【第三章】8.守るための力
曇り空が広がるアルデナ村の広場にノエルは一人戻ってきていた。
「すみません、店の手伝いをしないで……」
と、一人で物資を売る行商人に頭を下げた。
しかし、彼は腹を立てるわけでもなく言った。
「いや、いいさ。……ふぅ」
小さめの木箱に腰をかけた行商人は額の汗を服の裾で拭った。ノエルはその様子に違和感を覚える。
「大丈夫ですか? ……暑い、ですかね?」
「あぁ、いや。そう言うわけじゃねぇんだけど、ちょいと疲れたようでな。さっきからやたら身体が重いんだよ」
「代わりますよ」
「悪い、頼む」
行商人は膝に手をつき「よっこいしょ」と立ち上がると馬車の荷台へ身体を休めに行った。
顔色がどこか悪いようにも見え、アルデナ村に蔓延する空気に当たったのだろうかと思う。
ノエルは広げられた物資を見た。
「やっぱりあんまり売れてないな」
その時、グゥ〜と自身の腹が低く鳴った。慌てて腹部を押さえ周りを見るが聞いている者はいないようだった。
「ここじゃ食べられないと思って、宿で多めに食べたんだけどな……」
ノエルは荷台で横になっている行商人に断りを入れ、銅貨を払うと木箱に収められている、赤い果物をひとつ口に頬張った。
シャクッという新鮮な音と共に果汁が口にあふれる。
思わず頬が綻んだ。
「うん。美味しい」
そうしてしばらく何事もなく店番をしていると、ふと、村の様子がおかしいことに気がついた。
広場を横切り、どこかへ走っていく村人が数人見える。皆、焦ったような雰囲気を纏っている。
「なんだ?」
店から身を乗り出し、皆の行く方向を見る。何かあったのだろうか?
番をしている手前、勝手に持ち場を離れるわけには行かない。その時、ちょうど店の前を足早に歩く村人に気づき、声をかけた。
「あの、すみません。何かあったんですか?」
「あぁ……なんか、村長と薬売りが何やら喧嘩してるって話でさ」
「え、喧嘩!?」
まさかと思ったが、村人が「あっちの集会所の方だよ」と言い行ってしまうので、ノエルも半ば疑いながら荷馬車で休む行商人に声をかけた。
「すみません! すぐに戻ってきます!」
「んぇ……?」
そうして駆け足で店を出た。
集会所に向かうと中の様子を見守る複数の村人の姿が見えた。ノエルは彼らに混ざると中の様子を確認しようとつま先立ちになる。
「――何度言ったらわかるんじゃ!」
刹那、村長の怒号が飛んできた。
部屋は病人がいたところとは別の場所のようで、小さな空間にテーブルと椅子が並べられた、いわゆる会議室のような場所だった。
テーブルは壁際へと避けられているが、その上には湯気が立つ鍋や、湯の入ったポット、その他調理器具なども置かれていた。
彼の前にはリラが冷たい表情のままで立っていて、その部屋の隅には困惑したように怯えるリネットの姿がある。
「貴様、わしらを飢え死にさせる気か!」
村長の顔は真っ赤に、唾が飛び散る勢いで声を上げている。対して、リラは至極冷静な声で応えた。
「広場には行商人もいる。明日になれば騎士団の配給も来る。今優先させるべきはここで苦しんでいる彼らだよ」
「誰が行商人なんかにくれる金があるって言うんじゃ! 明日まで飲まず食わずで過ごせと言うのか!?」
二人のやり取りのそばでは野次馬たちがヒソヒソと言葉を交わす。
「まぁ、村長さんがあんなに怒るのも仕方ないよな。俺たち、もう何日もまともに食べられてないんだから」
「それでもあの薬売りさんは病人を助けてくれるんだからなぁ。あいつらがこのままだと俺たちだって病気に罹っちまうしよ」
「そうは言ったって、みんな腹減ってんだから。村長さんも、ここんとこずっと怒鳴ってばっかだし。もう余裕ある人間なんかいねぇよ」
「それもそうだよな。あーあ、空から食べ物でも金でも、なんか降ってこねーかなー」
どちらかと言うと、村長側の意見を肯定する人が多いようだった。
ノエルはどうにかできないものかと頭を捻る。
しかし、なぜだか頭が上手く回らない。ぼんやりとしてしまい、何か考えようにもすぐに思考していたことが消えてしまうようだった。
「……俺も疲れてるのかな」
軽く頭をトントンと叩いた。
「もう、じいちゃんやめなよ!」
その時、村長の腕を引く人物が見えた。
ノエルは村人の合間を縫って前に進み出る。中の様子がしっかりと見えると、そこには彼らの他にもう一人、ソレアがいた。
彼女は村長の腕を引っ張って彼を制している。けれど、それを振り払ってなおも声が集会所に響いた。
「今すぐこの村から去れ! これ以上わしらに関わるな!」
「じいちゃん!」
それでもソレアは村長を引き留める。
「リラ様……」と、リネットが不安げな顔で見つめる。
村人は窪んだ目を好奇の色に染め、窓からも、入り口からもこちらをのぞく。
リラは心底呆れたようにため息をひとつ、吐いた。
そうして、ゆらりとした動作で村長を見ると言った。
「言いたいことは、それだけ?」
「――んなぁッ!?」
まっすぐ射抜くような瞳を向けられた村長は、わなわなと肩を振るわせると歯を剥き出しにした。
「貴様、この村で誰が一番偉いと思ってるんじゃ……。この村の長にどの口を利いているんじゃ!!」
その瞬間、テーブルに置いていたポットを手にすると、村長は迷うことなくそれを振り上げた。
「この――」
ソレアとリネットが声を上げた。
「じいちゃん!」
「リラ様!」
「偽善者め――ッ!!」
渾身の力で湯の入ったそれをリラへ投げつけた。
中の湯が宙を描く。
ほんの少しだけ、反射的にリラは目を瞑る。
その時だった。
ガシャン――!と大きな音を立ててポットは地面に転がる。
「熱……ッ」
わずかに漏れた声にリラは驚いて目を開けた。
「えっ……? どうして……」
目の前には自分を庇うようにしてノエルが立っていた。
頭から肩、背中にかけて、熱湯を浴びた箇所から湯気が立ち上っている。
「――!」
村長はハッと我に返ると、先ほどとは打って変わった様子で、こちらを見る村人たちに視線を移した。
「あ……わしは……」
さすがにマズイことをしたと思ったのか、声が震えた。
「ぐッ……」
痛みに苦痛の声を漏らすノエルにリラはハッとすると、すぐに彼のローブを脱がせた。
「リネット、何か仰ぐものを持ってきて」
「! わ、わかりました!」
リネットは走って部屋を出て行く。
熱湯を負った部分をリラが見ようとしたとき、ノエルが制止した。
「っ……。大丈夫」
そして、背中に強い焼けるような痛みを感じながら立ち上がると、村長に向いた。
「村長さん」
ノエルの静かな声に村長はビクッと大きく肩を振るわせる。
「な、なんじゃ……」
「あなたの言い分も確かです。苦しいのもわかります。
けれど――」
濡れた前髪を払い、まっすぐに見据えた。
「それが誰かを傷つけていい理由にはなりません」
毅然としたその姿は、彼が背負っていた騎士という身分が垣間見えるものだった。
それから村長はそれ以上何かを言うことはせず、周りの目から逃れるように急ぎ足で集会所を出て行った。
それを皮切りにだんだんと外から見ていた村人も減っていく。村長を責める声も、ノエルを気遣う声もない。ただ黙って去っていった。
葉の大きな草の束を持ってきたリネットは、それをリラに託すと自身は病人の看病をしに部屋を出ていった。
やがて、その場にはノエルとリラ、それからソレアが残った。
「本当は冷水で冷やせたらいいんだけど、あいにく、水不足だから」
服を脱いだノエルの身体にリラが草の束でゆっくり風を送る。ヤケドの跡がうっすらと浮かんでいる。
「このくらい大丈夫だよ。リラがすぐに服を脱がせてくれたし、お湯も沸騰したてってわけじゃなかったしさ」
痛みを堪えながらリラに笑いかける。
彼女のそばには、自身の常備している薬セットが置かれている。
「……そろそろ薬を塗ってもいいかも。少し痛むけど、我慢してね」
彼女は草の束を脇に置くと、小さな丸い木製の入れ物を手に取り、中の薄い黄緑色の軟膏を赤みのある肌へそっと塗った。
「つっ……」
痛みに思わず顔が歪む。
その様子を少し離れたところから静かに見ていたソレアが申し訳なさそうに言った。
「ごめん……。本当に。うちのじいちゃんが……」
しかし、そんな彼女にもノエルは笑って見せた。
「まぁ、お腹が空くと余裕もなくなるさ」
「でも一番大人なのにこんなことをしていい理由にはならないよ。しかも村長って立場なのに……」
彼女の言葉には強い怒りが含まれているように感じた。ソレアは続けて二人に近づくと言った。
「もうこの村も終わりなんだ。悪いことは言わないから、さっさと村を出て行く方が身のためだぜ。……薬売りさんもですよ」
「……そうだね」
リラは患部から目を離さず応えた。彼女の手当ての様子にソレアはふと、問いかける。
「どうして、魔法を使わないんです?」
「まぁ……使うほどの傷じゃないから」
「でも、すっげーヤケドじゃん」
「えっ、すっげーヤケドなの?」と背中の傷を見られないノエル本人が不安げに声を上げた。
リラは小さく笑う。
「大丈夫だよ。しばらく痛みは続くだろうけど、きちんと治療を続ければ」
「そ、そうか。なら良かった」
「……どうして庇ったりなんかしたの」
ポツリと小さな声でリラが問いかけた。それを聞いたソレアも大きな声を上げる。
「そうだよ、お前いつの間にここに来てたんだ? 急に現れたからビックリしたぜ」
するとノエルは困ったように笑った。
「騒ぎを聞いてさ。どうしたものかと思ってたらちょっと危なそうな雰囲気になったから、とりあえず止めに入ろうと思って。そうしたら村長さんがリラに何かを投げつけようとしたから思わず」
「身体が勝手に動いてたと」とソレアが言葉を引き継ぎ、ノエルは「うん」と頷いた。
「ほーん。そう言うところ見たらやっぱちょっとは騎士団やってたんだなって感じるな!」
感心のような馬鹿にするような、そんなことを言いながらソレアは笑った。ノエルは複雑な表情をする。
「笑い事じゃないよ」
冷たい声でリラが遮った。肩越しに振り返るとリラはとても真剣な表情で言った。
「結局あなたが傷を受ける羽目になったのだから」
「でも、リラに怪我がなくて良かったじゃないか」
さも当たり前と言うように返すノエルにリラは氷のような視線を向けた。
「わたしにそれは必要ない」
「え?」
「あなたが騎士として市民を守るよう訓練を受けたのはわかる。だから身を挺すことは否定しない。でも、わたしにはそう言うものは必要ない」
「どうして?」
リラは沈黙した。それは何かを考えているような長い沈黙だった。ヒリヒリと焼ける痛みを背に感じる。
「わたしは……」
そうして彼女は口を開いた。
「わたしには、十分な薬がある。いざとなれば、魔法で防ぐこともできるから」
長考した割には案外普通の回答だなと思ったノエルは、自然と笑い声が上がっていた。
「ハハッ。そっか」
再びこちらを見上げた彼女にノエルは申し訳なさも含めた明るい調子で言った。
「まぁ、リラが必要ないって言うなら俺が出る幕はないけどさ。ただ俺もあの時は身体が勝手に動いちゃったから。仕方なかったってことにしてくれたら嬉しいな……」
「……そうだね」
リラは一言そう応え、また患部の手当てに戻った。
一連を見ていたソレアは頭の後ろで両手を組むと言った。
「でも、こう言うところで身体張れる割には魔物との戦闘はダメダメなんだな」
「うっ……。それは自分でも情けなく思います……」
ためらいのない正直な物言いにノエルは苦笑すらできなかった。
「……奪うよりも、守る方が得意なのかもね」
そう言ったのはリラだった。直前までの冷たさはなく、落ち着いた声色だった。
「……そう、なのかな」
彼女の薬を塗る指が首元に流れる。薬草を混ぜた軟膏の独特な臭いが鼻腔を刺激する。ノエルは彼女の言葉を自分の中で噛み砕いてみた。
先ほどみたいに自然と身体が動く時もある。しかし、いざ剣を握ると身体が動かなくなってしまう。
奪う行為よりも、守ることが得意――。
リラから見える自分はそうなのだろう。
しかし、ノエルはどこかまだ腑に落ちないもどかしさを心の隅に覚えていた。
「自分でも、よくわかんないな」
今はそう応えるしかなかった。情けないな、とそっと拳を握った。
「でも」とノエルは自身の正直な気持ちを伝えた。
「君に怪我がなくて良かった」
「……っ」
ふわっと笑ったその顔を見たリラの指が、ほんの少しだけピクリと反応した。
しかしリラはまた視線を逸らす。
「そう。……まだ薬塗るから、あっち向いてて」
「あ、ハイ」
沈黙が流れた。
思った反応をもらえなかったせいか、それとも図らずともカッコつけるようなセリフを言ってしまったせいか、ノエルの心はだんだんと沈黙に耐えられなくなってくる。
「恥ずかしいな……」
リラは一言も口を開かず、どんな表情をしているかもわからない。
ただ、かすかに彼女の様子が変わったことを察したのは一連を見ていたソレアだった。
「ん?」
彼女は二人の間に流れる空気に敏感に反応した。
「なんだこの空気?」
ただ、彼女がそれが何かを知るのはまた別のこと――。
最後までお読みくださりありがとうございました!
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