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圭太へ                            二〇〇五年七月三日

久しぶり。入学して3ヶ月も経ってからの返事になってゴメン。色々と慌ただしかったから。大学での授業や学生同士の付き合いに慣れていくうちに、閉じていた僕の頭が開いてきたらしい。少しずつ少しずつ目の前のことに対する集中力や思考力が戻ってきた。ただ中学生以前の時の僕の状態と全く同じというわけではなくて、その頃をベストだと考えると完璧ではない。僕は余計なものが入っていない、歳を取るにつれて世間のものの見方に染まってしまったところのない、その頃の状態を未だに僕の最もベストな状態と考えているから。それに、歳を取ると皆がそうなのかもしれないが、自分の気持ちの原因がどこにあるのかを全て手繰り寄せられないことが多くなった。まあ、色んなことを曖昧にしておいて心を楽にするというのも、成長の一過程なのかもね。僕はそうなるよりも何もかも理解して傷ついた方がはっきりした態度で生きられる気がするから気に入らないけれど。でも、そうなってしまったということは、僕は楽にならなきゃ生きられない小さな人間のひとりなのだろうね。もっときつくたくましくいられれば違っただろうに。授業は面白い。与えられた学問の基本知識のおかげで、少しずつ様々な分野の本に興味を持つようになった。学問は心の中に泉を作り、人生を豊かにしてくれる。泉は自分次第でどんどん湧き出て来る。でも、授業を受けていて時々思うことがある。その考え、その深く、あまりにも深く考え込んだ説は、世に出すだけの十分な根拠があるのか、と。深く考えることは大切な事なのは分かる。しかし、非常に深い思考による考えや学説に見えるもの中には、分からないものに曖昧模糊で大ざっぱすぎる理屈を取って付けただけのようなものがある気がしてならない。つまり根拠が不十分だということ。心理学とか、その学説いったいどこに証拠があるんだと言いたくなる。もちろんこれは単に僕が言っていることに過ぎない。授業で取り上げられるキャリアと名誉ある学者たちの創り上げた説に僕が意見するなんて出しゃばりもいいとこだ。ただ僕が思うだけだ。僕は考える対象の内に入り込んでいくような思考の方法よりも対象の外側から見つめて客観的に論理的整合性と確かな証拠をもって分析していくだけの思考に留めておく方が無難だと思う。その方が安全で誤った認識を避けられるのではないかと思う。それは深遠な思考は全て誤りだということとは少しニュアンスが違う。本で読んだ借り物の言葉を紹介すれば、エドガーアランポーは「真理は物事の表面にあるものだ」というようなことを言っていた。何だか分かった風な事を言ったね。サークルは映画研究会に入った。君の言う事を聞いたわけじゃないよ。映画はもとからかなり好きなんだ。一番好きなのはジャック・ニコルソン主演の「恋愛小説家」だ。タイトルからハーレクインみたいな安っぽいものを想像しないでくれよ。安っぽくはないんだけれど、何となく気恥ずかしいから君にしかこの映画が好きという事は教えられない。サークルでは一応役者をさせてもらっている。今はショートフィルムの撮影準備中で、セリフを覚えたり演出をつけてもらったりしている。ショートフィルムのタイトルは「霊魂の街」。これはあんまり僕の趣味ではない。街に住む生きた人間の身体から突然魂が抜けて霊魂になり、抜け出た霊魂は恨みや怒りを抱いている相手を驚かせたり、傷つけたり殺しにいったりしにいって、しまいには街が霊魂であふれて、恨みをぶつける対象がいなくなった霊魂たちがあがき苦しみのたうち回って終わるという陳腐の極みのようなB級ホラーだ。下らないけれどスポンサーがついているわけでもない大学の映画研究会ではそうそう立派なものが作れないのは仕方ない。まあでも、これはこれで面白い映画になると思うよ。僕は教えられる立場の新入生だからどういう映画を製作するかについて意見は言えないしね。一応フィルムカメラの基本的な操作も覚えた。それだけで何だか一端の映画人になったみたいな気分でカメラを手にするとにやけてしまう。そのうち監督もやってみたいけれど、僕には著しく指導力が欠けているから、どうだろう。でも、僕にはこんな映画を作ってみたいと言うイメージがあるんだ。役者たちの個性を役柄に落とし込んで、それぞれが画一的ではない魅力で、楽しいミュージカルのようなエンターテインメント作品が作れたら最高だと思う。でも映画研究会っていうのは玄人向けの映画を探求していく場所だからそれは難しい。僕は本来映画には華が、それと何か人の心を打つパンチのようなものが必要だと思うのだけれど…。もちろんそれと同じくらい内容の奥深さ、充実も必要だよ。同じ部員の中には、役者にも裏方にも、スタイリッシュで都会的な人が結構いて気後れしてしまう。委縮していると顎で使われるようなはめになることもあって腹の底が密かに沸騰することがあるけれど、君の言う通り、大学生は基本的に大人で節度をわきまえているから、そういうことが度が過ぎていくのではないかという危惧はない。今まで両親にも同級生にもそんな危惧を感じていたから、ここにきてほっとしている。研究会で有名な監督の名作や出世作、話題作やミニシアター系の知る人ぞ知る映画作品なんかを見て、メンバー内で語り合うとき、僕は熱くなりそうな自分を抑えながら、ほどほどの熱量に見えるように自分の態度に膜のようなカモフラージュをかけて話す。それでも普段の僕よりもよく話すとメンバーたちは思っているだろうね。実は研究会の活動そのものは楽しいのだが、メンバーの中に親しい人間が一人もできていない。まあ、僕にとっては珍しいことじゃないし、それでひどく不便だという事もないのだが…。何となく自分がコミュニティに溶け込んで、その流れに乗ってスムーズに運ばれていかないのはやはり安心感を欠けさせるものだと、初めて素直に認識した。でも、そういう孤独が全くないのも、創造性をなくしてしまう気もする。かと言って、孤独ばかりだと、発言力も弱いし、周囲を巻き込みながらの実行力も得られない。まあ、とにかく普段しゃべる相手がいない僕だから、そういう語り合いの場面で饒舌になっているのをおかしく思う人もいるだろうね。そうだ、圭太。僕は大学に入ってから、学校の空気の中で周りの学生や大人達と接して、確かに妙なこだわりを優しく剥がされて、何の抵抗もなく素直になってしまったよ。気持ちは軽くなった。でも、常に重たい気負いと内に溜め込んだエネルギーを抱えていたかつても(これは中学以前の話だ。高校入学してからの状態は最悪だった。)悪くはなかったと思う。でも、僕の心はすでに穴が空いてしまっているから、そんなエネルギーを溜め込むとこぼれ出して、飛び出して、収拾がつかなくなるだろうね。時々自分がそうなった原因を探って、あれのせい、こいつのせいと思い、それらの記憶が恨みとして心の底に沈殿することがあるけれど、何とかすぐに持ち直せる。実家を出て環境を変えられたのは本当にいいことだった。小説家志望の文学少女は現れそうにない。それでは。

                                  仁以千絵より


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