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圭太君へ                          一九九三年六月二五日

少し前にぼくは小学校へあがりました。圭太君は二年生ですね。赤ちゃんはどこからやってくるのか?これはきっと大人にならないとわからないことなんでしょう。大人になるときっとわかるんでしょうね。圭太君のことを教えてくれてありがとう。圭太君はぼくよりも他人に対してあたたかさをもったにんげんなのですね。ぼくはむしろ自分を出し切るのがきらいです。自分を出しても思いどおりになるほしょうはないし、それでも自分を出し切るなら、自分を出し切るだけのかちがあるものごとじゃないといやです。自分を出すというのはぎせいをはらうということのような気がします。ぼくはけちな人間なのでしょうね。そうやって自分をころして、でも心の中で本当のいし(意志)やのぞみ(望み)は、そのじかくをうしなわないようにきをつけて、内心ではそうやって心をおらないようにするからこそ小さながまんがかさなり、いつの間にかたにんにうらみをいだき、ひとをきらいになるのがぼくなのです。でも、ぼくはひとにむしされるのがへいきだから、ひとにきらわれるのもへいきだし、じぶんがひとをきらうのもそんなにつらくないし、わるいことだとも思いません。むしろこどくはわりとすきです。でも、お母さんはぼくに人とかかわりなさいと言います。にんげんは人とかかわらなければいけないというけれど、それはどういう理由でそう言うのかぼくは少しぎもんです。ひつようなことだけ言ったり、たのんだりできれば生きていくのに十分ではないでしょうか?ぼくはげいじゅつかや学者さんみたいに自分の世界をもってそのことでえらくなっている人になりたいのです。自分の世界をなくすくらい外のただふつうのもの、ふつうの見方をした世界にぼくの世界をしんしょくされて、のっとられて、自分の世界を忘れたくないのです。でも、ちゃんと人とのおもてむきのせっしかたやじょうしきをみにつけるつもりはぼくにもあります。大切なことやひつようなことを外の世界からきゅうしゅうするつもりもあります。自分にとってせっとくりょくをもったもの、そういうつよさのあるものだけをとおすまく(膜)で自分をコーティングして、自分の内がわを外の世界から守りたいのです。だから、ぼくはこれからどんどん自分の内がわと外がわがまったくちがったものになって、べつべつにそだっていくでしょう。圭太君とぼくはすごくはんたい(反対)なせいしつをもっているきがします。ぼくも圭太君にすごくきょうみがあります。ぼくは自分とちがうものをしることがすきです。ところで、やっぱりぼくのよかんは当たりました。ほら、君が会ったみたいなきれいな女の人に会えるよかんがするって言ったじゃない。ぼくの家から少しあるいたところに水のきれいな河があります。なつは河にできるいくつもの小さななみがたいようにはんしゃしてダイヤがたくさん落ちてるみたいにきらきら光ってきれいなんだ。めがわ(女河)って言う河で、女の河ってかくんだ。そこの土手に、ぬけるようにはだの色が白い、まっ黒なかみのけの、「白ゆきひめ」みたいにきれいなわかいおんなのひとがひとりでこしかけてた。ひらひらした白いレースのワンピースをきて、同じように白いレースの、ふちにかざりのついた日がさをさしていました。こんなにまっ白だとぶきみにおもうかもしれないが、ほんとうにきれいな、それにゆらりとしたはかないふんいきのある人だったから、じょゆうさんみたいにえになってたんだ。(この、「えになる」ってひょうげんはさいきんおぼえたんだ。)はっきりした少し細めのアーモンド形の目、はなすじはとおっているがこまやかないんしょうの鼻、そして程よいあつみの上品でびしょうのうかんだ口元。ほっそりしたしなやかな線のきれいなうでや、あしや、こし。すべてが、だいだいうけつがれたしょくにんさんが一体一体手づくりで作る人形みたいにかんぺきで、びっくりするくらいだったよ。(こんなふうに人のかおかたちを言えるなんてすごいだろ。ちょうどぴったしな言い方が本の中にそのままあったんだ。)その女の人は、少しはなれたところに立っていたぼくの方を見て、自分がこしかけているところのとなりのじめんの上をポンポンってかるく手でたたいた。まるでぼくに「となりへいらっしゃい」って言うみたいに。そうするときのかのじょのほほえみがぼくの心をとかしながらしん(芯)の方まで入りこんで、ぼくの心をいぬくみたいだった。女の人は何もはなさなかったし、ぼくも何もはなさなかった。一じかんくらいただすわって、いくつものなみが白くひかる河を二人でながめてたんだ。ぼくはふしぎと君が女の人にたいしたときみたいにはなしかけたいとはおもわなかったんだ。はなしかけられたいとも。ちんもくのなかでこそ生まれるつながりがぼくとその女の人とのあいだに生まれたんだ。その人はただいちどだけ、立ち上がって立ちさるときに、

「またいらっしゃいね。このばしょに。わたしはたいていここにいるから。」

と言いのこしたんだ。

 ただ、一つだけよくわからないことがあるんだ。小学校にあがってぼくはかず少ないともだちや、ぼくのことをとくに気にしてくれる先生たちができたのだけれど、河のそばでたいていすわっているらしいその女の人のことをだれひとりとして見たことはないと言うんだ。かのじょにであってからしばらくは、そのことを自分だけの宝ものにしておくつもりで周りの人にはなさなくて、しばらくたってからしゅういの人にはなしたから、そのときはかのじょが土手にいるしゅうかんができたあとにちがいないのに。ピアノ教室に行くのに土手をとおる子も、土手をとおってつうきんしている先生もいるのに。はなしてしまったのは、ぼくににあわず、このうれしい、ふしぎなたいけんに、ぼくがまいあがりすぎて、おさえられなくなったからだけれども。とにかくぼくはその女性にもう五回は会いに行っているし、これからも会いに行くけれども。それじゃあ、こんかいはこれで、てがみをおしまいにします。じゃあ、また、おへんじまってます。

仁以千絵より


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