【第三章】7.野花は耳を澄ます
風が流れ、葉のない木々が揺れる。昼を過ぎ、だんだんと空は雲で覆われていく。
礼拝堂の裏手に位置するその場所にリネットは一人、力無く座り込んでいた。
敷地を囲うように柵が巡られ、その内側には平たい石を半分地面に埋め込んだだけの小さな墓が並んでいる。
石の表面に書かれた名前は炭で書きつけだけのものであり、雨風にさらされ、名が霞んでしまっているものもある。
添えられた花は飢饉の影響か、皆枯れ果て、流れる風に乗って転がっていくものもあった。
「ユニス……」
その中にひとつ、真新しい墓標の前で彼女は呟いた。
手には一輪の花。それすら、ほぼ枯れかけている。
ユニスの遺体は戻ってこなかった。名前だけが石に刻まれ、彼の所属団であった紅牙団の腕章だけが、その前に添えられていた。
「ここにいたんだ」
裏口の扉が開かれ、続いて彼女に声をかける人物が現れた。リネットはその声に反応する。
「リラ様……」
リラはリネットに話しかけながらやってきた。
「お待たせ。あの行商人、こういうところで物売るの慣れてるんだろうね。思った通り、騎士団の配給じゃ置いてないような良いものが買えたよ」
そうして彼女はリネットの隣に腰を下ろすと、落ち込んだその様子には何も触れず、ただ空を見上げる。
「このまま雨になるといいけど」
雲はまだわずかに青空を見せている。今のこの村は雨も恵みだ。けれど、リネットは渇いた地面から視線を外さないまま、口を開いた。
「わたし、少しだけ思っていたことがあるんです」
リラは無言のまま彼女を横目で見る。
「ユニスの身体がここにはないから、もしかしたらまた帰って来るんじゃないかって。もしかしたら、騎士様の言っていることは嘘で、もしかしたら何か秘密の任務を任されているんじゃないかって。……そう思いませんか」
「……そうだね」
また空を見上げる。
「ずっとそうかもと思ってました。でも……でもね、リラ様。ノエルさんがあの子の最期を見ていてくれたみたいなんです」
二人の間に沈黙が流れる。リネットの、白髪混じりの髪の毛が風に揺れる。
「……嘘じゃないんだと、わかりました」
重たい口が、静かに言葉を紡ぐ。
「あの子は本当にもう、いなくなってしまったんだって、わかりました。もう、会えないのだと……」
声が震える。目線はユニスの小さな墓へと向いた。
「騎士になるってあの子が言い出した時から、いつかこんな日が来るかもしれないと覚悟していました。覚悟をして、笑って送り出したつもりでした。でも……」
リネットは突然、顔を両手で覆う。
そうして絞り出すような、か細い声で言った。
「覚悟なんて、何の役にも立たなかった……」
嗚咽が静かに聞こえてくる。彼女の肩が小さく震える。
「ただ、生きてさえいてくれれば良かった。本当は……本当は、騎士になんてならなくて良かったのに。名誉も何もいらなかったのに。
……どうして、わたしは止められなかったのでしょうか。どうして、送り出してしまったのでしょうか……」
そうして彼女は縋るように言った。
「ねぇ、リラ様……会える魔法は、ないのですか?
叱られてもいい。話ができなくてもいい。
ただ、最後に、一度だけでいいから、
……ユニスに会いたいのです」
リラは応えなかった。
代わりに彼女の肩をそっと、自身に寄せた。髪に留まる白い花の甘い香りがリネットの鼻腔に優しく届く。
リネットは時々噛み殺したような声を上げ、泣き続けた。
「……とても、愛していたんだね」
長い沈黙のあと、穏やかな声が落ちた。リネットは何度も頷く。
「我が子ですもの……」
リラの視線が彼の墓標へ移る。長いまつ毛が風に揺れ、わずかに瞳に影を落とした。
枯れかけの野花に、そっと手が重なった。
「わたしは、自分の家族を持ったことがないから、あなたの傷をどれだけ理解できるかわからない。
けれど、わたしは大切にしてもらった過去なら持っている。
だから……」
静かに目を伏せた。
「ユニスの気持ちならわかる」
そうして見上げた空は、いつの間にか青空を隠していた。しかし、その翡翠色の瞳は厚く覆われた雲のさらにその向こうを見ているかのようだった。
「……もう一度、あなたの元に生まれたいと、願うかもしれないね」
優しい声がリネットの心に触れた。
涙を溜めた目が大きく見開かれる。あふれたそれは頬を伝い落ち、野花をひとつ揺らした。
「リネット、わたしはね、信じていることがあるの」
「……信じていること……」
赤く腫れた瞳が向けられる。
「死はね、きっと『終わり』ではないと思うの」
「――それ、は……」
息が震えて口から漏れた。言葉はまるで、リネットの重く冷たくなった心にじんわりと広がっていくようだった。
「何百年、何千年かかっても、いつかきっと、もう一度、出会えると信じている。
わたしは、そう願っているの。心から。
だから……ねぇ、リネット」
野花が風に強く揺れた。
「あなたの愛は、途切れていない。
だから、きっと巡り合う。わたしは、そう信じてるよ。
……リネットは、どう?」
「リラ……様……」
唇を震わせ、歯を食いしばった。けれど、頬を流れる涙は止まることを知らなかった。
涙は雨のように、野花に降り注ぐ。
リネットはリラを強く抱きしめると、子どものように声を上げて泣いた。
ユニスへの想いをたくさん、たくさん言葉にして、リラの胸の中で泣いた。
リネットの脳裏にリラと最初に出会った時の言葉が優しく響いた。
『あなたのせいじゃないと、わたしは思うよ』
その言葉は他の誰でもない、ただ一人、リネットの心にだけに落ちた。
彼女の心は酷く傷つき、きっともう治ることはないかもしれない。
別れの悲しみを乗り越えるかどうかは、本人にのみ委ねられている。
だから、リラは彼女の頭を優しく撫でた。
「あなたの愛が、いつか……救われますように」
そう、心から願うのだった。
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