圭太君へ 二〇〇三年五月六日
とりあえず僕もこの手紙を書いたらしばらくは書かないよ。僕の才能は自分の才能を腐らせることだ。僕はかつて自分の見ているもの、感じているものを他人と比較できないことから、自分の感覚が正しいという保証がどこにもないのでは、僕の見ているものは幻ではないかと思いつめ怖くなった時期が小学校低学年の頃にあった。高校に入ってから僕は「理解」とはどういうことかと、他の人はどういう感覚で「理解」を理解しているのかと悩み抜いていた。こうなったのは、悪意ある、意図して僕を混乱させ誤らせようとする同級生や曖昧で矛盾した教育を僕に施す母親らの言う事も原因にあるのだが、まあ、恨み言はやめよう。そして、考え抜いて試行錯誤した結果、まさに「角を矯めて牛を殺す」ように僕の積み上げてきた理解の構築術はあっという間に壊れてしまった。また、一度覚えた物を思い出すことも難しいことが多くなった。かつては記憶したものが脳のどこにしまわれているのかわかっていて、手を伸ばして探れば、思い出したいものを自由に脳裏に開くことが出来たのだが、今は覚えたものが頭のどこにしまわれているのかわからない。手を伸ばす場所が分からず、ひたすら思い出したいと願うことで、その思い出したいものの方が気が向いた時にやってきてやっと自分の姿を見せてくれるのを待つしかない。でもそいつらは願えば必ず脳裏のキャンパスに己を広げに来てくれるとは限らない。
そして、最近僕はいよいよおかしくなったみたいだ。僕が「死ね」と思うと「死ね」という声が耳元で聞こえるんだ。
こんなことを言ってごめんね。君には洗いざらい話したくなるんだ。何もかも全て僕の問題だ。君が気にする必要は当然全くない。君の受験が成功しますように。
仁以千絵より




