第1話:筋肉勇者、爆誕①
『忘れるな。お前は絶対、自分の罪を忘れてはいけない』
(……何の話だ? お前は誰だ?)
真っ白い世界の中、大きな男が自分を睨み責め立てている。しかし当の本人には責められる理由がわからない。目の前の男が誰かも分からない。
『俺はお前だ。既に忘れているなら思い出せ。お前はこの先の世界で、生きて、戦って、誰よりも人の命を救わなければいけない。そうじゃないと、決して償えない……』
(……よく分からないけど、よく分かった)
目の前の鬼気迫る表情をした男の言葉は、確かに彼の胸に刻まれた。途端に世界が朧げになり、目の前の男の輪郭がぼやける。そのまま彼の魂はどこか遠くへ引き寄せられた。
生きる、戦う、人を助ける。勇者の宿命をその全霊に宿して。
◇◇◇
「……な、なんだここは」
ステンドグラス越しに注がれる陽の光を浴びながら、一人の男がポカンとしたアホ面を浮かべている。
その男の名は、肉ヶ崎 益荒男。名付け親の正気を疑いたくなる名前である。
身長は190センチをゆうに超え、服の上からでもわかるほど浮き上がった筋肉に包まれている。その体の仕上がりは、人間の肉体の全盛真っ只中であろう。
そんな筋骨隆々の大男マスラオは、今の自分の状況に心当たりがなかった。先程まで白い世界で自分自身と会話をしていた事は覚えているが、その後どういう経緯でここにいるのか分からない。
そして……なぜ自分が今、見ず知らずのおじさん達に囲まれているのかも分からない。
ほんのりと加齢臭を漂わせるそのおじさん達の瞳には光が宿っている。まるで救世の英雄を目の前にしているかのように。
「おおお……! このお方が……」
「召喚は成功したのですね!」
「なんと逞しい御仁か……」
「精悍な顔つき、立派な体格……いい男ですなぁ。ウホッ」
今いる建物と同様に、品と格式を示すような服装に包まれたおじさん達は、各々感嘆しながらマスラオを見つめている。
その建物の内装は穢れを許さぬような荘厳な白色のもので埋め尽くされている。大聖堂という言葉が最も適したその空間で、囲っているおじさん達はその神官達である。マスラオはそう察した。
「勇者様。お名前を聞かせていただいても?」
「……えっと、俺に言ってるんですか?」
「もちろんですとも、勇者様」
「えぇ……(困惑)」
ゴマをするような手つきでマスラオに近づいてきた神官は、笑顔を浮かべている。しかし裏があるのではと勘繰りたくなるような、胡散臭いものであった。
不可解な状況の中で怪しげな男に自分の情報を話してよいものか、と逡巡したマスラオであったが、今の自分の状況を知るために名前くらいは明かした方がスムーズに話が進むと考えた。
「えっと、俺はマスラオ。肉ヶ崎 益荒男です。その……勇者っていうのは何なんです? それにここは一体どこですか?」
マスラオの問いかけに、近づいてきた神官は張り付いた笑顔のままうんうんと頷いている。まるでそう聞かれるのは織り込み済みだと言わんばかりだ。相も変わらずゴマをすっているのもあり、彼の仕種は神官よりも商人のようである。
「順に、大まかに説明しますね。まずここは、貴方がいた世界とは別の世界です。そして我々はこの世界を救っていただくために、勇者として貴方を招かせていただきました」
「……ん、んん」
簡潔な説明ではある。マスラオの置かれた状況は、言ってしまえば「異世界召喚されましたよ」というだけの事だ。
しかしサラっとしすぎで、これだけの説明で「そっかぁ」と納得できる者はそういないだろう。納得できるのは親の顔より異世界モノを見ている者くらいである。
「神の御業により、別世界の、高潔な精神を持った者が勇者として召喚されるのです。きっと貴方もそうなのでしょう」
「そう……なんですかね?」
「謙遜をなさらずとも分かっております。その鋼のように鍛え上げられた肉体には、崇高なる精神が宿っていると」
「は、はは……どもども」
マスラオは頭を掻きながら適当に返事をする。が、彼は別に謙遜してそうしているわけではない。
というのも、マスラオすら自分自身の事をよく分かっていないのだ。ありていに言えば記憶喪失である。
自分の名前など記憶の一部は残っているが、自分が何をしていたのか、何を学んでいたのか、家族構成はどうか、友人や恋人はいたのか……そうした記憶が抜け落ちていた。
高潔な精神だの何だの言われても、マスラオ自身は覚えていないのだから苦笑いしかできない。
ただそんな中でも、マスラオは自分について一つ確かに分かる事がある。それは彼がとんでもないムキムキマッチョマンな事だ。何のためにその体を鍛えていたのかは覚えていないが、肉体が鍛え上げられたという結果だけは確かに残っている。
ふと胸に手を当てると、大胸筋がピクついた。多分、特に意味はない。
「これまでの勇者様方は召喚された直後は困惑されていたそうですが、貴方は大層落ち着いておられる。これだけでも、貴方が大物なのがわかりますな」
「困惑、ですか」
「いきなり知らない世界に連れてこられて困惑し、帰る事ができるのか心配されていたと記録されています。当然と言えば当然ですね」
「あ〜……」
マスラオは確かにその手の心配はあまりしていなかった。なぜなら故郷や家族に関する記憶がほとんどないからである。
とは言えどうでもいいと思っているわけでもない。自分の記憶の空白に何があったのか、自分はどんな人間なのか……あの白い空間で会った“自分”の言葉の意味は何なのか。知りたいこと、思い出さなきゃいけない事は多くある。
「ちなみに、帰る事はできるんですか?」
「可能ですが、それは魔王を倒してからの事になります」
「……魔王、ですか」
「はい。これまでこの地に何度も勇者様が召喚され、その力でかの王国に現れる魔王を撃ち倒してこられました。貴方にもそんな素晴らしい力が宿っているはずです」
マスラオはこの段階で、なんかゲームみたいな世界に来たっぽいな、とやっと思考が追いついてきた。しかし彼は魔王を討ち倒すような力など持っていない……と、そう思っている。
「えっと、それはどうでしょうか。確かに俺はムキムキマッチョマンではありますが、普通の人間……のはずです」
「ああ、えっとですね。この地に召喚される時に、勇者様は特別な力を神より賜るものなのですよ。勇者様が前にいた世界では使えなかった特別な力……”恩寵”と呼ばれる尊い力が。これまでの勇者様方も、その力で悪しき魔王を討ち取ってきたのです」
「はえ〜……。すっごいですね」
「勇者様の授かった力は、聖女様がお調べできます。……キオラ様、もう大丈夫ですか?」
「――はい、大丈夫です」
「……!」
神官の呼びかけに応えて、マスラオの前にとんでもない美しさの女性が近づいてきた。
「お初にお目にかかります、勇者様。私は聖女キオラと申します」
絹のように美しくサラサラとした真白の長い髪。赤子のように白くきめ細やかな卵肌。見る者を引き込むような青色の瞳。元々大きい目をさらに大きく見せるクッキリとした二重に、それを美しく飾る長いまつ毛。彼女の美貌を羨ましがる者はさぞ多いことだろう。
しかし美しいのは見た目だけではない。声も、所作も、聖女キオラを構成する全てが美しかった。
そんな聖女は何故だか額に汗を滲ませ、疲労している様子である。しかしマスラオはその様子が頭に入らないほど見惚れて、ありえないほどキョドってしまっていた。
「アッアッ、あ、い、う、え、お、俺はマスラオと申す者でございやす」
「はあ、不思議な喋り方ですね」
今更ではあるが、異世界のこの地でお互いの言葉が通じているのは、共通の言語だからというわけではない。この世界では地球に存在しない言語が使われている。
そんな中でもマスラオの言葉が通じ、逆にマスラオが他者の言葉を理解できるのは、神が与えた恩寵の一環だと考えられている。知らんけど。
と、そんな前提はどうでもいいと言わんばかりに、勇者を待ち侘びていた神官らは目の前にいる勇者が持つ力の話を進めようとしていた。
「聖女様、そろそろ鑑定の方を」
「……はい、分かりました。ふーっ……」
神官に耳打ちされ、キオラは深く息を吐く。何だかとても緊張しているような面持ちだ。
しかし、そんな不安を孕むキオラの瞳に、桃色のオーラのような光が宿った。
「――《鑑定魔法》」
第一話を読んでいただき、ありがとうございます。
この「勇者マスラオ」の話は別サイトで完結済み(約30万文字)の話で、序盤の展開を改稿したものを小説家になろう様にて投稿しております。
完結まで描き切っているものなので、毎日投稿していきます。よければ読んでいってください。
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