【第二章】終.流れ者の旅路に平穏を
宿へと戻ったノエルはリラによって傷の手当てを受けていた。外はすっかり夜の静けさを取り戻している。
ノエルの足にできた傷に、リラが持参している濃い琥珀色の塗り薬を塗る。
ノエルはどこか緊張した面持ちでリラを見ていた。ランプの明かりが二人を照らし揺らめく。静かな空間が広がる。
「はい。異物が身体に残っていることもなさそうだし、薬も塗ったから明日には治るよ」
「あ、ありがとう。……リラっていろんな薬を持ってるんだな」
チラリとサイドテーブルに広げられた革製のポーチを見る。
丸い木製の入れ物に入った塗り薬が三つ。
ガラス瓶に入れられた緑や青色の飲み薬が四本。
それから個包装された粉薬のようなものがいくつか入っている。あとはやや緑がかった包帯など処置具が少し。
リラはノエルの言葉に返事はしなかった。そして、手際良く彼の足に包帯を巻くと、薬をポーチへしまい、口を閉じた。
「そういえば、さっきリラは広場で何をしていたんだ?」
リラはポーチを自身のトランク戻しながら簡潔に応える。
「あなたが知らなくていいこと」
「……そっか」
そう言われたらこう応えるしかない。ノエルはそれ以上何も聞かなかった。
リラはトランクを持って立ち上がると「じゃあ、おやすみ」と言って部屋を出て行った。
「うん。おやすみ」
パタンと扉が閉まると彼はランプの明かりを消した。
翌日の朝はとても静かだった。
二人は一階の食堂で朝食を受け取る。
パンとスープと果物。それと、温かいミルク。質素だが、満足できる内容だ。
「ふわぁ……」
朝日が食堂に差し込む中でノエルは大きなあくびをした。それにつられてリラも小さくあくびをする。二人は会話は最低限に、黙々と食べていた。
「いやぁ、昨日はえらい事態だったなぁ!」
食堂に大きな声が響く。口周りにヒゲを蓄え大柄な男性が入ってきた。宿屋の店主だった。
店主の声に他の客たちが返す。
「ラオニスのことがあってここもあぶねーかもと思ったけど、案の定だぜ」
「ま、騎士様が倒してくれたから被害は少なかったらしいけどな」
それを聞いて店主は少し考えるように腕を組んで言った。
「うーん。それでもここも物騒になったな」
今度は別の客が言う。
「この分じゃ、どこも魔物がいる可能性があるだろうな。なんでも、アルデナでも出たって噂だぜ」
すると店主は驚いたように応えた。
「あんな小さい村にもか。こりゃあ何かの天罰かねぇ」
そうして彼は食堂を見渡すと、ノエルたちに気づいて近づいてきた。
「お客さん。アンタら昨日遅くに出ていったようだけど大丈夫だったかい?」
ノエルは顔を上げると笑顔を見せた。
「はい。俺たちは全然」
「そうか、なら良かったよ。……はぁ。こんな無作為に現れてもらっちゃ、商売上がったりだぜ」
「本当ですね」
「今日はあんまり客も来ないだろうから、良かったらお客さんたちもう一泊していくかい? 安くしとくよ」
「あはは、考えておきます」
当たり障りのない返事をした。店主は別の客といくつか言葉を交わし、困ったと言うように食堂を出て行った。
彼の出て行った方を見て近くの客が声をひそめて話す。
「ラオニスにレイヴァルに、もうこの辺はやばいかもな」
「あぁ。テルノアはまだ被害は出ていないらしいけど、どうなるか……」
「下手に外に出ない方がいいかもな」
二人はそんな会話を耳に静かに食事を続け、それから荷物を整えて宿を出た。
「店主の予感は当たりそうだな。今日はあんまり人がいない」
ノエルは昨日よりも静かな街を見て言った。リラはノエルの足元を見る。
「傷はどう?」
「うん、大丈夫。薬が効いたみたいだ」
「そう。それなら良かった」
朝ももうとっくに過ぎている時間だったが、街を歩いているのはレイヴァルの住民と思われる者がほとんどで、彼らもどこか足早に行き来していた。昨日までいた道の途中で会話をする人々は見る影もない。
「実質的な被害は少なかったけど、これじゃあラオニスと変わらないな」
「まあね。魔物なんて大厄災以降、現れていなかったんだから。誰もこんなことになるなんて思わなかったでしょう」
「そうだよな……」
ノエルはチラリと彼女を見た。
相変わらず涼しい顔をしている。
「なぁ……。リラは魔物に詳しいようだけど、何か勉強でもしたのか?」
「知る機会があったから知っていただけ。知らなかったら、わたしも知らない」
「ふーん……?」
わかったような、わからないような、小さく首を傾げた。その時、不意にノエルはある場所に気づいて足を止めた。
「あれ……」
そこは魔物の襲撃があった広場だった。広場一帯には木製の柵とロープで囲われており、その内側に数人の蒼盾団員がいる。なにやら現場の様子を確認していたり、言葉を交わしているようだった。
昨日は暗くてわからなかったが、魔物の残した爪痕は思ったよりも深いことにノエルは気づいた。
石畳は抉れ、近くの建物には魔物がぶつかったような痕や、爪で引っ掻いたような大きな引っ掻き傷が残っている。ところどころにも少量であるが血痕も残っており、思うよりも悲惨な状況だった。
「こんなことになってたなんて……」
自然と拳に力が入る。
「どうしたの?」
少し先でリラが振り返った。そうして、彼の視線の先を同じように見る彼女にノエルは小さく呟いた。
「俺、何もできなかったな」
リラは何も応えなかった。彼女はノエルに背を向け再び歩き出す。
「悩んでても仕方ないよ。行こう」
「あぁ」
必要ないとわかっていても、心が重くなる。どこか後ろ髪を引かれる思いでその場から離れた。
二人は最初に旅行用品専門店で旅に必要な最低限のものをそろえた。
「まいど。気をつけてな」
新しいローブを身にまとい、革製のバッグを背負ったノエルに店主はそう言ってくれた。
店から出てきたノエルを見てリラは小さく笑みを見せる。
「旅人らしくなったね」
その後、二人は昨日と同じ武器屋の前まで行く。扉を開ける直前、リラがふと声をかけた。
「その剣、本当に使えないの?」
それはノエルの家から代々受け継がれてきたというお守り用の古びた剣。
「どうして?」
「まだ戦えるように見えるから」
「難しいと思うよ。こんな、いつからあるのかすらわからない剣じゃ……」
ノエルがそう言って笑うので、リラは肩をすくめた。
「ねぇ、せっかくなら——」
——武器屋は昨日と変わらず無骨な静寂が広がっていた。ここも被害はなかったようだった。
二人は中へ入るとまっすぐに店主のいるカウンターへ歩み寄る。
「失礼」
リラが静かに声をかける。短剣を磨いていた店主は視線だけをこちらに向けた。
リラはカウンターにノエルの剣を置く。
「これ、直していただきたいの」
しかし、鞘もグリップも鍔もすべてがボロボロのそれを店主は一瞥するや否や、苛立ったように舌打ちをした。
「新しい武器買いな」
そうして再び彼は視線を短剣へと戻す。
ノエルは予想していたように苦笑いをした。
店の前で受けたリラの「せっかくなら武器を修復してもらったら?」という提案は確かに素敵なものだが、こんな古い剣はもうなんの役にも立たないだろう。
「リラ、申し出はありがたかったけど……新しい武器を買うよ」
そっと彼女を見ると、リラもまた目を伏せうなずいた。
「そうだね。直せないんじゃ仕方ない」
ピクリと店主の眉が反応する。そして彼は怪訝そうに顔を上げた。
「おい。直せねぇとは一言も言ってねぇだろ」
「あら、そう」
リラはそっと店主を見た。店主は短剣を端に置くとカウンターに置かれたノエルの古びた剣を手に取った。
そうして細かく全体を見ていき、最後に鞘から抜いて剣身を見る。
「あぁ……まぁ、古いが、まだ使えるな」
「ほ、本当ですか」
店主の言葉にノエルは驚きを示す。剣の所有者であるノエルに彼は言った。
「五日ってところだ」
「そう、ですか……」
ノエルのどこかためらった返事にリラも店主も彼を見る。
「なんだ、嫌か?」
「いえ、そう言うわけではないんですけど……」
剣を新しくしたらそれが自分の今後の武器となる。
そう思うとなぜだか気持ちが騒がしくなる。理由はわからないけど、騎士としての象徴のようなものが、騎士ではない自分の物になると思うと、そこに一種の不釣合いさを感じる。
それと父を含めフェルディア家の人間としての罪悪感も。
だが、それでもこの受け継がれてきた剣を新たに握ることは騎士でなく一人の『剣士』として喜ばしいことでもあった。
「よろしくお願いします」
頭を下げる。店主はそれを見て表情ひとつ変えることなく「おう」とだけ応えた。
それを見届けたリラは微笑むとそっと身を翻して店の出口へと歩いて行く。
「あっ、リラ」
店を出たところでノエルは声をかけた。彼女は肩越しに振り返ると穏やかに笑った。
「これで武器の方も問題ないね」
「あ、あぁ。ありがとう、いろいろと。なんてお礼を言ったらいいか……」
「別に。二本持って旅をするのも大変だろうし。それじゃあ、わたしはもう行くから」
「どこに行くか聞いてもいいか?」
しかし、リラはまたいつものように秘密を隠したような笑みを見せた。
「あなたが知らなくていいところ」
そうして最後に「幸運を」とだけ告げて彼女は一人、レイヴァルの街を去っていった。
温かい風が流れる。
ノエルはこうしてまた一人となった。
『ある青年の手記』10.
今日も相変わらず暇な一日だった。
あまり兄から好かれていなかった私だったが、あの出来事から完全に嫌われてしまった。
というのも、たまたま私しか家にいない時に兄の想いを寄せる少女がやってきたのだが、彼女と話してしまったのが間違いだったらしい。
『二度と彼女に近づくな』と言われてしまった。




