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圭太君へ                          二〇〇五年二月一四日

僕の告白を聞いてくれ。誰かに話さないと対処するだけの踏ん切りすらつかない。僕は人を殺してしまった。しかも僕にとって崇高でかけがえのない女性を。僕にとってのそんな女性は誰か分かるだろう?ハルカさんだ。ハルカさんをこの手で絞め殺してしまった。僕は殺人者だ。傲慢で大人になれない子供が行き着いたところの犯罪者だ。彼女の喉笛に僕の親指が食い込んでいくほど、僕はもっともっとと力を込めた。柔らかく薄い皮膚の感触が僕の両手の親指にまだ残っている。僕は彼女を愛情以上に崇拝していたのに。彼女の冷たかったけれど純粋に白かった柔肌は、今は血管が見えるほど病的に青白く固く硬直した。黒くさらさらと流れていた長い髪は、梳いてももう以前のようには流れない。その口からは二度とふわりとした甘く白い吐息が漏れない。ぱちりぱちりと瞬きの多かった美しい目は二度とあの川の流れにシャッターを切ることがない。僕が彼女にそんな不当な裁きを下した。僕にそんな権利はないのに。僕は警察に行くべきだろうか。遺体が見つかればさすがに僕に警察の捜査の手が行き着くだろう。遺体はそのまま河のそばに放置してきたのだからすぐにでも見つかる。もう見つかっているに決まっている。自首するべきだろうか。罪を軽くしたいからじゃない。それが僕の示すべき反省と誠意の態度だからという理由でだ。自分がしたことに対して自分の顔を正面に向けるためだ。罪を正面から受けるためだ。彼女の目。彼女は最後に涙を流した。潤んだ瞳のまま逝ってしまった。きれいに瞼を開けたまま。何度閉じてもその目は開いた。恨みではなく受容と宥恕がその中に見て取れた。それを見て許しを得た安堵を抱いた瞬間、激しい罪悪感が僕を襲ってきた。当然だ。僕が警察に行く前に、君に理解をもらいたい。納得してはくれなくてもいい。

 僕はハルカさんのところへ大学合格したことの報告に行ったんだ。僕は淡々と幾らかの謙虚さを交えた態度で合格したことを言ったつもりだったんだけど、彼女は、

「あら、そう」

とせせら笑うんだ。僕は少しショックを受けて何も言葉を繋げず、彼女がその場をつないで和ませるためにさらに何か言ってくれるのを待ったのだけれど、彼女は河の方を向いたまま無言だった。その無表情はきつくて冷たかった。その表情はただ僕に対して無関心なのではなく、苛立ちが見て取れた。だから僕は僕に対して彼女が向ける気持ちを良いものに転換させようと媚を売った。僕は自分が媚を売ったというこの時点から自分の自尊心を自分で傷つけていたんだ。彼女の隣、真冬だが涼しげな色をした緑の芝生の上に座って、バカな夢を語ったんだ。

「僕はただ大学に入ったのではありません。僕は様々な文化や歴史、哲学や言語などの学問に触れながら、僕自身が最も興味と独自の視点を持てるものを見つけ出して、大学に残って、ゆくゆくは講師をしながら研究者の道へ進みたいと思っています。その道筋もきちんと調べました。僕は今まで周囲の人間への不適応をし続けていました。でもそれは学問に適した、独自の見解と視点、論理的な物事の展開を自分の中に守って、自分の将来を守るためだったんです。大学の近くのアパートに移るのであなたに会う機会が減ってしまうのが残念です」

アハハハハハ

僕は耳を疑った。いつも微笑むだけの彼女が大口開けて嘲りを一杯に込めて、声をあげて笑っている。僕を嘲笑っている。その様は、普段優しく淑やかな人間だからこその精いっぱいの、相手に憤りと怒りを感じさせるための、半ば狂ったような下品な態度の悪さを体一杯で表現していた。僕の中身がカシャンと音を立てて崩れた。もしくは折れた。もしくはキレた。くすくす笑いに転じた後、彼女は言った。

「あなたに夢や目標なんてものの何が分かるの?身体で、血で、感じるものの実感を知らないくせに。頭でっかちの坊や、あなたには夢や目標の重みなんて分かっていないわよ。本当に才能のある人はね、何かを為すために生まれた人はね、素直に周りに順応してても自分の才能を守れるのよ。あなたは自分にないものを無理やり、ないところから、無理な理屈を立てて作り出そうとしているらしいけれどね。夢を持っていても自然に無理なく自分と夢を守っていける人が本物。あなたは何も持っていない、ただの自分で成長を止めた子供よ。これから先自分の中身が虚ろであることを知って、挫折とも言えない挫折をしたつもりになって、辿り着く場所を失った取り柄のない大人になるのよ」

そこまで聞くと、僕は彼女の頬を平手で殴った。彼女のか細い身体はいとも簡単に倒れて、坂になった土手を河のそばまで転げて行った。僕はハッとして彼女に駆け寄った。彼女の上半身を慌てて抱き起こし謝ろうとしたら、彼女の冷笑が浮かんだ口元と馬鹿にしているようなアーモンド形の目が、僕を見上げているのに、まるで上から僕を見下ろしているかのように見えて、僕を狂わせた。僕は彼女をそのまま押し倒し、細く白くか弱そうな首に両手をかけ、親指で喉笛をついて、絞め殺した。彼女は首を絞めようとする僕の両手の手首を握りしめながら、その間ずっと僕を見下ろし続けた。彼女の手から力が抜けた時、ちらちらと雪が降ってきた。彼女を迎えに来たんだと思った。彼女は雪の精だった。

 ハルカは雪だった。

                                  仁以千絵より


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