【第四章】3.儚き喜び
街の中心部に戻ってきた二人は近くの食事処で昼食をとっていた。
「このスープ、美味しい」
温かいミルク仕立てのスープを一口啜った彼女は頬を緩ませる。その様子にノエルも自然と笑みがこぼれた。
「そうだね。野菜が多くて……なんて言うか、優しい味だ」
彼女に合わせてノエルもゆっくりと味わって食事する。
リラはナイフとフォークで丁寧に肉を切り分け、小さな口で食べる。ソースと絡み合った薄い肉を美味しそうに咀嚼する彼女へ、ノエルはふと神妙な面持ちで聞いた。
「これからどうする?」
そっと口の中のものを飲み込んだ彼女は水の入ったグラスを片手にさらりと言った。
「山道が通れない以上、他に里へ行く道はないし、ここで観光でもしてるしかないよ」
「でも、リラは……」
その心配するような声にリラは頷く。
「もちろん、できれば、魔物が出たって言う山道を確認したいかな。偶発的にそこに現れてしまったのか、目的があるのかわからないけど。そこに魔物の出現した空間があるなら、行かないと」
「だよな。でも山道に行くには人のいる場所を通らないといけないし」
「夜に行けばいいよ。みんなが寝たあと」
「なんだかこう言うことするのっていつも夜だな」
二人は小さく笑う。そうしてノエルは話題を変えるようにパッと明るい声で言った。
「それじゃあ昼は街の観光しようか。リラはどこか行きたいところある?」
「んー。花畑、かな」
「花畑?」
「ほら、湖の近くに花畑があるって言ってたでしょう?」
「あぁ、花をくれたあの人か。それなら食べたら行こう」
あっという間に行き先が決まった二人は、街の宿屋を取ってから、東にある大きな湖へ向かった。
穏やかな午後の陽気が街に光を落とす。あちらこちらで鮮やかな洋服をまとった人々が楽しそうに過ぎて行く。
「それにしても、みんな個性的な服装だな。まるで祭りでもあるみたいだ」
街を歩きながらすれ違う人々の姿に思わず目を引かれてしまう。
「そうだね。春を満喫しているって感じ」
チラリとリラを見ると、彼女もまた行き交う人々の春模様をどこか楽しげに眺めているようだった。
「リラも着てみたら?」
ふと、そんなことを口走っていた。リラは「え?」と立ち止まる。その視線に慌てて言葉を取り繕った。
「いや、なんだかリラもああいう服着たいと思ったりするのかなぁとかいろいろ考えちゃって……」
「……わたしは……」
彼女が応えようと口を開いた時、不意に二人の背後から穏やかな声がかけられた。
「お召し物を、お探しでしょうか?」
振り返るとそこには身なりを整えた白髪の老紳士が立っていた。
突然声をかけられ二人が返事に戸惑っていると、老紳士は穏やかな笑みを浮かべながら二人のすぐ真横を指差す。
「ウチの服に、ご興味がおありで?」
「え――」
二人が話していたところは、ちょうど仕立て屋の前だった。その前で服の話をしていたら、誰だって店が気になっているのかと考えてしまうだろう。
「あ、いや……俺たちは……」
ノエルが言い終わらないうちに老紳士はリラをそっと見遣ると続けて言った。
「ご試着だけでも、いかがですか?」
そうして、ひらりと手で店先の窓辺に飾られた淡い色のスカートを示す。
思わずリラの視線が動いた。
窓際に置かれた木製の衣装台の上には、この季節に相応しい、淡い色のスカートが並んでいる。腰には、上品ながら可愛らしいリボンが巻かれ、白いブラウスはガラスから差し込む光を受けてわずかに艶めいていた。
「わたしは……」
リラは、それを見上げ呟く。しかし、すぐに何かを思い出して物憂げに視線を落とした。
そうして「大丈夫」と断ろうと、唇が動いた時――。
「着てみなよ」
「え?」
顔を上げると、ノエルは笑った。
「試着だけでもさ」
すると、店主であろうその老紳士も微笑むと、店のドアを開けた。カランカランと、乾いたベルが鳴る。
「でも……」
彼女は戸惑いを見せる。けれど、ノエルは一瞬だけ、彼女は言葉とは裏腹に目の前の服に惹かれていることを感じていた。
嫌なら無理には……とは思ったが、それでも「せっかくだから」と彼女の背を押すようにしてノエルはリラと共に中に入った。
はじめは店の中で困った様子で立ち止まっていた彼女だったが、やがてその指がかすかに動き、店の前に飾られているスカートを指差した。
「では、こちらへ」
老紳士は笑みを崩さず、丁寧な所作で彼女を服と共に試着室へ案内する。
静かな店内にリラの服が擦れる音だけが小さく聞こえてくる。
なんだかノエルの方が緊張してきてしまい、店をわけもなく歩き回ってしまう。
店内には衣類以外にも、角に小さなアクセサリースペースがあったりして、それらをまるで意味深に眺めてしまう。
「何か、気になる物でもありますか?」
「へっ?」
見かねた老紳士が声をかけた。ノエルは顔を上げると、咄嗟に首を振った。
「い、いいえ、別に。この街にいる人たちはみんな格好が特徴的だなぁと思ってただけで……」
「ええ、バルゲートに来られる旅のお方は皆さんそう思われるようですね。この時期は自然も色鮮やかになりますから。自然と共に暮らしている私たちも今の時期だけ彩り豊かに服を着るのですよ」
「へぇ。そうなんですか」
「お客さんは、どちらまで?」
「え? えっと、凪の里まで……。でも、里へ続く山道が通れないようなのでしばらくはここで」
「そうですか。……ふふ」
不意に老紳士は口元に手を当て小さく笑う。
「きっと、凪の里の方が驚かれますよ」
「え?」
「あそこは、ヴェルシオンの中でもとても変わった文化のある場所ですからね」
そう彼が言った時、ちょうど試着室のカーテンが開かれ、中から服装を変えたリラが現れた。
「……!」
思わず息を呑んでしまう。
老紳士も「おぉ」と小さく声を上げた。
「どう……かな」
繊細な刺繍の施された重ね裾のロングスカートは揺れるたびに花びらのように広がり、その腰には若葉色の大きなリボンが結ばれている。
「と……とっても素敵だよ!」
洗練された美しさに思わず大きな声が上がる。リラはこちらとは目を合わせず、控えめな表情で立っている。緊張しているのだろうか。そんな彼女を察して老紳士は言った。
「ええ、よくお似合いですよ。今のこのバルゲートでしたら、景色ともよく合うでしょう」
「そう……。ありがとう」
ほんの少し頬を染めて微笑む彼女に、ノエルも嬉しい気持ちになる。
けれど、彼女はそのスカートに優しく手を触れると静かに目を伏せ呟いた。
「本当に、ありがとう……」
そうして二人が声をかける前に再びカーテンの奥に隠れてしまうと、あっという間に元の服装に戻って出てきた。
――「またのご来店を」
扉の手前まで見送る老紳士に二人も頭を下げる。
にぎやかな通りに出たノエルは、少し眉をひそめた。
「本当に買わなくて良かったのか?」
「うん。試着できただけで満足だから」
そう言う彼女の顔に後悔の色はなかった。満足というのは本当なのだろう。しかし、ノエルは少々もったいなく感じてしまう。
「すごく似合っていたのに……。値段、高かったのか? もしそれなら俺も少しは出せるから……」
すると、リラは足を止め、そっとうつむく。
「あぁ……そう、だね……。……うん……」
そうして目を細め、穏やかに微笑んだ。
「わたしには高かったよ」
優しく、けれど、どこか影の落ちたその笑顔は儚さを帯び、言葉の裏に何か特別な意味を含んだようにノエルは感じた。
「……そっか」
しかし、それを問えるほどの勇気はなかった。
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