第二十九話 橋の上の雷鳥
ドーナの街を後にして、川沿いの道をしばらく歩いた頃だった。
「……おお」
思わず、声が漏れる。
視界の先に、ドーナ川をまたぐ、巨大な橋。
ドーナ大橋。
近づけば近づくほど、その大きさがよく分かった。
幅は、家が三軒並んでもまだ余るくらい。
長さは、向こう岸が白くかすんで見えるほど。
「すご……」
川面から吹き上げる風が、橋の下から頬を撫でていく。
「ほんとに、橋なんですね、これ」
「そうだな」
ホルスさんが短く答える。
「ここを渡るには、馬車で小一時間はかかるって言われてる」
橋の中腹には、石造りの見張り塔が二つ。
そこから旗がはためいている。
ドーナ橋砦。
川を渡る唯一の連絡路を守る、小さな城塞だ。
「この橋の恩恵で、王都周辺の治安が成り立っていると言ってもいい」
ホルスさんが、手すり越しに川を見下ろす。
ドーナ川は広く流れも速い、簡単に船を出せる川ではなさそうだ。
「実際、この橋を抜けたら、モンスターの数は一気に減る」
「川が、巨大な堀みたいな役割をしてるんだ」
「まぁガルディアの近くのウルズ大森林を越えれば向こうには出られるんだがな」
「なるほど……」
「要はガルディアは城塞都市でもあるが、同時に川にも守られてるわけだ」
「そのおかげで、二千年以上の繁栄が続いてる」
「二千年……」
想像もつかない年月だ。
「何か、アルミ村みたいですね」
ぽつりと言う。
「こんなに守られてるって、何か似てるなって」
「アルミ村と一緒にすんな」
ホルスさんが、あっさり否定した。
「村は異常なんだ」
「数百年、モンスターが出ないなんて、旅をしていても、聞いたことがない」
この橋とは、また別の種類の守り。
⸻
(ムー、川に着いたよ)
僕はムーに伝える。
(ムーは……)
するとムーの声が響いた。
(ムーはずっと帰りたかったのん)
(……そうだよね)
僕は小さく頷く。
(でも、フライと行きたいのん)
(フライといて、みんなといて、楽しかったのん)
その言葉に、胸がきゅっとした。
(一緒にいていいのん?)
(もちろんだよ……心強いよ)
ローブ越しに、そっと胸元を押さえる。
(ありがと、ムー)
(改めて、よろしくね)
(よろしくなのん)
(ムーは、フライの友達なのん)
(うん)
こうしてスライムのムーは、牧場の正式な仲間になった。
⸻
そうして、ドーナ大橋を渡り始めて少しした頃。
(む?)
そこで、器から声が響く。
ネールだ。
(フライよ)
(空から、何か来るぞ、気配だ)
「え?」
思わず、顔を上げる。
橋の上では、キャラバンの馬車がゴトゴトと音を立てて進んでいる。
「どうした」
ホルスさんが、肩の荷物を持ち直しながら問う。
「ネールが、空から何か来るって」
「空から……?」
ホルスさんが、嫌な予感でもしたように顔をしかめた、その瞬間。
「っ!」
空から、何かが飛んできた。
巨大な翼、鋭い鉤爪、鋭い黄色の眼。
鷲をそのまま何倍にもしたような、鳥型モンスター。
イーグルキック。
それが、僕の背中の食料袋をがっちりと掴んだ。
「うわっ!」
体がぐいっと持ち上げられる感覚。
慌てて紐を握りしめる。
「まずい!」
ホルスさんが叫ぶ。
「食料はまずいぞ、絶対渡すな!」
「っ、心を見ます!」
胸の器に意識を沈める。
目の前の巨大な鳥の目を直視して気配を探る。
(たべもの もってかえる)
「この食料を、持って帰るつもりみたいです!」
「巣に持って帰るか……放す気はねぇってことか!」
イーグルキックが、大きく翼を広げる。
ぶん、と風が巻き起こり、橋の上の砂埃が舞った。
「あっ――!」
紐が手から滑りかける。
次の瞬間。
食料袋が、僕の手から離れた。
イーグルキックは、袋をしっかりと鉤爪で掴み直すと、そのまま空へと羽ばたいていく。
「っ……!」
(ネールさん!)
胸の中で呼びかけると、すぐに返事が返ってきた。
(呼んだな)
ネールの頼もしい声。
(私を呼ぶがいい)
(必ず取り返してみせよう)
(空は、我が領域!)
僕は橋の上を、ぐるりと見渡す。
けれど、僕たちのすぐ周りには、今のところ人影は少ない。
「ホルスさん」
「……分かってる」
「ここまで来て食料がありませんは、洒落にならん」
「今なら、周りに人もほとんどいねぇ」
ホルスさんが、短く頷く。
「やれ、フライ!」
「はい!」
イーグルキックは、すでに橋のかなり上空へと舞い上がっていた。
(ふん、あの高さなら範囲内だ)
ネールの声は、少しも不安を含んでいなかった。
「行きます!」
器から魔力とネールの気配を一本の線にする。
「〈〈テイムバンク〉〉」
足元に、白い光の魔法陣が浮かび上がる。
たゆたう光の円から、ふわりと影が立ち上がった。
茶色い羽。
鋭い眼。
ネールが姿をあらわした。
ホルスさんがすかさず一歩前に出て、視線を遮る。
その間に、ネールが大きく翼を広げた。
(その速さで、私を振り切れると思っているのか?)
ネールが、上空のイーグルキックスを睨む。
くちばしの横で、ふっと羽繕いをひとつ。
(いざ、参る!)
次の瞬間。
「っ!」
視界から、ネールの姿が消えた。
その身は、まるで風そのものになったかのように、一直線に空へと駆け上がっていった。
あっという間に、イーグルキックと同じ高さまで追いつく。
(任せましたよ、ネールさん)
(まかされよう)
巨大な橋の上。
そのさらに上で、空の高みで二つの影が向かい合った。
一方は、大鷲型モンスター、イーグルキック。
もう一方は──
(フン)
翼を大きく広げ、風を切る音をわざと響かせる。
(私は雷鳥ネール)
(名を持たぬ雑兵に、負ける道理はない)
(来い)
ネールは翼をひと振りした。
だが、イーグルキックは襲いかかってはこない。
奪い取った食料袋をしっかりと爪でつかんだまま、さらに高く、上空へと舞い上がろうとしていた。
(拍子抜けだな)
ネールが、くちばしの端をわずかに上げる。
その瞬間、喉から、鋭い鳴き声が響き渡った。
「ピィィィィーーーッ!!」
空気がビリビリと震える。
(〈〈エクレール〉〉)
雷鳴が響く。
すると、稲光がイーグルキックの身体に直撃した。
「ギャァッ!!」
大鷲の悲鳴。
羽が逆立ち、筋肉が痙攣する。
その瞬間、僕は慌てて心の中で叫んだ。
(食料は、傷つけないで!)
(承知)
痺れたイーグルキックの動きが鈍った瞬間、ネールの身体が疾風のように空を駆ける。
鋭い鉤爪が、イーグルキックの足を器用にこじ開け、食料袋だけを奪い取る。
「ンッギャ!」
袋を失ったイーグルキックが、空中で体勢を崩した。
ネールは、奪い返した袋をしっかりと抱えたまま、滑空して僕たちの方へ戻ってくる。
「ネールさん!」
僕は両手を広げる。
ネールはそのすぐ上をかすめるように飛びながら、器用に食料袋を僕の腕に預けた。
「わっ」
重さに、一瞬ふらつく。
すぐさま中身をざっと確かめる。
干し肉も乾パンも、袋の外側が少し焦げているくらいで済んでいた。
「……大丈夫、無事だ」
(まだ奴は諦めておらん、しっかり握るがいい)
(分かった)
僕は、食料袋を抱きしめるようにして身体の前に抱え直す。
ネールはすぐさま翼を翻し、もう一度空へと舞い上がっていった。
⸻
「グワァァァァァァッ!」
食料を奪われた怒りからか、イーグルキックが橋の上まで響き渡るほどの大声をあげた。
(フライの元へは行かせん)
ネールが真正面から迎え撃つ。
(来い! 相手は私だ!)
イーグルキックが、鉤爪を突き出して突っ込んでくる。
だが、その鉤爪は空を切った。
するとネールの姿が、ふっと視界から消える。
イーグルキックのわずかな驚きの気配。
次の瞬間には、ネールは一瞬で空中を一回転しながら、翼の角度だけで風を掴む。
(遅いな)
そう言うと鉤爪を振り下ろした。
イーグルキックスの巨体が、衝撃に耐えきれず、ぐらりと傾いた。
(でかいだけとは、実に残念だな)
ネールが、ため息交じりに言う。
(この程度の速度も見えぬようでは、もはや語ることはあるまい)
もう一度、ネールが鳴き声をあげる。
「ピィィィィーーーッ!!」
「〈〈エクレール〉〉」
さっきよりも、さらに鋭い雷。
今度は、イーグルキックの翼の付け根から、胸の辺りまでを貫いた。
稲光が羽の間を駆け抜ける。
イーグルキックの身体から、力がすっと抜けた。
「グ……ァ……」
その巨体がやがて、空を羽ばたくことをやめた。
大きな影がゆっくりと、橋の下を流れる川へと落ちていった。
水飛沫が高く上がるのが、橋の上からでも見えた。
(ふむ)
ネールが羽繕いを一度だけして、余裕の顔でこちらへ戻ってくる。
(もう少し手ごたえが欲しいといったところ)
胸の奥で、パディットが感心したように笑う。
(やるじゃねぇか、お前)
(我は雷鳥!空の支配者!)
(はいはい)
パディットが今度はあきれて言った。
「……まずいぞ、フライ」
ホルスさんが周り見回して言う。
「ネールを牧場に戻しますか?」
橋の上には、数台の馬車と、少し離れたところに商人たちの姿が見える。
みんな、ただ上空を見上げているだけで、こっちをまじまじとは見ていない。
「ネールをこれ以上じっくり見られねぇようにはしときたい」
「分かりました」
僕はネールを見上げながら器に意識を向ける。
「〈〈テイムバンク〉〉」
足元に、白い魔法陣が浮かび上がる。
同時に、ネールの足元にも、同じ紋様がひらりと広がった。
(ネールさん、ありがとう)
(構わんさ)
(それがフライの選択ならば、私は従おう)
次の瞬間、ネールの身体は魔法陣に飲み込まれるようにしてすっと消えた。
(ネールが帰ってきたね)
器からパンの声が響く。
(ネールが戦ってるの、初めて見たな)
パディットが、どこか楽しそうに言う。
ネールが、誇らしげに胸を張る。
(私の美しい空の舞、ご覧いただけたかな?)
(わかった、わかった)
パディットの素っ気ない返事をする。
「何にしても、よかった」
ホルスさんが、心底ほっとしたように息を吐く。
「どうしようかと、本気で焦ったぞ」
少し離れたところで、さっきの商人らしき男が、まだ空を見上げていた。
「いやぁ、あんなデカい鳥モンスター同士の喧嘩、初めて見たなぁ……」
「……橋の上でも、気は抜けねぇな」
僕は、肩に食料袋を乗せ直す。
「よし、早めに行くぞ」
「はい」
⸻
しばらく歩くと、橋の中腹にたどり着いた。
川の真上。
そこには、石造りの高い見張り塔がそびえていた。
塔の上から、声がする。
「おーい!旅の人かー?」
見上げると、鎧を着た兵士がこちらを見ている。
「さっきあっちの方で、鳥の大喧嘩みたいなのが見えたが」
「お前ら、見てたか?」
「見た」
ホルスさんが、即座に答える。
「モンスター同士の争いだったみたいだぞ」
「やっぱりそうか」
兵士が、納得したように頷く。
「最近、この辺りにもモンスターが出るんだ」
「特に、この橋は食料狙いの鳥型が多くてな」
「でも、喧嘩で済んだなら運がいい」
「そんな袋ぶら下げて歩いてたら、本来なら一発で持ってかれるだろうに」
「この先も気をつけて渡ってくれよ」
兵士が手を振る。
「食料がなくなって引き返してく商人は、何人も見てるからな」
「ところで、ガルディアには何しに行くんだ?」
「ハンターとして、行くところだ」
ホルスさんが、フードを深く被り直し言う。
「ハンターか!」
兵士の顔が、一気に明るくなった。
「それは助かる!」
「最近ガルディア周辺にも、大型モンスターが増えててな」
「モンスターを討伐してくれるなら、こっちとしてもありがたい」
「勿論通行証持ちなんだよな」
ホルスさんが当然のように答える。
「ああ」
「じゃあたんまり狩ってきてくれ!」
「ガルディアのギルドは大歓迎だ!」
笑いながら、塔の縁をとんと叩く。
「では、道中気をつけてなー!」
僕たちは再び橋を進んだ。
「ホルスさん通行証ってなんですか?」
「ああ、そのことはもう手配済みだ」
⸻
やがて長い橋が終わりを迎えた。
足元の石畳が土へと変わる。
「……」
思わず、息を飲んだ。
そこには、カイバル平原とは違う、広い平野が広がっていた。
ところどころに、小さな林や森がぽつぽつと見える。
「ここから、四日ほど行けばガルディアだ」
ホルスさんが、前方を見据えながら言う。
目的地は王都、ガルディア城塞都市。
読んでくださりありがとうございます。
ネール主体の戦闘になります。
次話も読んでいただけると嬉しいです。
イーグルキックス
大きさ:2m
大鷲型:鋭い鉤爪
生息:橋、平野
魔力:風寄り、雷小(魔法は使わない)
空から鉤爪で攻撃してくる、攻撃後上空へ避難する




