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圭太君へ                          一九九三年一二月一日

女の人のことは本当です。ぼくのほかに見た人はいないけれども、もう五回も会っているからゆめなはずはないし、ぼくはうそをついていません。しょうめいのしようがないけれども。だから、ぼくはちょうのうりょくしゃってことになるね。

 さいきんそのじょせいとことばを交わすようになったんだ。たとえば、かのじょは、「あなたのお母さんはどんな人?」と聞いてくる。ぼくは、「中年ぶとりで大きなはら、太いこし、大きなおしりをしているのにかおだけはこけてほおぼねがつき出ている人です。ひたいが広くやや前に出ていて、ひとみが大きくてじょうちょの子供っぽさがそこにみえかくれします。わがままでしつこい人です。いつも自分のよっきゅうをはきだしてかいしょうするための、自分の心のゆるすみちで、それがげんじつてきにかのうな道をさぐって、きついくらいのいきおいでぐたいてきなようきゅうの形にして、それをはらしていきます。ぼくにもちゅうちょなく当たって来ます。」とこたえる。そしたら、そのじょせいは、しんけんなかおになって、それからきのどくそうなかおになって、それからふっとわらって、「あなたのお父さんは?」と聞いてくる。「お父さんはみにくい(醜い)くも(蜘蛛)のようなれっとうかん(劣等感)を持った男です。赤黒い色のほほの肉はあそびなれた女のちぶさのように(これは少し大人の本にあった言い方だ)たるんでいて、大きなはな、赤むらさきのぶあついくちびる、黄色くよどんだ目が僕や周りのものをなめるようにじろじろ見ます。でもその実何も見ていないのです。見るもの、見えるものから学ぶことはしません。お父さんが自分の人生の中でもっともよく学んだことは、人、とくにお母さんとの言い争いの中でどれだけこくなことばを相手になげつけ、口もきけなくなるほどにやりこめるかということです。相手の心をうら返しにひっくり返すようなりふじんでざんこくなことを言います。相手がそれに対して言葉を失うと「してやった」というようなかいかんをかんじているようなかおをします。この人は、自分がせめることができる落ち度がたにんにあるのを見つけたら、そのきかいを決してのがさないように引っつかみ、その相手の落ち度に食い入るようなひとみで相手を見つめ、心ゆくまで相手をといつめます。そういうことのためだけに目をもっているらしいです。ひどくじゃあく(邪悪)でひれつ(卑劣)なかんじがします。それでいて、かれは底があさいです。本人は自分のそんなしんそうしんりがわかっていなくて、自分はやさしいまじめな人間だと思っています。気が弱いだけなのに。ぼくはお父さんに、お父さんの安っぽくて劣っていて汚いかんじょうを向けられて、気安くぼくの心や体にふれられると、すごくばかにされたきがして、ぼくのほこりがきずつきます。」とぼくはこたえた。つまり、お父さんもお母さんも自分のかんじょうをながし出す水ろを周りに見つけたら、ためらわずに、そこに見えるすべての水ろに、かんじょうの水をすみずみまで行きわたらせてはきだす人たちなんだ。自分の言いたいことや自分の周りにたいするしぜんな反応をわざとせきとめているようなぼくのりょうしんがそんな人だなんて、ぼくにとってはストレスだ。でも、ぼくにとってはりょうしんはきょうみぶかくもあるんだ。かれらの生き方やてきおうの仕方をぼくはよくかんさつしてぶんせきしてるんだ。こんなこと言うと、えらそうだね。ぼくはとくにお母さんがなぞなんだ。どうしてこんな生き方でかのじょの人生は回っているのかなとね。お母さんのしゅちょうは気まぐれで、むじゅんが多すぎるから。もしかすると、それがぎもんで気になりすぎて、それをかいめいするために、ぼくはぼくのお母さんのもとに生まれてきたのかもしれないと思ったりもするんだ。

 ぼくにぼくのりょうしんのことを聞いたその人は、その日はむねのところがひだになった黒い半そでのワンピースをきていた。ぼくの話を聞くと、

「あなたはわざと心が苦しみへとつづく道をえらんでいるのね。あなたはつよいからまだ大丈夫だけれど。世の中には色んな苦しみがあるけれども、あなたがこれからせおっていこうとしている苦しみは人と分かち合えないしゅるいのものかもしれない。ちょっとぐらいお父さんやお母さんをまねて楽になったら?」

ってぼくにすすめた。ぼくは、こたえなかった。ただぼくは、それにはしたがわないとすぐにはんだんしただけなんだ。

 このきれいなじょせいの言うことも聞くことも、たたずまいも、しぐさも、ぜんぶぼくはすきだ。今度かのじょの名前を聞いてみようと思う。そういえばぼくの名前も言っていない。今までどうしてぼくはかのじょの名前を聞こうとも思わなかったんだろう?

 そうだ、小学校に上がってできたぼくのともだちについてかくね。まず、いちばんなかよくしている「こうすけ」について。こうすけは、はきはきしていて、思ったことをポンポン言うんだ。でも、しつこくくりかえしたりはしないし、さっぱりしているんだ。それにあたまのかいてんが早くて、言うことは大体すじみちがとおっている。ぼくもそうだけれど、かれもけっこうマイペースでね。人のまねはしないんだ。かれは、ぼくとちがって、だれとでもともだちになっているけれど、つるむのは、そう好きではないらしくて、どこかのグループがかれをどくせんしていないから、ぼくはかれとともだちになれたんだと思う。といっても、ぼくがせっきょくてきにかれとなかよくなろうとはたらきかけたわけじゃないし、ぎゃくにかれがぼくにはたらきかけたわけでもないんだ。かれはそっちょくでまっすぐな女の子みたいなかおをしていてね、何でも正面からとりくむのだけれど、じゅうなんでようりょうのいいところもあるんだ。サッカーがうまくてね、昼休みには、ぼくはとしょしつのまどのそばで本をよみながら、かれがひょうひょうとフィールドでボールをおうのをながめている。ぼくたちはしぜんにともだちになったんだ。あまりゆうふくな家の子ではなくて、兄弟はいもうとが一人いる。トタンやねって言うのかな?そんなうすっぺらいやねをしたかべのすすけたせまい二へやだけのアパートのじたくで家族四人でくらしてる。かれの家にあそびに行ったとき、ひどくいんきなかおをした母おやが、わざわざとくに用もなく、ぼくに何かあいそのいいことをいうためでもなく、全くむいみにやってきて、何を言っているのか全くはんどくできないことをかれにわめきちらして当たっていった。かれのいもうとはおさないのに、そんな母おやによくにた顔をしていて、ふんいきも母おやそっくりで、わがままで、きょうれつなうめいているとも、さけんでいるともつかない泣き声で泣く子だった。ぼくはもともとのせいしつなのか、おやのせいなのかわからないが、ないこうてきで、手紙にかいたように、内がわになんでもかくしてしまうせいかくだけれど、かれは、母おやたちから、おそらくふだんからきつくあたられてわめきちらされているにもかかわらず、明るくあっけらかんとしたせいかくだ。ぼくはそんな気持ちのいいかれが好きだし、きっと明るくいるために何かをわり切ったかれをそんけいしているんだ。でもわり切ったということは何かをゆるして、何かをあきらめたということでもあるから、ぼくはぼくとちがって、自分のしゅういに対して「ぎせいをはらった」かれに、いじわるなゆう(優)えつ(越)かん(感)をいだいてもいるんだ。なぜならぼくはいつも「ぎせいをはらわない」ように気をつけている、「ぎせいをはらう」ことを、どこか「そんをする」ことのようにかんじているちょっといやな人間だからね。手紙が長くなりすぎたね。ほかのともだちについては、また今度せつめいするよ。

                                  仁以千絵より



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