【第三章】1.知ろうとすること
レイヴァルに一人残ったノエルは、当てもなく街を歩いていた。
「何も予定がないって、いつぶりだろう」
川沿いに置かれたベンチに腰掛ける。穏やかな鳥の声、水の流れる音、空を泳ぐ雲。彼はそのどれもに耳を傾け、見上げていた。
「これからどうしよう」
帰る場所もなく、行く宛もない。
ローブの内ポケットから金銭の入った小袋を取り出し、そっと中を見る。
「旅をするには心許ないしな……」
深くため息をついた。
「村に戻るしかないのかな。でも、今俺だけ戻ったら」
彼の脳裏に母の顔が浮かぶ。
ノエルと同じ琥珀色の長い髪を一つにまとめ、いつもこちらを微笑んで見ている穏やかな人だ。厳格な父となぜ結婚したのか――なんて思っても口には出せない。
「今、俺だけ戻ったら母さんが村の笑い者になるからな」
膝の上で拳を握る。優しい母ならきっと自身の処遇を咎めないだろう。けれど、それではノエルの帰る強い理由にはならなかった。
「ま、何か仕事もあるだろうし、役場にでも行ってみるか」
そうして気分を変えるように大きく息をひとつ吐くと、さっと立ち上がり町役場まで向かった。
役場は中央の広場にあり、石造りの建物で、普通の民家より少し大きい。ここも昨夜の魔物の被害を受けているようで、その爪痕はまだ建物に生々しく残っている。
ノエルが近づこうとした時、一人の青き騎士がやってきた。
「ここは現在、一般人の立ち入りを制限している」
「ああ、すみません。ここの役場に仕事を探しにきて……」
すると、騎士は柵と縄で囲われているそのすぐ外側にある掲示板を指差した。
「求人の掲示板はあちらに移している。それから、今役場の正面口は封鎖しているため、入りたいなら側面の方へ周ってくれ。中は通常通り、運営している」
「わかりました。ありがとうございます」
ノエルはペコリと丁寧に頭を下げる。彼の様相を見た騎士は苦笑いをした。
「旅人か。運が悪かったな」
「あはは。まぁ、そうですね」
「気をつけろよ」
「……ありがとうございます」
ノエルも小さく苦笑すると騎士の元を去った。
「そっか、旅人か……」とポツリと呟いた。もう、自身に騎士であった影はひとつもない。ノエルは、他人にそう言われてやっと放浪人としての自覚が出てきた。
「さて、掲示板は……って」
外の掲示板まで行くとそこには、大量の求人――それも新しい紙に走り書きで書かれた雑な求人募集が多く張られていた。
「夜間警備、街道護衛、魔物討伐補助……」
ピタリと文字を追う指が止まる。脳裏に、昨晩の魔物の顔と、何もできず布団の中にいた自分の姿が断片的にフラッシュバックし、心臓がドクンと鳴る。
頭を強く振ると、それ以上は読むのをやめた。
「えぇと……。……あ、これ」
真新しい用紙の後ろ側に、もう一つの求人があることに気がついた。
「古書店の蔵整理か」
報酬は平均より安めだった。それでも思わず視線が『武装不要』の文字に行く。ノエルは無意識のうちにため息をついていた。そして、その用紙を破り取ると記載されている場所まで歩いて行った。
そこは表通りから一本奥に入った細い通り沿いにあった。木と石造りの建物の前に積み上げられた本が、いくつも無造作に並べられているところを見ると、ここが目的地だろう。
「すみません」
ノエルは店の外から声をかけた。しかし、中から返事はない。少々緊張しながら中へ足を踏み入れる。
壁一面を本棚が占め、人ひとり通れるだけの空間を残して、店内はほとんど本棚でひしめき合っていた。
薄暗く、涼しい店内には紙と埃の混ざり合う独特な匂いが漂う。気になったのは、これだけたくさんの本棚があるのに、本はあまり入っていないことだった。まるでシリーズ本をごっそりと抜き取ったような空間が本棚のあちこちに見受けられる。
ノエルは棚に気をつけながら店の奥へと進んだ。
「あの、どなたか」
店内には誰もおらず、ノエルの小さな声は大きく響く。
すると、店の奥に設置された受付カウンターの、さらに奥から、何やら歩き回る音が聞こえた。
ノエルは勇気を出してその音に呼びかける。
「すみません、蔵整理の求人を見て来たんですが」
「――――ああ」
少しの間の後、奥から返事が飛んでくる。
「こっち来てくれ」
続いてこちらに呼びかける男性の声。ノエルはその声に従ってカウンターへ入ると、そのまま明かりのまったくない奥の部屋の、さらに奥。裏口の扉が開いていることに気がつき、そこへ向かった。
「――っ」
パッと視界に光が落ちる。思わずノエルは目を瞑った。そしてゆっくり目を開くと、そこは中庭に繋がっていた。
昼前の陽の光が中庭を半分だけ照らし出し、涼しかった店内とは違ってほのかに春の暖かさがある。石畳の地面には苔が生え、埃がキラキラと光を反射していた。
ノエルはその一角に、石造りの建物の扉が開いている場所を見つけ、そこへ近寄った。
その時、ちょうどその建物の奥から、何冊も積み上げた本を抱えた白髪の老人が出てきた。
「求人見たってのはアンタかい」
「はい。ノエルと言います。よろしくお願いします」
「挨拶はいい。こっちへ来てくれ」
店主はぶっきらぼうに言い、本を地面へ置くと、腰をさすりながらノエルを中へと案内した。
そこは窓のない暗い蔵のような場所で、中には店舗よりも乱雑に本が山積みになっている。
「アンタ、昨日のこと知ってるか?」
「え? 魔物……のことですか?」
店主はへの字に曲がった口で言った。
「ああ。古書店も昨日の騒ぎで、店の本を一部こっちへ避難させたんだよ。一晩かかって本は無事だったんだが、今度は避難させた本を店まで戻すのが一人じゃ厳しくてよ」
「そうでしたか。それなら俺に任せてください」
ノエルは愛想良く笑ったが、店主はそれに一目も置かず、無愛想に言った。
「……作業はこの手袋を使え。それからどの本も古いからな、扱いは慎重にするんだぞ」
「はい!」
ノエルはローブを脱ぎ傍らに置くと、灰色の汚れた布手袋をはめた。
「まずは手前の床に置いてる本をこっちに出してくれ。中庭の隅に台車があるから、それで店まで運ぶんだ」
その言葉を聞き、ノエルはすぐに日陰に隠れた台車を見つけて持って来ると、手際よく本を蔵から出し始めた。
本の種類はさまざまで、歴史書や文学書、古い地誌の断片であったり、子ども向けの昔話などもあった。
「へぇ、これ昔読んだな。……ふふっ、懐かしいな」
見覚えのある本を見るとどこか心が嬉しくなる。運ぶ手が慎重になり、一冊一冊丁寧に運んでいく。
「アンタ、本は好きかい」
彼の本を扱う様子を見ていた店主は、自身も蔵から本を出しながら聞いた。ノエルは照れたように笑う。
「好き……かと聞かれたら難しいんですが、子どもの頃よく母が読んでくれて」
「そうか」
大した反応は見せず、一言返事をするだけだった。ノエルも気にせず再び作業に戻る。
「よいしょ……っと」
少し多めの本の山を持ち上げた時、その反動で一番上に乗っていた本が落ちてしまった。本はドンと重い音を立てて開かれる。
「わっ……しまった」
「おい!気をつけろ!」と蔵の外から店主の声が飛んでくる。
ノエルは慌てて持ち上げた本の山を地面へ下ろすと、落とした本を取り上げた。
急いで土埃を被ったその本を手で払う。その時、ふと開かれたページに視線が落ちた。
「精霊の森か」
そのページはヴェルシオンに伝わる伝承の一つが載っていた。本の表紙には『ヴェルシオン王国神話・伝説集』と書かれている。
「さすが古書店だな。こう言うのも置いてあるんだ」
思わず関心したようにそれを見ていると、蔵に入ってきた店主が、その手にある本に気づいて言った。
「あぁ……それはもう誰も読まなくなったさ」
「え?」
店主の意味深な言い草にノエルは振り返る。店主は腰を庇いながら、重なった本を持ち上げようとしていた。
「あぁ、持ちますよ」
ノエルは手にしていた本を閉じるとそれと共に店主から本を受け取った。
「……悪いな」
「いえ。力仕事は任せてください」
ニコッと笑った。そうして先ほどよりも慎重に丁寧に、本を台車へと運んでいく。
店主はノエルの後ろ姿を見つめ、頑固な表情をわずかに緩ませた。
そして、彼は静かに言った。
「本当は店に出さなくてもいい本もあるんだけどな」
「そうなんですか?」
台車へ本を置いたノエルが店主に向く。
「まぁでもよ、『あんなこと』が起こっちまったから、久しぶりに出しておこうと思ってな」
「あんなこと……」
それが何を示しているのか一瞬わからなかった。
店主の視線が神話集に向く。店主は先のラオニスの件を言っているのだと気づくと、ノエルは彼に言った。
「もしかして魔物の話も、載っているんですか?」
「……ああ。魔物もこの間まで伝説の生物だった。だから、歴史本ではなく、こうした伝承モノの本にしか載ってないんだよ。だがそんな本も、今じゃうちみたいな古い店にしか置いてないだろうな」
「どうしてでしょうね」
すると、店主は諦めたような力のない声で言った。
「そりゃあ、誰も読まないからよ。誰も信じていない空想の話を、わざわざ知ろうとなんてしないだろう。そんなことするのはどっかのお偉い学者だけさ。アンタだってそうだろう?」
そう問われノエルは否定できなかった。彼の言葉はあまりにも的を得ていたから。
何も応えないノエルに店主は言う。
「ま、どう思ってたってオレには関係ねーけどな」
店主は箒を持って、蔵の中の土を外へ払う。ノエルも中へ入り本の束を持ち上げた。その本もまた、神話集だった。読まれなくなった本でも管理はきちんとされていたのだろう。傷やシミは最小限に抑えられているように見え、ノエルは店主がとても本を大切にしているのだなと思った。
「店主さんは――」
ふと、ノエルは、その表紙についた埃を優しい手つきで払いながら聞いていた。
「信じていたんですか?」
すると、彼はこちらに背を向けたまま応えた。
「……ガキの頃はな」
――蔵から本を取り出し、台車に乗った本を店へ並べ、それを何往復も繰り返す。ノエルは最後まで店主の指示をきっちりと守り、繊細な本をすべて大事そうに棚へ納めていく。
そうして、陽が傾き始めた頃、すべての作業が終わった。
「この量を昨日お一人でされてたんですね」
ノエルは額に浮かんだ汗を拭って言った。店主は蔵から出て来ると鼻をフッと鳴らす。
「この仕事ももう四十年よ。このくらい、一人でできて当たり前だったんだがな」
その時、わずかに顔に影が落ちた。ノエルはそれに気がつくと、そっと言った。
「……無理されないでください。言ってくれたら、またいつでも手伝いますよ」
「おや? アンタ旅の人じゃないんか?」
「あっ、まぁ、そうなんですけど……」
「はは。アンタじゃなくても、また頼むさ。この店続けてくのに、オレが倒れてちゃ始まらないからな」
「そうですね」
そうしてノエルは、重い蔵の扉をゆっくりと閉め、店へと戻ってきた。
昼間でも薄暗かった店内は夕方になり、より暗くなっている。店主は、カウンター近くのランプに明かりを灯した。
「報酬だ」
ノエルへ小袋を差し出す。それを受け取るとノエルは頭を下げた。
「ありがとうございます」
すると、店主は綺麗に棚に戻された本たちを眺め、言った。
「いや……お礼を言うのはこっちさ」
そしてノエルへ視線を移す。
「ところでアンタ、仕事を探してるのかい?」
「え? ええ、一応……」
「実はよ、知り合いの行商人が北方へ荷運びに行くんだけど、昨日の騒ぎで人手を取られてるらしいんだ。良かったら手伝ってくれ。きっと報酬もここより弾むぜ」
「いえ、そんなこと……。でも、教えてくださってありがとうございます。ぜひ行ってみます」
「ああ。明朝レイヴァルの北門出立だ。事情はオレから話しておくよ」
彼の手厚い対応に再びノエルは深く頭を下げた。
「いろいろと、本当にありがとうございます」
「いいさ。オレも久しぶりに若いモンと話ができて楽しかったよ」
そうして、ノエルは店主と挨拶を交わすと店を出て行こうとした。
「……あっ」
ふと、彼の足が止まる。
その視線の先には一冊の神話集があった。
「……」
少しの間それを見つめていた。その指先は、気づくと本の背表紙をなぞっていた。
そっと、手に取ると、再び店主のいるカウンターへと戻って来た。
「……せっかくの旅なんで、この世界のこと、俺ももっと知ってみようと思います」
ほんの少し照れた様子で笑った。
「……そうかい」
店主も穏やかに微笑んだ。
最後までお読みくださりありがとうございました!
本日より、第三章始まりました!
ぜひ感想等お待ちしております。
また、次回もよろしくお願いします。




