第三十二話 前線の街
(……フライ)
ネールの声がする。
(見つけたぞ、街だ)
(前方、……そうだな、徒歩三十分ほどか)
(……本当?)
思わず、顔を上げた。
少し霞んだ地平線の向こう。
草の色が切り替わるところに、四角い影が連なっている。
ネールの背に乗っている、ムーの声が響いた。
(早く行くのん)
(ポーションだけじゃ持たないのん)
(……ありがとう、ネール、ムー)
ホルスさんを支さえながら、僕は頷く。
「ホルスさん、前方三十分ほどの距離に街があります」
「大丈夫ですか?」
「……歩けてる」
ホルスさんは、短くそう言った。
「大丈夫だ……」
でも、足取りはさっきから少しずつ重くなっている。
右足を引きずり気味だし、返事もどこか、ワンテンポ遅い。
意識が飛びそうなのを、なんとかこらえてる感じだ。
脇腹の包帯も、ポーションで血の勢いは弱まったとはいえ、まだじわっと赤く染まっている。
周りの平野には、相変わらずモンスターの気配がちらほらとあった。
でも、今は一匹たりとて、対処している時間はない。
「……もし、モンスターが出たら」
思わず、口に出してしまう。
(任されよう)
すぐに、ネールの声が返ってきた。
(空から、すべて見ている)
(フライの進路に寄ってくるやつは、片っ端から追い払ってやろう)
(ムーもいるのん)
(……うん、頼んだよ)
それだけ言って、僕は足を速めた。
⸻
やがて、トックの街が、はっきりと見えてきた。
近づくにつれ、その姿はだんだん輪郭を持ってくる。
高い塀。
分厚そうな外壁。
大きな鉄の門。
ところどころから突き出た石造りの塔には、見張りの兵士が立っているのが見えた。
城壁のあちこちに、昔の戦いの名残みたいなひびや、黒ずんだ焦げ跡が残っている。
ガルディア城塞都市の前線拠点。
そう呼ばれる街にふさわしい、無骨な姿だった。
門の前の岩陰まで来たところで、立ち止まる。
僕は、ホルスさんをゆっくり座らせる。
(ネールはここまでなのん)
ムーが、小さく囁く。
(街の中は目立ちすぎるのん)
(……だね)
空を見上げると、白い影が一つ、こちらを見下ろして旋回していた。
(フライ)
ネールが、静かに言う。
(私は、牧場で待つ)
(ありがとう)
僕は、小さく息を吸う。
僕は、杖を構えて、器に意識を向ける。
「〈〈テイムバンク〉〉」
足元に白い魔法陣が浮かび、同じ紋様が一瞬だけ輝く。
ネールの姿がふっと揺らめき、そのまま消えた。
(ムーもローブの中なのん)
(うん、お願い)
ムーがローブにスルスル入っていくのを待ってから、僕は門の方へと歩いていった。
⸻
トックの門は、まるで城の一部みたいだった。
厚い木の扉には鉄の補強がされていて、その上からさらに鉄板が張られている。
門の上には、槍を持った兵士が数人いた。
そのうちの一人が、僕たちに気づいて手を振った。
「おーい!」
がなり声が、塀の上から降ってくる。
「そこの二人! 旅人か? 商人か? ハンターか?」
「……旅人です!」
僕は、なるべくはっきりした声で答えた。
「モンスターとの交戦で、仲間が負傷しました!」
「手当を、お願いしたいです!」
「怪我人か!」
門にいた兵士の一人がこちらに近づいてきた。
「どれ……」
僕とホルスさんとを見比べ、ホルスさんの包帯を見た瞬間、顔色を変えた。
「こりゃ……ひどいな」
「おーい、門を開けろ!」
飛んだ声に、門の内側でもバタバタと人の動く音がした。
やがて──
重たい音を立てて、トックの門がゆっくりと開いていく。
⸻
中に入ると、すぐ内側にも数人の兵士がいた。
そのうちの一人が、ホルスさんのそばに駆け寄る。
「ちょっと触るぞ」
腕を貸すように支えながら、傷口をちらりと見る。
「……刺さった痕か」
包帯の隙間から覗く肌は、まだ赤黒く染まっていた。
「何と戦ってたんだ?」
兵士が問う。
「ドラワムというモンスターです」
僕が答えると──
「ドラワム!?」
兵士の目が、大きく見開かれた。
「あの沼地の主、ドラワムか!?」
「はい」
「……あれを、相手にして逃げてこられたのか?」
「……いえ」
「ドラワムは倒しました」
自分で言っていて、少しだけ現実味が無かった。
「え、倒した!?」
兵士は、一瞬だけ口を閉じると、すぐに首を振って言った。
「とにかく、今は治療が先だ」
「街の西側に治療所がある」
「通りをまっすぐ進んで、広場を左手に抜けた先だ」
「急げ!」
「ありがとうございます!」
僕は、深く頭を下げた。
「行けるか?」
兵士が、ホルスさんに声をかける。
「……大丈夫だ」
ホルスさんは、短く答えた。
足取りはふらついている。
「……行こう」
僕は、ホルスさんの腕を肩に回し直し、治療所の方角へと歩き出した。
⸻
トックの街は──
思っていたよりも、ずっと戦いの匂いのする街だった。
門から伸びる通りは広く、その両脇には石造りの建物が並んでいる。
家々の壁には、小さな盾や古い槍が飾られているところも多い。
行き交う人の中には、荷物を抱えた商人だけでなく、鎧姿の兵士や、武器を持った人たちも目立った。
通りの先には、小さな広場。
その周りから、四方に道が伸びているのが見える。
北側は、住宅街らしき落ち着いた建物が並び。
東側には、店がひしめく商業区らしい賑わい。
南側の方には、工房や兵士の詰所らしき無骨な建物。
そして、西側──
そこに、僕たちの向かう治療所がある。
⸻
治療所は、白い壁の大きな建物だった。
入り口の上には、簡素な治療のマーク。
扉を開けると、中は外から見た印象通り広くて、待合用の長椅子がいくつも並んでいる。
奥には、仕切られた治療室の扉がいくつか。
壁には、ヒーラーが使うのだろう魔法陣の図が、説明と一緒に貼ってあった。
「すいません!」
僕は受付カウンターの前まで駆け寄る。
「モンスターとの戦闘で怪我をしました! 治療をお願いしたいです!」
「わかりました」
カウンターの向こうにいた中年の男性ヒーラーが、こちらを見るなり顔をしかめた。
「こりゃ……ひどい」
カウンターから出てきて、ホルスさんの傷口をざっと確認する。
「分かりました。すぐに治療室へ」
僕の返事を待たず、男性ヒーラーはクロークを羽織ってホルスさんの反対側に回った。
「担ぎ込みます」
「はい!」
僕と男性ヒーラーでホルスさんの体を支え、そのまま奥の扉のひとつへと運んでいく。
⸻
治療室の前で、若い助手のヒーラーが待っていた。
「こっちは任せてください」
「あなたは……」
僕をちらっと見てから、待合の方を指さした。
「こちらで、お待ちください」
「……分かりました」
僕は、名残惜しくホルスさんを見送る。
扉が閉まる瞬間、一瞬だけ目が合った。
その目に宿った、まだ大丈夫だという意思だけを頼りに、僕は待合室へ戻った。
⸻
待合室は、思ったより混んでいた
今いるのは、僕と、隅の方で咳き込んでいる老人と、何かを待っている兵士が数人、ハンターらしき集団が包帯姿で座っている。
長椅子に腰を下ろすと、どっと疲れが押し寄せてきた。
膝の上に置いた手が、少し震えている。
(心配だね)
パンの声が響いた。
(でも、ホルスならきっと大丈夫だよ)
(頑丈さが取り柄みたいなもんだしな)
パディットが、少しだけ茶化す。
(あの傷で動いてた時点で、人間の体力じゃない)
(……うん)
今は、その言葉にすがりたい。
⸻
どれくらい時間が経ったころだろう。
待合室の扉が開いて、一人の兵士が入ってきた。
さっき門のところにいた兵士だ。
「君」
兵士が、僕の方へ歩いてくる。
「さっきの旅人だね?」
「はい」
「少し、話を聞かせてもらってもいいか?」
「……大丈夫です」
僕は背筋を伸ばした。
「沼地には、どうして行った?」
「この辺りのモンスターを、討伐しようと思って」
「助かるよ」
兵士は、ふっと笑った。
「この辺りも、最近はモンスターが大型化してきていてね」
「元々、王都からハンターや騎士団を派遣してもらっていたんだが……」
そこで、言葉を切る。
「その王都からの派遣が、近年目に見えて減ってきていてね」
「減ってる……」
(やっぱり)
パンが小さく呟いた。
(橋の兵士も、モンスターが増えてるって言ってたもんね)
(街の周りにも、強そうなのがちらほらいる感じだし)
「君たちがドラワム倒してくれたのは、本当に助かる」
「あいつのせいで、この街から外に出るのも命懸けだったんだ」
兵士が続ける。
「いや、助かるなんてもんじゃないな」
「本来なら、ハンターギルドから依頼を出して、隊を組んで挑むクラスだ」
「そんな……」
僕は、戸惑いながら首を振る。
「ガルディアに行く途中でしたので」
兵士が、目を丸くする。
「途中でドラワムを二人で、狩るやつなんて、そうそういないぞ」
「すごく強いんだな、君たち」
(すいません、二人じゃなくって、二人と二匹です……)
「……えっと」
褒められているのに、素直に喜べなく苦笑いをする。
「どこから来たんだ? ドーナの方か?」
「そうです」
「ドーナの方が、まだマシだからな」
兵士は、ふう、と息を吐いた。
「川の向こうにいれば、まだモンスターの数も少ない」
「こっちはほら、ウルズ大森林の方角だからな」
「うむ、だいたい事情は分かった」
兵士が、改めて僕を見る。
「ありがとう」
「できれば、もっとこの辺りを狩ってくれると、街としてはありがたいが……」
「まぁ、まずは一緒に来た人が良くならないとな」
「……はい」
「ありがとうございます」
僕が頭を下げると、兵士は軽く手を上げて、治療所を後にした。
⸻
(やっぱりハンターが減ってるのん)
ムーの声が響く。
(街の人たちも、困ってるのん)
(……王都に、何が起きてるんだろう)
でも、今はとにかくホルスさんが、どうなったのか。
その答えが欲しかった。
⸻
しばらくすると、治療室の方から足音が近づいてきた。
振り返ると、さっきの男性ヒーラーと、助手の若いヒーラーがこちらに歩いてくる。
「お待たせしました」
助手のヒーラーが、丁寧に頭を下げた。
「先ほど、治療が終わりました」
「……!」
「無事です」
ヒーラーが、はっきりと言った。
「ただ、出血も多く、体力もかなり削られています」
「今は眠っています」
「ですので、今日はこのまま預からせてください」
「……よかった」
全身から、力が抜けた。
「ありがとうございます、本当に」
「明日も、来ていただけますか?」
「はい、必ず」
ヒーラーたちにもう一度礼を言ってから、僕は治療所を後にした。
⸻
外に出ると、空はすでに夕方の色に染まり始めていた。
通りには、家路を急ぐ人と、これから店を開ける人と、いろんな音が混ざっていた。
(フライ、今日はどうするの?)
パンが、ぽつりと聞いてくる。
(もう夕方だし、今日は宿を探そうかな)
(そうだね)
パンが、安心したように笑う。
(街の中なら、ゆっくり眠れるのん)
ムーが、ローブの中でぷるぷると揺れている。
⸻
広場まで戻ると、真ん中に小さな噴水があった。
大人たちがベンチで談笑している。
そこから伸びる四つの道。
北は、灯りの少ない住宅街。
南は、鍛冶屋や工房の音が響くエリア。
西は、さっきの治療所や兵士の詰所。
そして、東側──
「……あっち、かな」
僕は、東の道を選んだ。
鮮やかな看板が並び、人の声が賑やかに響いている。
そして、少し奥まったところに──
「宿、だ」
ランプの光に照らされた木の看板。
宿の中は、温かかった。
木の床。
壁には簡単な絵や、棚にはアンティークな小物。
カウンターの向こうには、丸い腹の宿の主人らしき人が立っていた。
「いらっしゃい」
主人が、こちらを見て言う。
「一人かい?」
「はい」
「一泊、お願いしたいです」
「はいよ」
主人は、カウンターの下から帳簿を取り出した。
「夕食は、もう少ししたら出るよ」
「部屋は二階だ」
鍵をひとつ差し出す。
「ありがとうございます」
鍵を受け取り、二階へと上がる。
⸻
部屋は、小狭いが清潔だった。
窓と、小さな机と椅子。
そして、ベッドが一つ。
「……」
ベッドに腰を下ろすと、体がどっと重くなった。
(戦いには、覚悟がいる)
頭の中で言う。
(今日みたいに、誰かが傷つくことはある)
(もっと言えば──)
(命を落とすことだって、ありえる)
分かっていたつもりだった。
今までも、危ない戦いは何度もあった。
でも、ホルスさんの血が、自分の手についたのを見た時。
ドラワムの棘を、自分で引き抜くときの悲鳴を聞いた時。
怖くなった。
戦うことが。
(フライ)
パディットの声が響く。
(何かのために戦うってことは)
(何かを守る代わりに、何かを傷つけるってことでもある)
(ホルスだって)
パンが続く。
(自分が守らないといけないもののために、ずっと戦ってきたんだよ)
(守る。 僕はホップを助けたい)
ガルディアの城が、今どうなっているのか。
周りに潜む強敵たち、赤目の件も。
やらないといけない使命がある気がした。
(自分にできることを)
拳をぎゅっと握る。
(……そうだな)
パディットが言う。
(でも、お前一人で全部背負う必要はない)
(みんな、そのためにフライと一緒にいる)
(……うん、ありがとうみんな)
気づけば、瞼が重くなっていた。
⸻
どれくらい眠っていたのか、気がついたら、窓の外はすっかり暗くなっていた。
宿の主人がノックして、夕食を持ってきてくれる。
柔らかいパンと、温かいコーンスープ。
少しの野菜と、薄く切った肉。
一口食べて、涙が出そうになった。
生きてここまで辿り着いた、それだけで十分だった。
ベッドに潜り目を閉じる。
ドラワムの叫び声と、ホルスさんの悲鳴が、何度も頭の中で繰り返された。
やがて、そんな音の全部が、少しずつ遠ざかっていった。
⸻
翌朝。
窓の外から、鳥の声と、人の声が混ざった賑やかな音が聞こえてきた。
体を起こすと、筋肉痛が全身に広がる。
「……行こう」
顔を洗って、簡単に身支度を整える。
今日の分の宿代の払い外に出る。
トックの街は、もうすでに動き出していた。
(ホルス見に行くのん)
ムーが、ローブの中で弾む。
(うん)
僕は、大きく息を吸い込んだ。
広場を抜け、西の通りへ。
治療所の白い壁が見えてくる。
昨日と同じ扉の前に立ち、取っ手に手をかける。
心臓が、どくん、と鳴った。
「……ホルスさん」
小さく名前を呼んでから、僕は治療所の扉を、静かに開けた。
読んでくださり、ありがとうございました。
前線の街の様子や、モンスターとの掛け合いを中心に書いてみました。
次話も読んでいただけると嬉しいです。




