仁以千絵君へ 二〇〇三年三月四日
久しぶり。僕は文系だよ。大学は外国語を学べる大学に進んで英語を専攻したいと思う。僕のお父さんは日本の古典を研究したり、大学で教えたりしている人なんだけれど、英語を学びたいと言う僕にお父さんは、
「お前は学者になるか?」
って、夕食後にダイニングテーブルについたまま、僕の目を見て聞いたんだ。そんな大事なことを話していても、木目のダイニングテーブルはニスがちょっと剥げているままだし、お母さんは僕の後ろでかちゃかちゃ食器を洗う音を立てていることに、生活感とちょっぴりの哀愁を感じた。人生は先に進むほど悲哀が少しずつむき出されていくものだと僕は思った。
「いいえ。僕は商社に勤めたいです。海外との取引などに関わりたいです。」
僕は真っ直ぐに見返して答えた。
「そうか。商社は何が魅力だ?」
「外国の人間やお互いに話し合いたいと思っている様々な人間に出会えて、交流する機会を得られます。それは互いの利益のためだけれど、違う言語や国柄による多種多様な価値観に触れられます。それに大きな商社で扱う国際的な大規模な事業を動かすことが出来たら、とてもやりがいと充実を得られると思うんです。」
「模範解答でよろしい。素直で利発なお前らしいな。」
「はい。」
「人と関わるのは好きか?」
「はい。」
「商社はお前がかかわりたいと思うようなタイプの人間が集まっていると思うか?」
「そう思います。」
そうか、と言ってから、お父さんは続けた。
「お父さんはな、お前のように素直で活発じゃなかった。文学や歴史に子供の頃からのめりこんで、一番の友達は本だった。お父さんは、お前が俺と同じようにならなかったのが、寂しい一方で嬉しい。学者はな、世の中にどう役立つのかわからないような事を、それが好きだからというだけでやっていて、しかもそれでお金までもらっているずるい人間だ。まあ、専門にもよるがな。お父さんは人との駆け引きをしなきゃいけない仕事には就きたくなかった。何よりもお前のお母さんとお前を得るまで、お父さんが心を許せるのは主に書物だった。専門的な事を深く追及して、疑問を解決するために考えるのが好きだった。お父さんはそれで家族を養えるまでになったし、『先生』と呼ばれる立場にもなったけれど、お前はお父さんよりも真っ直ぐに世の中と向き合える本当に良い子になった。しっかり勉強をして自分の希望に添えるように気張りなさい。」
お父さんは自分の研究については嬉々として話すけれど、自分自身の事にはあまり触れない人だった。お父さんは僕の顔から目をそらして、照れ隠しの様にトトンとテーブルを指で叩いてから書斎に引っ込んでいった。
お父さんの言葉は僕が自分の道を踏みしめていく決意をさせてくれた。これからは色んな選択を自分の為になるように選んでいけると思う。曲がりくねって分岐点が多いように見える人生の道が、僕にとってはひたすら真っ直ぐな一本道に見えると思う。これから受験して、もしかしたら浪人して、大学に入って、学んで、素敵な人たちと出会って、ひょっとしたら恋にも落ちて、就職して、学んだことを存分に生かして…と、希望的観測で人生を設計しているけれど、きっと僕の人生は日々実感を増していくものになると信じている。未来がなかなか来ないのがもどかしいと思った時期もあったけれど、今は歩んでいくことを楽しめそうな気がする。
それでは、また。
圭太より




