魔法使いは拡充を図る
「じゃぶーんっ」
夜も元気なメアリちゃんが、腕の中にするりと入り込みました。
小さな湯船の縁でお湯が波打ち、あとちょっとで溢れてしまいそう。
それが悪戯心に火を付けたのか、メアリちゃんはちゃぷちゃぷとお湯を叩きます。
「こらこらメアリちゃん、ゆっくりお湯に浸かって温かさを感じるのも魔法の勉強だよ?」
「はあい」
なんとも便利な言葉を手に入れたものです。
素直に聞いてくれたメアリちゃんは身体を私に預けます。
つるつるした小さな身体を抱いて、私も湯船に背中を預けてリラックス。
「ふあぁ」
と二人で気の抜けた声を漏らしてしまいました。
「次はみんなで入りたいなあ」
「そうだねえ。でも家の湯船じゃちっちゃいかなあ。町の蒸し風呂に行く?」
「えぇ、お湯が良いー。良い匂いのするやつー」
「良いでしょこれ。特製の入浴剤入りお風呂だよ」
メアリちゃんは湯船に浮かんだ花を摘み上げ、頭に乗せて振り向きます。
「可愛い」とその笑顔に応えると、メアリちゃんは腕の中でつるんっと滑るように回転しその花を私の頭へと乗せました。
「お姉ちゃん、お姫さまみたいっ」
「えへへ、そう? そうだ、そういえば今日ほんとのお姫様見たよ」
「いいなぁ。どんなだった?」
「眼力が凄い」
「すごーいっ! あれよりすごい?」
「……」
あれ、とメアリちゃんが言ったその先にあったのは薄緑色の瞳です。
「フェルミア、何してるの……」
「……ぐすん」
扉が閉まっていきました。
一緒に入りたかったんでしょうけど、いくら何でも三人はきついのです。
メアリちゃんだから入れているだけで、二人ですら厳しい大きさなんです。
だから我慢してね、三百ちゃいのフェルミアちゃん。
メアリちゃんとの入浴を楽しんだ私は、身体を拭きながらふと何かが欠けている気がして……、そして思い出しました。
王都の屋敷にいた頃は、入浴後必ず飲んでいたものがあるんです。
それはフルーツミルク。それも冷え冷えのやつ。
いつもそれは棚に置いてありました。
飲んだ分だけ、見えないメイドさんが補充してくれていたのです。
思えば私は本当にお姫様のような暮らしをしていたのかもしれませんね。
鬼と同居していましたけど。
「欲しいな……鬼はいらないけど」
飲めないとなると飲みたくなるのが冷え冷えのやつ。
私の素敵な暮らしに、あれは不可欠です。
……ならば、ないなら作ればいいのでは?
「ん、どうしたの?」
ふと気づけば髪の濡れたままのメアリちゃんが、妙に意欲的な表情で私を見上げ、
「きょうは朝までねむらせないぜっ」
言い慣れてなさそうな口調でそう言って、私の腰を押してきました。
「……ははは」
おじさま、娘さんに聞かれちゃってますよ?
大人な私ですから、ここは聞かなかったことにしておきますけど、今後は娘さんが寝ているのを確認してから言うよーに。
「ほら、メアリちゃん。それはいいから座って、拭いてあげる」
今日メアリちゃんはこのままお泊りです。
泣かせてしまった罪滅ぼしでもあります。
せめて丹念にその髪を梳いてあげましょう。
「メアリちゃん、草舟楽しかった?」
揺れる頭を掴んで固定しつつ、動き回らないように話を振ってみます。
計画通り揺れは収まりましたが、ぐりんとメアリちゃんの顔がこちらを向いてしまいました。
「うんっ、すっごく!」
「それは良かった」と言いつつ顔を正面に戻し、濡れた髪を拭いていきます。
その間メアリちゃんはいかに楽しかったかを語ってくれますが、日中の笑顔と笑い声で十分楽しんでもらえてたのは承知です。
嬉しいですけどね。
「そうだ。ソフィア姉ちゃんだいじょうぶかなあ」
「あぁ……きっと、ね」
みんなのところに戻ってきた私は、まずメアリちゃんを乗せて草舟を走らせました。
そしてその後、キャットファイトの末にフェルミアを下したソフィアさんを乗せたのです。
ただ、元々草舟は一人用の設計です。
私とソフィアさんが乗ると、許容重量を超えているのは明白でした。
それでも楽しみにしてくれているからと、私は風魔法の出力を上げ、そして、
ボキンッ。
無情なる音を立てて、マストが吹き飛びました。
ソフィアさんの心もその時折れました。
『イノシシ食べ過ぎたから……』
と、ソフィアさんが小さな声で呟いた言葉が、今も耳を離れません。
あのハイテンション家の末裔が、物凄いローテンションで、しかも聞き取れないほどの声を発したのです。
たぶん「おぎゃあ」すらとんでもない声量だったであろうソフィアさんがです。
逆に強く耳に残ってしまうのも道理でしょう。
「明日には元気になってる……と良いな」
「ねーっ」
そしてメアリちゃんは特段気にすることもなく、別の話に花を咲かせます。
しかし私はわかっていました。
明日になってもぜったい元気になっていないだろうな、と。
そして翌日、家の裏で土いじりをしていたところ、ふらりと枯れ木が現れました。
「……ぃ……ょぅ……ょ……ょ」
「……は?」
枯れ木が葉がこすれるような音を出したかと思えば、よく見るとそれはソフィアさんでした。
土気色のやつれた顔、まるで聞き取れないかすれた小さな声。
案の定ではありますが、たった一晩で恐ろしい変わりようです。
「……ょ……ょ……ょ」
「よよよ?」
「リヴィ姉さま、行商人が来ましたよとその雄鶏の塩漬けは言っています」
さすが耳の良いフェルミアです。
でも雄鶏の塩漬けってなに。ちょっと笑いそうになりましたけど。
さすがのフェルミアも今のソフィアさんに喰ってかかる気はないらしく、どこか哀れみのこもった視線を向けています。
その視線の先では、
「……ょ……ょ……ょ」
枯れたソフィアさんが、弱々しい声を上げています。
「わかったから、わかったからもう無理しないで……」
私もなんだか泣けて来ました。
あの元気なソフィアさんのこんな姿、もう見たくはありません。
昨日からソフィアさんのせいじゃないと言ってはいるんですけどね。乙女心は難しいのです。
「……ょ……ょ……ょ」
私たちは早速、風に吹かれて飛んでいきそうなソフィアさんと共に、行商人さんの許へと向かうことにいたしました。




