第二十二話 積み重なる日常
見張り台の上は、風の通りがいい。
村の柵の一番高いところから、北の森も、東の丘も、遠くの山々も見える。
太陽は高く、吹き抜ける風が気持ちがいい。
ゆっくりと周囲を見渡す。
(……静かだな)
風と、木々のざわめきと、遠くの川の音。
それに混ざって、どこか眠そうなあくびの気配。
クロープだ。
牧場の方角に、寝息の気配。
(……ZZZ)
苦笑しながら、器に耳を少しだけ傾ける。
テイムモンスターたちの声は、聞こうと思えば聞こえるし、聞かないようにすれば静かにもなる。
常に頭の中で誰かがしゃべっているわけではない、うるさく感じることもなくなった。
(フライ)
今度は、パディットの声がした。
(ネールのやつがまた飛んでったんだが)
(いいのか、ありゃ)
(……またか)
思わず、見張り台の上でため息が漏れる。
意識を、少しだけ空の方へ伸ばす。
(ネールさーん?)
(まーたどこ行っちゃったのさー?)
(呼んだか、フライ)
見上げると、青空の中に小さな影。
茶色の羽に、ところどころ稲妻のような模様。
雷鳥のネールだ。
(私は雷鳥だ、飛ぶことは生きることだ)
(それはそうなんですけどね)
ネールの声は、いつもどこか澄ましている。
(たださ、勝手に牧場出たら、村の人が心配するでしょ)
(見つかったらいろいろ面倒だから、ほどほどの高さで、ほどほどの距離にいてくれると助かるんですけど)
(ふむ)
ネールが、くるりと一回転した。
(この高さなら、村からは見えまい)
(それに、上から見る森の様子は大事ではないか?)
(それはありがたい情報だけど……)
(ほらな)
パディットが、あきれたように笑う。
(あいつ、自分の行動にちゃんと言い訳してくるからな)
(私の監視は役に立っているだろう?)
ネールが、どこか誇らしげに続ける。
(そろそろ一度、森の向こう側まで行ってみたいものだが)
(ダメです)
即答だった。
(牧場仲間の勝手な遠征は、許可していません)
ネールが、わざとらしく舌打ちする気配を送ってくる。
(……と、言ってみたものの、すぐ戻るさ)
(最初からそう言ってください)
肩の力が、少し抜ける。
(大変だねー、フライ)
パンがのんびりと笑った。
(そうだね)
(でも、みんな仲いいから、見てて楽しいよ)
パンの声は、相変わらず柔らかい。
(見張り、終わったらどうするの?)
(午後からは、いつも通りシアンさんの訓練)
(じゃあ、ネールがちゃんと牧場に戻ったら、教えるね)
(頼んだよ、パン)
最後にもう一度、森の方角をぐるりと見渡す。
危ない気配は、今のところない。
「見張り交代するぞー!」
下から声が上がる。
ハンターの一人が、手を振っていた。
「じゃあ、行ってきます」
見張り台から降り、地面に足をつける。
⸻
詰所の裏の魔法練習場は、相変わらず焦げ跡だらけだった。
木製の人形は、新しいものと古いものが半分ずつ混ざっている。
その真ん中で、シアンさんが杖を肩に担いで待っていた。
「おー、来た来た」
銀髪を高い位置でひとつにまとめて、いつものローブ姿。
こっちを見る目が、完全に弟子を見る師匠のそれになっている。
「見張り、お疲れさん」
「ネールがまた牧場を勝手に出ようとしてまして」
「あー、あの子ね」
シアンさんが苦笑する。
「じゃ、今日もやろっか」
そう言いながら、杖をくるりと回す。
「はい、お願いします」
ローブの裾を軽く整え、ダイナモの杖を構える。
⸻
「まずは、いつも通り」
シアンさんが、人形から少し離れた位置に立つ。
「炎と雷の魔力、確認ね」
「はい」
「スパークフレアからいこっか」
スパークフレア。
炎と雷を同時に放つ魔法。
器から、炎と雷の魔力をすくい取る。
杖の柄に手を添え、先端を木人形に向ける。
炎の流れ。
雷の流れ。
二つを、一つにまとめる。
「〈〈スパークフレア〉〉」
杖先から、眩しい光の塊が走り出した。
一直線に木人形の胸元へ――ぶつかる直前に、ぱっと弾ける。
爆発は、小さめに抑えた。
人形の表面が、うっすらと焦げる。
「んー」
シアンさんが目を細める。
「炎の立ち上がりは悪くないね」
「ただ、雷のまとめ方がちょっと荒いかな」
「ほら」
杖の先で焦げた部分を指す。
「ちゃんと中央に当たってるし、ダメージも出てるけどさ」
「もうちょっとまとまった芯があると、威力がそのまま乗ると思う」
「今は、最後にちょっと広がりすぎてる」
「なるほど……」
(雷が、少し走りすぎているな)
パディットが指摘する。
「でも、全体的には上出来」
シアンさんが、ぽん、と僕の肩を叩く。
「合わせ魔法なんて、普通ならもっと先にやるやつだからね」
「わたしだって、炎と土の魔法覚えるのに、相当苦労したんだから」
シアンさんが、自分の杖を軽く振る。
「〈〈ファイアウォール〉〉」
土壁の少し手前に、横一列に炎の壁が立ち上がる。
土の魔法で壁を固定し、そのラインに炎を走らせる。
「これ覚えるのに、数年かかったからね?」
「そんなにですか」
「そんなにです」
指を二本立てて強調する。
「で、フライは半年ちょいで、合わせ技を二、三個はもう形にしてる」
「エレフワールもね」
エレフワール。
遠くの地面に、炎と雷の矢を降らせる魔法だ。
威力を抑えれば、森の中の小さなモンスターを散らすのにちょうどいい。
「正直、成長速度だけ見たら、わたしよりだいぶ早いよ」
「テイムでモンスターと繋がってることと、竜の器の影響が大きいでしょうけどね」
シアンさんが、苦笑する。
⸻
ひと通りの鍛錬を終え、丸太に腰を下ろしたところで、シアンさんが杖を膝に乗せながらこちらを見た。
「でも、フライの一番のイレギュラーは、実はそこじゃないからね」
「炎と雷の合わせ技よりも、成長速度よりも」
指で杖の柄をとん、と叩く。
「“テイムバンク”の方がね、だいぶんおかしい」
「おかしいって言い方やめてくれません?」
思わず眉をひそめる。
「でも、まぁ……そうですね」
苦笑するしかない。
「さすがにちょっと、自分でもびっくりしました」
「だよねー」
シアンさんが身を乗り出す。
⸻
魔法訓練開始からしばらく経った頃。
「今日はなんか調子いいなーって顔してたもんね、フライ」
「魔力の通りとか器からの気配とか、とにかくクリアでしたね」
魔力の流れが、やけに軽く感じていた。
炎も、雷も、いつもより素直に杖を通った。
「でさ」
シアンさんが、手振りを交えて続ける。
「じゃあ今日は、もうちょっと魔力流してみるかって話になって」
「僕が気になったのもありましたけど、シアンさんが興味津々でしたよね」
「否定はしない」
お互い笑ってしまう。
あの日も、いつものように魔法の練習をしていた。
魔力の流れが気持ちよくて、調子に乗った。
器のパンの気配を、いつもより多めに杖に流す。
杖の芯を通り、ルミナストーンを抜けて――
そこまでは、いつもの感覚。
次の瞬間。
視界の端が、ふっと白く光った。
足元に、白い魔法陣のような輪が浮かび上がる。
「あれ?って思ったら、目の前にパンがいたからね」
シアンさんが、苦笑混じりに言う。
(なんか呼ばれたって思ったら、ここにいたんだよね)
あの時のことを思い出したのか、パンも少し苦笑いしている。
牧場にいるはずのパンが、練習場の真ん中に。
ただ杖に魔力を通しただけで。
「で、しばらくしてから分かった」
シアンさんが、指を一本立てる。
「フライの魔力と、テイムの繋がりと、魔力の気配が、杖を通して一本の線になった」
「ルミナストーンから、テイムで繋がってるモンスターへ」
「その線を、そのまま引き寄せる形になった」
「それ、かなりとんでもないことなんですよね」
「かなりとんでもないね」
シアンさんが、あっさり頷く。
「距離関係なく、繋がってるモンスターを好きな位置に呼び出せるなんて」
「ただし、一体呼ぶのに、フライの魔力がごっそり持っていかれる」
「あの時も、呼んだ瞬間にだいぶふらついてたでしょ」
「そうでしたね……」
床にへたり込みそうになった感覚を思い出す。
「だから、慣れるまでそう多くは使えないでしょうね」
「気をつけないと魔力切れだからね」
「そうですね」
それが“テイムバンク”。
「……名付け親、シアンさんですよね」
「そうだよ?」
胸を張る。
「もっとこう、ドッカン召喚みたいなのかと思ったから」
「んー、正直その手もあったなって思うね」
そう言うと僕は、小さく笑う。
「とにかく」
シアンさんが、まとめるように言う。
「テイムバンクは、炎や雷の合わせ技なんかよりよっぽど異常」
「そうかもですね」
ため息をつきつつも、どこかくすぐったい。
「でも、便利だよね」
シアンさんが、いたずらっぽく笑う。
「例えばさ」
「今みたいに、ネールが脱走してる時とかさ」
「……それは、確かに」
空を見上げる。
さっきまで高いところを飛んでいた影は、今は見えない。
だがネールの気配はまだ空のどこかにある。
(フライ)
パディットの声だ。
(またあいつ、森の向こう側まで行こうかとか考えてるぞ)
「ネールさんがまた遠くまで行こうとしてます」
「やる?」
シアンさんが、面白そうに眉を上げた。
「いいんじゃない? あんまり乱用はさせないけど、一回くらいなら許可する」
「じゃあ、行きます、か」
深呼吸をひとつ。
器から、ゆっくりと魔力の気配をすくい上げる。
いつもより、多めに。
杖の先を地面に突き立てる――
その周りに、淡い光の輪がすっと浮かんだ。
テイムの繋がりの感覚を、魔力の気配と一本の線にまとめる。
胸の奥の、細い線が一本だけ強く光る。
「〈〈テイムバンク〉〉」
次の瞬間。
地面に白い魔法陣が光り。
茶色の羽。
稲妻模様の翼。
ネールが、魔法練習場の真ん中に召喚された。
(……おお)
自分の足元を見て、少し目を瞬かせる。
(私を捕まえるとは、さすがだなフライ)
(驚かないんですね)
(驚いているとも)
ネールが、羽を軽く震わせる。
(だが、呼ばれたのだから騎士としては来るほかあるまい)
(ちょうど、そろそろ戻るところだったのだ)
(毎回言いますよね、それ)
(事実だ)
どこか涼しい声。
(脱走だけは困りますからね)
ネールは、一度だけ大きく翼を広げると――
(牧場にて待つ)
それだけ残して、空へ舞い上がり、そのまま牧場の方角へ飛び去っていった。
「便利だよねぇ、ほんと」
ケラケラ笑いながら、シアンさんが杖を肩に担ぐ。
「よし。ネールも引っ張ってきたし、今日はこのへんにしとこっか」
「今日は私も牧場、覗きに行くよ」
「はい」
⸻
訓練を一区切りつけてから、僕たちは牧場へ向かった。
木の柵の向こう。
宿舎前の広場には、止まり木にすでにネールがしゃんと立っていた。
その隣では、パディットが尻尾を振りながらあくびをし、そのさらに奥の日陰には、クロープが壁にもたれかかって大きないびきをかいている。
(おかえり、フライ)
パンが、ひょいと顔を上げた。
(ネール、ちゃんと戻ったよ)
パンがそう言うと、ネールがどこか誇らしげに羽を整える。
(私の飛行を途中で終わらせたこと、しっかり覚えておこう)
(飛ぶこと禁止しますよ)
(冗談だ)
短く鳴いて、くちばしを閉じる。
「何か賑やかになったねー」
シアンさんが、牧場を見回しながら杖を軽く回した。
「魔力も落ち着いてるし、本当にモンスターいるのかって思っちゃうよね」
「テイムしたモンスターはやっぱり何か変わるのかな」
「どうなんでしょうね、みんなにそんな変わった気がするって聞いたことないですね」
「何より、喋っていてもみんな優しいですよ」
「弟子が楽しそうで何よりだね」
シアンさんは満足そうに笑った。
クロープが、大きい目を半分だけを開けてこちらを見た。
(みんながここにいると、落ち着く……)
(だから、オイラは寝る……)
(森の見張りはどう?)
(異常ないよ……ZZZ)
そう言うなり、またすぐに寝息を立て始めた。
柵越しに、もう一度周りを見渡す。
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
「じゃ」
その様子を見届けてから、シアンさんが小さく伸びをした。
「今日はそろそろ帰ろっかな」
「またいつでも見に来てください」
「で」
杖の柄で、自分のこめかみを軽くとん、とつつく。
「フライ、今日は治療所の日でしょ?」
「あ、そういえば……」
思い出して、少しだけ背筋が伸びる。
「今日でしたね、定期検診」
「そうそう」
シアンさんが、軽く人差し指を振る。
「魔杖使いは、魔力切れが一番怖いからさ」
「ちゃんとヒーラーに見てもらわないと、後でドカンと来るよ」
「ドカンと、ですか」
「気がついたら魔力詰まりよ」
手をグッと握るジェスチャー。
「魔力切れになってその場に倒れてたら、戦力にならないでしょ?」
「……そうですね」
「だから、ちゃんと行くこと」
シアンさんが、じろっと僕を見る。
「……ちゃんと行ってきます」
慌てて頭を下げると、シアンさんが満足そうに頷いた。
「よろしい」
「じゃ、定期検診終わったら、今日はもうゆっくりしな」
「分かりました」
牧場の皆に軽く手を振り、僕は村の中へ向かって歩き出した。
⸻
治療所の扉を開けると、いつもの薬草とハーブの混ざった匂いがした。
木の棚には、瓶や包帯や薬草の束。
窓際には、乾かし中のハーブ。
不思議と落ち着く場所だ。
「おー」
中に入った途端、明るい声が飛んできた。
「サボらずに来たじゃん、フライ」
セラだ。
「セラさん、フライさんはサボってるんじゃないですよ」
横から、ノエルさんの落ち着いた声がした。
「魔法に夢中で、ついうっかり忘れちゃうだけなんです」
「それ、フォローになってますか?」
「なってますよ?」
ノエルさんが、きょとんと首をかしげる。
「悪気があった方が、まだ管理しやすい気もするけどねぇ」
セラが笑っていると――
「はいはい、そこまで」
奥のカーテンの向こうから、ケールさんの声がした。
髪を後ろできゅっと束ね、白衣の袖をまくった姿で出てくる。
「来たのなら、早く診るわよ」
「こんにちは、ケールさん」
「こんにちは」
ケールさんは、短く挨拶を返すと、僕の顔をじろりと見る。
「顔色は悪くないわね」
「シアンのところで鍛錬してたんでしょう?」
「はい。炎と雷の基本と、テイムバンクを少し」
「テイムバンクねぇ……」
ケールさんが、ため息をつく。
「また厄介なもの覚えたわね、あなた」
「すみません……?」
「別に謝らなくていいわよ」
「便利なのはわかるけどね、ただ、それだけ扱いを間違えた時に危険ってこと」
「だからこそ、定期的に魔力の流れを診る」
「……はい」
「じゃ、こっち来て」
診察用の椅子に座らされ、腕や脈、呼吸、それから魔力の流れを触診される。
ケールさんの手から伝わる魔力は、ひんやりとしていて、どこか澄んでいた。
「ふむ」
しばらく沈黙したあと、
「魔力の通りは問題ないわ」
「使いっぱなしじゃなくて、ちゃんと休んで、寝て、食べるのよ」
「はい、心掛けます……」
思わず胸をなでおろす。
「今日はこれで帰るの?」
カルテに何かを書き込みながら、ケールさんが顔を上げる。
「それとも、まだどこか寄るの?」
「このあと、工房に少し寄ってから帰ろうと思います」
「杖の調整?」
「はい。ゼンさんがいつでも来いって言ってくれてるので」
「そう」
ケールさんが、軽く頷く。
「じゃあ、また何かあったらきなさい」
「はい」
「私は、あとで牧場行くね」
セラが、ひらひらと手を振る。
「この前ブラシ買ったんだー。ふわふわにしてあげるの!」
(セラのブラッシングは最高だよ)
パンが嬉しそうに笑った。
「パンも待ってるよ、きっと」
「やった!」
セラが、ぐっと拳を握る。
「じゃ、無理しすぎないようにね」
「はい。皆さん、ありがとうございました」
治療所を出る前にもう一度頭を下げると、ノエルさんが柔らかく微笑み、ケールさんが手を振った。
⸻
外に出ると、村の空は少しだけ夕方に傾きかけていた。
僕は、いつもの工房の扉へと手を伸ばした。
工房の扉を開けると、いつもの木と油の匂いの中に、かすかに金属を削る音が混ざっていた。
「こんにちはー」
僕が声をかけると、
「よう」
奥の作業台から、ゼンさんが顔を上げる。
「杖見とくか」
「はい」
「ちょっと貸してみろ」
ダイナモの杖を両手で渡すと、ゼンさんは重さを確かめるように何度か握りを変え、軽く振ってみせた。
「ふむ」
低く唸る。
「芯もルミナストーンも落ち着いてるな、さすがだ」
杖をもう一度、僕の方へ向ける。
「今の使い方のままでいいぞ」
「変に力ませて握らなきゃ、変になったりはしねぇよ、なんてったってダイナモ製だからな」
「よかった……」
胸の奥が、少しだけ軽くなる。
「ただし」
杖を返しながら、ゼンさんが指を一本立てる。
「魔力の調子が急に変わったり、杖に異変を感じたら、すぐ持ってこい」
「はい。わかりました」
ゼンさんが、ぐいっと鼻をこする。
「使えば持ち主のクセで変わってくのが、道具ってやつだ、その都度使いやすいように調整してやる」
「そのために工房があるんだからよ」
「……ありがとうございます」
改めて頭を下げる。
「よし。今日はもう家帰って、飯食って寝ろ」
ゼンさんが、片手をひらひらと振る。
「はい」
ローブの裾を整え、杖を握り直す。
「また来ます」
「おう。いつでも来い」
背中にゼンさんの声を受けながら、僕は工房を後にした。
⸻
こうして、南のダンジョンから半年が経った頃のフライは――
仲間たちとともに、忙しい日常を、一つひとつ積み重ねていたのだった。
読んでくださり、ありがとうございました。
第二章はじまりです。
半年経った頃のフライの成長と、日常を書いてみました。
次話も読んでいただけると嬉しいです。




