【第二章】2.ひとときの安らぎ
それを見ていた。
そんな気がする。
また、いろんな感情が押し寄せる。
どれも深く強い悲しみだ。
「う……うぅ……」
『ヤツ』を見ている。うるさい音が耳をこだまする。
「うーん……」
小さな涙の粒が目からこぼれ落ち、ノエルの瞼がピクリと反応した。
すると、だんだんぼんやりと視界がぼやけていき、風が草木を撫でる優しい音が聞こえてきた。と、同時に身体にはっきりと地面の感覚伝わるのを感じる。
「……?」
まぶたを上げると、視界いっぱいに青空が広がる。白い雲がゆっくりと空を泳ぎ、鳥のさえずりと木漏れ日が落ちる。ノエルは眠気まなこを擦りながら起き上がった。
「んーーー……」
大きく伸びをし、ふぅと息を吐いた。ふと、彼は自分にかけられた一枚のローブに気がついた。するとその時、隣で声がした。
「大丈夫?」
見ると、そこには白い花飾りをつけ、両サイドで編み込んだ髪を輪っかに結んだ特徴的なシルエットの彼女が座っていた。
「君は……」
ぼんやりと言うと彼女は苦笑する。
「寝ぼけてる?」
白い肌、緑の瞳、ノエルはだんだんと思考が戻ってくると思い出したように口を開いた。
「あぁ、リラ。おはよう」
ノエルはどこか気の抜けた挨拶をする。リラは小さく息を吐くと言った。
「よく寝てたね。うなされていたようだけど」
「うん……」
ノエルは空を見上げた。
サムサリナ堂で出会った二人は、あれからラオニスを出て街道の途中で休んでいた。
ノエルは昨日の戦いから一睡もしていなかったので泥のように眠ってしまっていたのだ。陽はいつの間にかてっぺんまで上っている。
「うん、大丈夫だよ。夢見が悪かっただけさ。
それよりも――」
と、ノエルはリラの手に持つ小さなティーカップに気がついた。
「お茶?」
首を傾げると、リラはそっとカップの中の薄い緑色の飲み物を飲んだ。
「うん。あなたも飲む?」
「いいの?」
すると、リラは自分のそばに置いていた、布で包んだ金属の小さな箱を開き、彼女の手に持つカップと同じ、銀とも鉄とも決めつけ難い、やわらかい光り方をしたカップをノエルへ差し出した。
ノエルの手には片手でも収まってしまうサイズだ。
「これ、銀……か?」
「錫」
ただそう応えると、携帯用の炉にかけていた同じく錫の小さなティーポットを持ち、彼のカップへゆっくり注いだ。ノエルはふわっと立つ香りを吸い込む。
「薬草のお茶か」
「ハーブティーだよ。これはミントのハーブティー」
「えぇと、薬……だよな?」
ノエルが言うとリラは小さく笑った。
「この国では薬として飲むことが多いと思うけど、わたしにとっては日常で飲むお茶なの」
「そうか。じゃあ、一口……」
ノエルはそっと、カップへ口をつける。
温かさと共に、ミントの葉の強い香りが鼻に抜け、葉っぱ独特の苦味が口内に広がった。
「わ、すごい薬の味……!」
思わずそう声を上げてしまい「あっ」と慌てて取り繕う。
「いや、違うんだ。ちょっとあんまり飲まない味で――」
しかし、リラは腹を立てる様子もなく笑った。
「まぁ、そうだろうね。でもスッキリするでしょう?」
「あ、あぁ……。そう言われれば……?」
「苦手なら無理に飲まなくてもいいよ。きっとハチミツとかミルクを入れたら飲みやすくなると思うんだけど、今はないから」
「リラはいつもお茶を飲むのか?」
ノエルは再び一口飲み、リラへ問う。少しずつ味に慣れてきている、気がする。
リラはカップを両手で包み込むように持ちながら、その中に揺らぐ淡い色のお茶を見つめた。
「そうだね。……この時間は嫌いじゃないから」
そう応えてそっと独特な味のそれを飲む。その様子を見てノエルは微笑んだ。
そして、広い街道を見る。
ラオニス南門を出た街道はまるで昨日の奇襲などなかったように穏やかだった。騎士団が結界を張ってラオニス内部だけに被害を留めただけある。
けれどラオニスへは現在、通行制限をしているせいか、いつもよりも街道を歩く商人や旅人は少なく感じた。
「静かだなー……」
ポツリとノエルが呟いた時、地響きに似た低いグゥ〜という音が腹から響いた。
「う……。昨日の戦いから何も食べてないから……」
ノエルは途端に顔を赤らめ、腹を押さえる。隣で聞いていたリラは小さく笑った。
「それじゃあ、そろそろ行こうか」
彼女はそうして手際良く片付けを始めた。
錫のティーポットからミントの葉を取り出すと小さな白い紙の上に取り出し、包む。ノエルがそれを見つめていることに気がつくとリラは言った。
「これはね、乾燥させたらまた薬としても使えるの」
「そうなんだ」
続いて彼女はそばに置いていた乳白色の細い陶器の入れ物を手に取ると、さっとカップやポットなどの使用した器具を軽く洗い流す。
ノエルも慌てて飲み干すとカップをリラへ渡した。
「美味しかったよ」
「そう?」
彼女はカップを受け取ると同じように軽く中を水でゆすぐ。陶器の水筒からは濁りや汚れのまったくない真水が流れる。
「すごいな」
ふと、ノエルはそう言っていた。そしてすべてを小さな金属の箱へしまうと、さらにその箱を隣に置いていた古びた革製のトランクへ収めた。
「お待たせ」
そう言い、彼女は立ち上がり、身体についた草を払った。
彼女はローブを着ていなかった。それまでローブで隠れて見えていなかったが、彼女は胸元に大きなリボンのついた淡いクリーム色のブラウスを着ていた。
袖口や襟元には小さなフリルがあしらわれている。モスグリーン色のキュロットパンツを布製の腰ベルトで締め、それとは別に小さな花の刺繍が入った薄いグレーのタイツを履いている。
上品さの中にも可憐さがあるような服装だった。
「なに……?」
不意にリラの訝しむ視線を感じ、ノエルは慌てて顔を逸らした。
「なんでもない!……っていうか、リラってそんなに大きなトランク持ってたっけ」
急いで話題を変える。リラはトランクに鍵をかけると、ノエルの膝にかかっていた自身のローブを取り上げ、腕を通した。
「持たないよ、重いし」
そうしてローブのシワを手で伸ばすと、トランクを重たそうに持ち上げ――そのままローブの内側へしまい込んだ。
「へぇー!」
ノエルは関心したように声を上げた。
トランクは吸い込まれるようにローブの内側へ消え、あっという間に彼女の手には荷物がなくなった。まるで手品……いや、これこそ魔法だ。
「俺もほしい!」
ノエルは目を輝かせる。
彼の周りにはあまり魔法士はいなかったため、ノエルにとっては目新しい光景だ。
「これから行くレイヴァルの街にはいろんなお店があるし、魔法細工のローブもあるかもね」
ノエルも立ち上がると、自身も身体についた草を払い落とした。それから荷物の入った麻袋を取り上げると、少々照れたようにリラに笑って見せた。
「ま、俺の荷物はこれだけだけどね」
二人は再び歩き出した。
ラオニス南街道はいくつか道が分岐している。レイヴァルの街はテルノアよりも北に位置するため、二人は街道を北西へと歩き進める。
「そういえば、さっきどんな夢見てたの?」
広い街道を二人並んで歩いていると、ふとリラが聞いた。ノエルは夢の内容を思い出すように言う。
「うーん、あんまりよく覚えてないんだけど……。なんか、うるさいところで、なんかしてる夢」
「全然わからないな」
リラはクスッと笑った。ノエルは歩きながら腕を組む。
「俺もよくわからない。前見た夢と似てる気はするけど」
「同じ夢を見るのはよくあるからね」
「うん。まぁ、気にするほど大した悪夢でもないよ」
「泣いていなかった?」
「いや、あれは――」
不意にノエルは「あれ……」と声を漏らす。
あの涙は――。
「……どうかした?」
リラが横から顔を覗き込むように見つめる。しかし、ノエルはすぐに首を横に振った。
「ううん、なんでもないよ」
「……そう」
リラはそれ以上聞くことはしなかった。
やがて二人はレイヴァルへとやってきた。
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