえねぇだろ!」
ホップがテーブルをばしばし叩く。
「なんだそれ! やばすぎんだろ! お前、人間やめたのか!?」
「いや、人間ですけど!?」
僕は全力で否定する。
その瞬間──
(のんっ!)
僕の胸元から、ぷるんと何かが飛び出した。
透明なゼリーみたいな体に、小さな瞳。
スライムのムーが、ぽよんとホップの頭に飛び乗る。
ぴょん、ぴょん、と跳ねながら、楽しそうにしている。
(のん)
(のんのん)
(のんのんのんのんのん)
「……」
ホップは、しばし固まった。
「いやな」
額に乗ったムーが、ぷるぷる震える。
「色々聞かされたけどよ」
ホップは、ゆっくりと息を吐いた。
「これが一番効くわ」
心の防御力がごっそり持っていかれた顔をしている。
「えーい!」
次の瞬間、ホップが頭をがしがしと掻く。
「もうちょっとやそっとじゃ驚かねぇ!」
「だからフライ」
ホップはぐっと顔を近づける。
「テイムバンク、見せてくれよ」
「……まぁ、いいだろ」
ホルスさんが笑う。
「こんなもん、見せられるまで信じられねぇのは分かる」
「じゃあ、誰に来てもらおうかな」
僕は、胸の内側に意識を向ける。
「パン、呼んでみようか」
(え、パン!?)
パンの声が弾む。
(テイムバンク、ひさしぶり!)
(ワクワクするね)
「じゃあ──」
僕は立ち上がり、足元に視線を落とす。
「いくよ!」
「〈〈テイムバンク〉〉」
足元に、白い魔法陣がふわりと浮かび上がる。
光の輪が広がり、淡い白煙が立ち上った。
その中から、白い体が飛び出す。
一角ウサギのパンが、部屋の真ん中に着地した。
(うわぁ)
パンが、辺りを見回す。
(呼ばれて応えたら、違う場所でびっくりするね)
(これも、慣れだな)
パディットが、どこか得意げに言う。
(そうだな)
ネールも同意した。
「……」
ホップは、言葉を失っていた。
しばらく見つめ続けて。
やっとのことで、声を絞り出す。
「なんでもありかよ、もう……」
「俺が村にいない間に、こんな技身につけやがって」
ホップは、僕の肩をがしがし掴んだ。
「痛い痛い痛い!」
「でも、ホップも王家の剣使えるんでしょ?」
「……なんだか自分でも信じらんねぇが」
ホップは苦笑する。
「そうみてぇだな」
ホルスさんが、そこで口を開いた。
ホルスさんの目は、まっすぐホップを見ていた。
「お前は、王家でもあるが、それとも違うものも持っている」
「違う……?」
ホップが首を傾げる。
僕も、思わず聞き返していた。
「違うものって何ですか?」
ホルスさんは、一度だけ目を閉じる。
十八年前の戦場の記憶が、よみがえった気がした。
ライゼルの背中。
目を開けて、ホップに告げる。
「剣聖の血だ」
その言葉が、静かに部屋に落ちた。
──
ホップは、ようやく帰る場所に戻り、
同時に、向かうべき場所へと歩き出す第一歩を踏み出したのだった。
第二章 ガルディア救出編 完
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
二章完結です。
ようやくホップ救出まで書けました。
直しも色々やりながら、物語を紡げたかなと思っています。
自分としては、二章は旅を楽しく書けたと思っています。
次章も読んでいただけると嬉しいです。




