第百話 三百年前の大循環 後編
三百年のペール山の山頂にある祭壇。
黒い外套を揺らす魔人は、片手をだらりと下げたまま、目の前の相手を見据えている。
その足元には、さっき放たれた闇の魔力がえぐり取った雪と岩が、まだ黒く燻るように残っていた。
アルミはタークの前に立ち、悲しさを押し込めた顔でその姿を見返している。
ゼインは一歩だけ前へ出て、杖を手にしたまま静かに息を整えていた。
そして、その背後には、光の竜リュミエール。
少し離れた場所では、傷を負ったネージュが、雪の上に爪を立てたまま、そのやり取りを見つめていた。
「その前に、いいか?」
ゼインが口を開いた。
「何だ、お前は」
タークが眉をひそめる。
「私はゼインという」
ゼインは名乗った。
「ここにいるリュミエールに力を与えられた人間だ」
「ほう、この世界の竜か」
その視線が、リュミエールへ向いた。
「アルミの力で従ったか」
「違うぞ、魔人ターク」
先に答えたのはリュミエールだった。
「仲間だ」
その言葉に、タークは一瞬だけ本気で理解できないものを見る目をした。
「竜が人と仲間などと」
「本当だ」
ゼインが間を置かずに続ける。
「みんなこの世界を守るために動いている」
タークの顔が、じわりと歪んだ。
「この……世界、か」
「じゃあ、オレの世界はどうなる」
その瞬間、空気が変わる。
怒りというより、長く押し込めてきたものが漏れたような声だった。
「魔力が枯渇した不安定なあの世界を!」
アルミの肩が、ぴくりと揺れた。
すると、ゼインはタークを真っ直ぐに見据えて言った。
「だから、一緒に探そう」
「解決策を」
その言葉をタークは、鼻で笑った。
「戯言だ」
その片手が、ゆっくりと持ち上がる。
「この世界さえ消え去れば」
「元通りだ!!」
次の瞬間、タークの掌の前に、濃密な闇が渦を巻いて生まれた。
空気が沈み、魔力が圧になる。
ネージュはその瞬間、自分の全身の羽が総毛立つのを感じた。
さっき味わった、あの絶望的な圧力。
それが、今度はゼインたちへ向けられる。
「〈〈ダークネビュラ〉〉」
闇の塊が放たれる。
それは空間そのものを押し潰しながら前へ進んだ。
「やめてくれ」
ゼインが杖を前へ構える。
「この争いは無益だ」
その杖の先に、澄んだ光が集まる。
リュミエールの鱗が、その光に呼応するように淡く輝いた。
「〈〈フォースフィールド〉〉」
半球状の光の盾が、一瞬で全員を包み込んだ。
タークの闇がそこへ激突する。
轟音。
山頂の岩肌が震え、白い大地に黒い波紋のような影が走った。
だが、光の盾は砕けなかった。
それを見た、タークの目が細まる。
「その力……」
ゼインはタークを真剣な眼差しで見つめる。
「頼む、引いてくれ」
アルミも一歩前へ出る。
「まだ道は残ってる!」
タークはしばらく答えなかった。
雪の中に立ち尽くし、順に視線を動かしていく。
やがて、小さく息を吐いた。
「今はいいだろう」
「一旦引こう」
「ただし、必ず循環点は破壊させてもらう」
それだけ言い残すと、タークの体は黒い魔力に溶けるようにして、その場から消えた。
残されたのは、沈黙だけだった。
ネージュはその場で、深く息を吐いた。
⸻
今のペール山。
山頂の祭壇に吹く風は、三百年前のその風を遠く思い出させた。
僕はしばらく言葉が出なかった。
「ゼイン……」
「彼がいなかったら、今頃僕はここにいない」
ネージュが静かに頷く。
「タークが言っていた、その魔力が枯渇しているって何だったの?」
僕が聞くと、ネージュは少しだけ目を伏せた。
「魔人界には、大量の魔力が流れていて増え続けていたらしい」
「でも、それがある日を境に減りつつあるとかで」
「減りつつある……」
「うん」
ネージュは頷く。
「タークは、焦っていたように見えた」
「自分たちの世界が不安定になっていくのを、見ていられなかったんだと思う」
「それでどうして、この世界を滅ぼそうとするんだろう」
僕が聞くと、ネージュはすぐには答えず、少しだけ遠くを見るようにした。
「タークには何か事情がありそうだったね」
「ただ、あの時の僕にはそこまで知ろうとする余裕はなかったよ」
「……そうして、僕はアルミと契約したんだ」
その言葉で、僕は顔を上げる。
「アルミと?」
「うん」
ネージュの声が少しだけやわらいだ。
⸻
三百年前のペール山。
タークが去ったあとの山頂には、まだ緊張が残っていた。
雪は相変わらず降り続いている。
ただ重たい沈黙だけが、その場を包んでいた。
ネージュは傷ついた羽をゆっくりと整えながら、目の前にいる二人を見ていた。
アルミは、雪を踏みしめながらネージュの方へ歩いてくる。
「あなたがここを守っていたの?」
アルミが尋ねる。
(そうだね)
ネージュは少し警戒しながら答えた。
アルミは小さく頷いた。
「ありがとう」
ネージュは、そこで少しだけ目を見開いた。
アルミは、そのまま続けた。
「あなた、私と友達にならない?」
今度こそ、ネージュは完全にきょとんとした。
(友達?)
(僕はモンスターだよ)
「ううん」
アルミは首を横に振る。
「そういうことじゃない」
「心がある」
それを聞いて、ネージュはしばらく黙りこんだ。
守護者だとか、力を貸してほしいだとか、そういう話ならまだ分かる。
でも友達と言われたのは初めてだった。
(……そうしたら、どうなるの)
ようやく出た言葉に、アルミはやわらかく笑った。
「私があなたに力を貸せる」
「……循環点であるこの山に、必ずまたタークは現れる」
「その時は、きっと本気で守護者であるあなたを消しにくる」
ネージュの瞳が細くなる。
(あれを、止められるって言うんだね)
「止めたい」
アルミは言い切った。
「そのために、みんなで手を打つの」
その横で、ゼインが静かに口を開いた。
「あれを止めるとなると……」
そこで一度言葉を切る。
彼はリュミエールの方を見た。
「リュミエール、この地に護手を残そうと思う」
「ほう」
リュミエールが目を細める。
「確かにな、循環点も濃い」
ゼインは山の下にある街の方へ目を向けた。
「私はこれからあの街に行く」
「このリュミエールと契約できる者を探す」
「その者にこの杖を持たせ、ここに来させる」
ネージュは、その意図をすぐに理解した。
(竜の力で対抗しようって言うんだね)
アルミが頷く。
「それが唯一の対抗策かなって」
ネージュは空を見上げた。
(わかった、いいよ)
ネージュはそう言った。
アルミがすぐに返す。
「君には循環を守ってもらいたい」
「ここに、リュミエールの魔力を流せるような祭壇を作る」
「その管理を任せられないかな」
ネージュは少しだけ笑った。
(責任重大だね)
そう答えると、アルミの顔がぱっと明るくなった。
「じゃあ、いくよ!」
アルミはネージュの前に立ち、そっと手をかざした。
「〈〈テイム〉〉」
やわらかな魔力が、ネージュを包み込む。
心の奥へ、静かに火が灯るような感覚。
ネージュはそれを受け入れる。
次の瞬間、アルミの魔力だけじゃない、別の大きな流れまで一緒に流れ込んできた。
澄んでいて、強くて、まっすぐな光。
リュミエールの魔力。
ネージュの全身の羽が、ふるりと震える。
「これで、完全に繋がったね」
アルミが嬉しそうに言う。
「よろしく……えっと」
「ニヴァリスだよ」
ネージュが答えると、アルミは首を傾げた。
「それはモンスター名でしょ」
「スライムにスライムって名前はつけないからね」
「そ、そうだね」
ネージュは少し困った顔になる。
「じゃあさ、アルミが何か名前をつけてよ」
「そうね……」
アルミはじっとネージュを見た。
白銀の羽。
綺麗で、それでいて、どこかやさしい姿。
「じゃあ、ネージュ!」
「どう?」
ゼインが横から小さく笑う。
「いいんじゃないか、かっこいい」
アルミは得意げに胸を張る。
「そうでしょ」
「でもこの子、女の子だよ」
「そうだよ、僕は女の子だよ」
ネージュが当然のように言うと、ゼインは一瞬だけ目を丸くした。
「僕っ子なんだ……」
ネージュは、そこで初めて少しだけ声を弾ませる。
「いいよ、気に入った」
「僕はネージュと名乗るよ」
「それにしても、繋がったって何ができるの」
「会話ができるようになったのは分かるけど」
ネージュがそう言うと、アルミが指を立てて言う。
「器から私の魔力が使えるし、私もネージュの魔力が使えるよ」
「さらに言えば、リュミエールの魔力だってね」
「そうだな」
リュミエールが少し笑う。
「あ、本当だ」
ネージュの目が丸くなる。
「すごい……これが光の魔力なんだね」
体の内側に、自分のものではないはずの流れが、自然に通っている。
ゼインが、その様子を見て静かに言った。
「じゃあネージュ、ここに来る魔杖使いをよろしく頼む」
「時間はあまりない」
「いつまたタークが来るかわからないからな」
「わかったよ」
ネージュはしっかり頷いた。
「待ってる」
「さ、リュミエール、行こう」
アルミが振り返る。
「ではネージュ、またな」
リュミエールの声は穏やかだった。
「またね」
ネージュが羽を振る。
そうして、アルミとゼインとリュミエールは、白い空へ飛び立っていった。
残された山頂で、ネージュは新しい名前と、新しい力と、新しい約束を抱えながら、ただその背を見送った。
⸻
今のペール山。
祭壇の上で、ネージュは少しだけ微笑んだ。
「そうやって僕は、名前と、力を貰ったんだよ」
「友達にね」
僕はしばらく言葉を失っていた。
「そんなことが……」
「アルミって人は、魔人だったんだよね?」
「そうだね」
ネージュはあっさり頷く。
「その人がテイムを使ったの?」
そう聞いた瞬間、ネージュは少しだけ困ったみたいに首を傾げた。
「あー、なるほど」
「それは僕の口からは言わないでおくよ」
「リュミエールがきっと教えてくれる」
僕は少し驚いたあと、ゆっくり頷く。
「そっか」
「わかったよ」
「リュミエールと会えたら聞いてみる」
「きっと会えるよ」
ネージュが静かに言う。
その直後だった。
吹き抜けた風が、さっきまでより少しだけ冷たく感じた。
ネージュは空を見上げる。
「……大循環が、もうすぐ始まるからね」
その言葉に、僕はただ立ち尽くしていた。
百話まで来ました。
ここまで読んでいただいた方々には、本当に感謝いたします。
まだまだ、フライの冒険は続いていきます。
この先も楽しく書いていけたらなと思います。
次話も読んでいただけると嬉しいです。




