仁以千絵君へ 一九九三年一〇月二〇日
お手紙ありがとう。でも、仁以千絵君にはしつれいだけれども、ほんとうにきれいな女の人を見たの?もしかして、自分のよかんが当たったってことを言いたいから、わざと女の人を見ていないのに見たって言っていない?それか、もしかしてゆめの中で見た事をげんじつにおきた事だとかんちがいしているんじゃないかい?だって、そんなよかんが当たるなんて、げんじつてきじゃないもの。それに、その女の人のようすだって、まるでえいがやドラマや本の中身みたいじゃないか。もし、うそじゃないのなら、仁以千絵君はちょうのうりょく者だし、うそやかんちがいなら、君はしょうせつかになれるよ。そんなすてきでげんそう的なばめんを思いつくのだから。君が自分の心の中の事をとってもせいじつに、くわしく語ってくれるから、僕は君からもらった手紙を色々とよみ返してみたんだ。君は、自分の事を「冷たい」と言ったよね。たしかにそういう部分もある気はするけれど、それよりも僕は仁以千絵君のことを「せんさい」な人だと思ったんだ。自分の心も他人の心もわかってしまうから、―きっとわかると人のエゴって言うのかな、わがままがよくわかるようになるんだよね―他人との間にかべみたいなものを作って、―自分が出ていく事も他人が入る事もゆるさないかべを―自分を守る、みたいな面があるんじゃないかな。僕は一人の人がどんな者になろうが、その人がはんざい者とか人にめいわくをかける人にならないかぎりかまわないと思うよ。だって人生はその人のものだから。でも、人としては「人とかかわる人」の方が「人とかかわらない人」よりも、人として、えらい気がする。なんというかけんこうてきで正しいと思う。でも、えらい学者さんや芸術家(じしょでかんじをしらべたよ。)として、人とすごくかかわり合うことが、人とのかかわりの中での自分の変化をどこまでもうけ入れていくことが、いい事なのかどうか僕にはわからない。もしかすると、自分の中の自分にしか出せない個せい的な部分を守らなきゃいけない事もあるのかもしれない。僕にはまだ、人生の未来は真っ白で、まだやりたいことやゆめはないんだ。でも、たくさんの人に会いたいと思う。色んな人の色んな心や個せいにふれてみたいんだ。じつは僕じしんには、仁以千絵君ほどのどくとくの考え方や意見はないんだ。
さいきん、お母さんに連れて行かれて、テニス教室にかよいはじめたんだ。けっこうれんしゅうはきついよ。コーチがうってくるたまをいっしょうけんめいおいかけて打ちかえすだけなのにね。でも、がんばろうと思う。テニス教室でも友達ができたよ。でも、しっとはしないでね。
圭太より




