【第二章】4.感情に惹かれる者
旅支度が翌日に持ち越しとなった二人は、街の宿を取ると、その一階にある食事処へと赴いていた。
「わぁ、こんな食事、久しぶりだな」
料金は宿賃とは別途でかかるが、目の前に並んだ食事を見てノエルは感嘆の声を上げた。それを見てリラは不思議そうに首を傾げる。
「騎士団って食事はいつもどんなものなの?」
「あぁ、充実してないわけじゃないけどさ、あくまで国民の税で成り立ってるから、やっぱり贅沢はできないよな」
「ふぅん。国を守ってくれる人にはたくさん食べてもらいたいけどね」
「はは……そうだな」
焼きたての白パンにはチーズの付け合わせがあり、香草入りの肉の煮込みは湯気と共に深い香りが立ち、鼻腔を刺激する。スクランブル状の卵と、小さな深皿にはナッツが入っている。
ノエルはテーブルに置かれたボトルを取り上げ、木製のカップへと注ぎながら言った。
「これは果実酒か。いやぁ、豪華だな〜」
「ちょっと。未成年はお酒ダメだよ」
向かいに座るリラが強い言葉で制した。ノエルはそれを聞いて少々焦ったように返す。
「え!? 俺成人してるよ。騎士団に正式入団してたんだから」
「えっ……? ……あぁ、そうか」
「俺、子どもっぽく見えるかな……。と言うか、リラは? 俺と年齢は変わらなそうだけど、お酒大丈夫?」
「……うん」
それを聞き、ボトルの酒を彼女のカップにも注いだ。リラの前にも同様の食事が並べられている。
嬉しそうにするノエルにリラが半ば驚いた様子で言った。
「それにしても、さっき食べたばかりなのに、もう食べられるの?」
ノエルはフォークを手に取りながら当然というように頷いた。
「だって今日それしか食べてないじゃん。リラはお腹空いてないのか?」
「わたし、ニ日に一食で十分だから……」
「んえ!?」
煮込み肉を口に運ぼうとしていた手が驚きで揺れ、肉をスープの中に落とす。
「二日に一食? 今、二日に一食って言ったか? 二日って、どういう生活したらそうなるんだ? それじゃあ力つかないだろ。それともその一食で大量に食べるとか?」
「なんかちょっと馬鹿にしてる?」
「へっ!? べ、別にそんなこと」
リラが不機嫌そうに睨むとノエルは慌てて首を振った。そして、急いで言葉を繋ぐ。
「無理に食べろとは言わないけどさ、せっかくなんだから食べなよ」
「……まぁ、そうだよね」
リラは木のスプーンを手に取ると、小さな口でそっとスープを飲み込んだ。ノエルはパンを食べながらその様子を見守る。
「お肉の味がする」
「そりゃあ肉のスープだもん」
次いで「苦手?」と首を傾げるが、彼女は何も答えないまま首を静かに横に振った。それを見てノエルも笑顔を浮かべる。
「良かった」
リラは、それからはどれも美味しそうに食べていた。その姿にノエルは何気なく声をかける。
「なんか、リラってまるで食べることが初めてみたいに見えるな」
「わたし、あんまり食べることが好きじゃないから」
「へぇ」
そう言う文化の国出身なのかと思ったノエルは何気なく質問を投げかけた。
「そう言えば、リラはどこかの国から来たのか? 見たところ旅をしているようだし、行くところがあるのか?」
リラはカップに口をつけそっと果実酒を飲むと応えた。
「わたし、生まれも育ちもヴェルシオンだよ。ラオニスには買い物に来ていたの。わたしが住んでるところはここからかなり距離があるから」
「あぁ、だから旅人の格好なのか」
長距離の旅には馬に乗る者もいるが、個人の理由により全員が馬で移動をするわけでもない。リラのような旅人も珍しくなかった。
「じゃあ帰るのか?」
「まだ帰らないよ。……ちょっとやることがあるから、このまま旅を続ける」
「そうか」
あまり聞かれたくなさそうな様子にノエルはそれ以上詮索することはしなかった。
食事を終えた二人はそれぞれの部屋で休む。
小さなテーブルと古くて薄いベッドだけの部屋だが、ノエルにとっては満足だ。
「さて、これからどうしようか」
古びた天井を見上げて呟く。
小さなランタンが暗い部屋をほんのり照らし出す。その側には金の入った小袋。騎士団を解雇された時にいただいた手当金だ。向こう一週間は生活できるだけの額はある。
しかし、ローブやら武器やらを揃えていたらあっという間に底を尽きてしまうだろう。ノエルはため息を吐いた。
「帰るための、資金……てことか」
これから何をして、どう生きて行ったらいいのか。
騎士になるために生きてきた今、『それ以外の道』はノエルにとって想像があまりにも難しかった。
騎士団本部で父——グラン・フェルディア統括と会ったことを思い出す。
若輩者の勇気など、あの場ではきっと不要だったのだろう。規則を破ってまで直接本部に報告しに行ったことはきっと間違いだったのだろう。
誰一人守れない力のない者が、でしゃばっていいはずがなかったのだ。
「ったく、何やってんだろうな、俺は」
身の程を知らない人間ほど、すべてを失ってからそれに気付く。
騎士団にいた頃の自分が蘇る。
幼い頃から剣術を父に習ってきたノエルは入団時、他の志願者よりも突出した剣技を見せた。
『お前は騎士となって王と民を守るんだ』
父の言葉が脳裏に響く。それはノエルの心に強く根付き、辛い訓練の日々と共に思い出される。
「俺は、騎士にならなきゃいけなかったんだ」
幼少期から積み重た努力を他人は『才能』と呼び、ノエルは最前線で戦う団、紅牙団に割り振られたのだ。
ボロが出たのは実戦時。ある盗賊を前に、ノエルは一度も剣が触れなかった。
その事実はすぐに父の耳に入ったそうで、いつしか父はノエルを『恥』だと思うように……少なくとも、ノエル自身はそう思われていると考えていた。
それでもノエルにとって騎士を辞める選択肢はなかった。考えもしなかった。
本部の地下牢で最後に見た父の冷酷なまでの視線を思い出し、ノエルは反射的に布団を頭から被る。
「もう、俺は騎士になれないんだ」
はっきりとそう口にする。
戒めのように、罰のように、自分の心を折るように。
夜空に浮かぶ月は雲から見え隠れを繰り返している。遠くから誰かが会話する声が外から聞こえる。他にも宿泊者がいるのか、どこかの部屋から物を動かす音や歩く音が聞こえる。
ノエルは頭の中を静めるように、それらの世界の音に耳を傾けた。ただ自分の部屋のみ、無音が広がる。
もう今日は寝てしまおうか――。
そう思い、目を伏せた。
どのくらい経っただろうか。自然とうとうとし出していたその時、遠くに聞こえていた誰かの会話が徐々に近づいてきていることに気がついた。
「……あれ……なに……う――うわぁぁあ!!」
刹那、外から大きな悲鳴が響き渡った。
「――!?」
ノエルは驚いて飛び起きるとそのままベッドを出て、部屋の窓を開いた。
その悲鳴は無意識下で嫌な予感をもたらしていた。
恐怖。それも圧倒的な恐怖を前にした人間の上げる絶叫。
「誰か! 助けてくれぇえ!!」
雲が晴れ、月が顔を出す。それが照らしたのは、何か黒い塊のようなものに追われている一人の男性だった。
「誰かぁぁあ!!」
「くっ……!」
ノエルは男性の必死の叫びに、サイドテーブルに立てかけていた剣を取るとブーツも履かずに窓から飛び出した。
「大丈夫ですか!?」
しかし、男性の元へ駆け寄った瞬間、ノエルの背筋に冷たいものが走った。
「——ッ!?」
彼を追いかけていたのは、あまりにも不気味で気持ちの悪い――。
「魔物……?」
「グ……ゥ……」
大人ほどの背丈があり、筋肉質なその全身は皮膚が引き裂かれたように赤黒い。顔面の肉が削がれたように目はポッカリと黒い空洞が広がり、鼻はなく、大きく裂けた口から不揃いな歯が露わになっている。
「グァァア――!!」
怒りを含んだような雄叫びを目の前に、思わず腰を抜かした。
ありえない。こんなモノが存在しているなんて。
「グァァアア!!」
「——くっ!!」
魔物は刃物のような鋭く長い爪をノエルに向かって振りかざした。反射的に鞘で受け止める。
しかし相手の圧倒的な力で剣は手から離れて飛んでいくと、鞘から刃があらわになってノエルの手が届かない方へと転がった。
「そんな、武器がッ……!」
目の前が真っ暗になった。丸腰で戦えるはずがない。
共に戦う仲間も武器も、何もない。
彼はもうただの平民だった。
魔物は追撃のためゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。目のない目は、ノエルと背後の男性を捉えていることがはっきりとわかった。
「たっ、助けてくれ……!!」
男性が必死に悲鳴を上げる。ノエルはじりじりと近づいてくる魔物を歯を食いしばって見つめた。
「俺じゃ……ダメだ……」
言葉が漏れ、それを最後に魔物は手を振り上げる。
「——ッ!!」
ここまでかと目を強く瞑る。
瞬間、脳裏にはっきりと声が聞こえた。
『騎士ならば――』
「――!!」
振り下ろされる爪が顔を突き刺すその刹那、ノエルは反射的にそれを交わしていた。
ドガン!! と爪はそのまま地面を抉る。
それは本能的にそうしていたのかもしれない。ノエルは立ち上がると近くに飛ばされた古びた剣を構え、背後の男性に叫ぶように言った。
「逃げて!!」
「う……うわぁぁあ!」
男性はその言葉に呼応するように無我夢中で駆け出し、路地の奥へと逃げて行った。追いかけようとする魔物の前にノエルが立ちはだかる。
「俺が相手してやるよ」
「グゥゥ……」
魔物は目玉のない眼孔を向ける。
ノエルの身体は震えていた。
けれど、その目は魔物をまっすぐ見返していた。
死ぬのなら、せめて騎士として生きてきた過去に報いる死に方をしたい。
「それが俺の最期の目的だ」
すると、不思議なことに肩の緊張がスーッと無くなっていくのを感じた。
瞳はまっすぐに魔物を映す。手の震えは収まり、ノエルは構えの姿勢を取る。
死を覚悟すると共にそれ以外の感情はなくなっていた。
「グゥ……ウゥゥ………………」
「……え?」
しかし、突如として魔物は力のない動きを見せる。それはまるで突然に攻撃意欲がなくなったかのような――。
「——矛よ」
瞬間、激しい閃光に似た攻撃が魔物の身体を貫いた。
「グァァアア――!?」
魔物は悲鳴を上げると地面へ倒れ、あっけなく動かなくなった。
一瞬の出来事に慌てて攻撃の飛んできた方を見る。
「え、リラ……?」
宿から出てくる彼女の手には杖のようなものが握られていた気がしたが、ノエルが見ると同時にそれはふっと姿を消し、彼女はいつもの変わらない表情でこちらへ近づいた。
「大丈夫?」
その様子に、ノエルの身体から緊張が解けていくのを感じる。
「あ、あぁ……」
リラはふと彼が靴を履いていないことに気づくと、呆れたように言った。
「まさか、窓から飛び降りたの?」
宿を見上げる。そこには明かりのついたまま窓が開け放たれた部屋があった。ノエルは小さく笑い頭を掻く。
「思わず……。それよりも、助けてくれたのか?」
「悲鳴が聞こえたから。無事なら良かったよ」
その時、倒れていた魔物がシュウーー……と蒸発するような音を立てて地面に溶け込むように消えていった。
「消えた? こいつも、魔物だよな……?」
「ラース・スウォーム。人間の怒りと恐怖に反応する魔物だよ。この様子を見るに、ラオニスの時とは違って誰かが操ってることはなさそうだね」
「怒りと、恐怖……?」
「怖がれば怖がるほど、やつらはその対象に惹かれてく。反対に、怒りも恐怖も抱かない人には興味を示さない。面倒くさい魔物だよ」
「そう、か……」
やつが倒される直前、それが見せたあの戦意喪失を感じさせる動きは、もしかしたらリラが言った二つの感情をノエルから感じなくなったからかもしれない。
その時、レイヴァル中に響き渡るほどの大きな鐘の音が響いた。
「な、なんだ?」
驚いて辺りを見る。次いで遠くの方で数人の声と激しい音が聞こえてくる。リラは言った。
「ラース・スウォームは基本、七体くらいの群れで行動するの。あっちに集団がいる可能性がある。たぶん、人が密集しているのかも」
「そ、そんな。一体だけじゃないなんて」
脳裏に焼き付いたラオニスの悲劇が蘇る。再び恐怖が心に生まれ、足がすくんだ。
しかし、リラは言った。
「一緒に行こう」
「え――?」
ドクンと、心臓が鳴った。背筋に冷たいものが走る。
ノエルは、目を逸らしながら慌てて取り繕う。
「いや、俺が行っても役に立てないんじゃないかと思って……」
リラはそれを聞いてわずかに驚きを見せた。
「さっきは戦っていたでしょう?」
そうしてノエルとノエルの握る一本の剣を見つめる。いつの間にかできた頬の傷も、地面を走った足も、その手に握られた剣も、すべてがその証拠だ。
リラは微笑んで今度は肯定的に言った。
「戦ってたじゃん」
ノエルは返答ができずうつむいた。切羽詰まっていた先ほどとは違って、今は余計なことを考えられる余裕があるせいで応えられずにいた。自分の意志がわからなかった。
そんな彼を見たリラは目を伏せる。
「……まぁ、恐怖が生まれたなら行かない方がいいか」
「あっ、い、いや……あの、リラ――」
しかし、彼女は呼びかけには応じず、身を翻すと音の聞こえる方へと足早に歩いて行った。
「俺……」
伸ばしかけた手をゆっくり下げる。
「痛……っ」
ふと、足の裏に鋭い痛みを覚える。小石か何かを踏んでしまったらしい。血が滲み、ジクジクとした痛みが走る。
「……っ」
とても惨めな気持ちになった。
ノエルは、込み上げる気持ちを堪え「靴、履かなきゃな」と呟くと宿へと戻って行った。
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