9/15「不景気なユートピア」
少し昔の文章でカタイです
いわゆるオタク文化、ネット文化も捨てたもんじゃないなと、いつからか感じていた。
彼らはその匿名性の中で、旧世代の共依存をベースにした価値観を徹底的に対象化し、パロディとして笑いのネタにし、それに代わるものとして「ツンデレ」のような比較的リアルな感情表出の手段を発明していたのではないかと思う。
まあ少し狭量であったり素っ気なかったりする場合も多々あったとは思うが、全体的にみるとそういう印象がある。
「巨人の星」などが典型だが、ああいう「どうだおれの物語は過剰だろう」と迫ってくる表現の押しつけがましさ、アタマの固さに対して「いやそう言われても」と受け流す型の人間が現れてきたと感じたのが最初だった。
彼らは突然現れたのではなく昔からいたのだが、声の大きい人だけが目立つ時代が終わって「普通の人」がそっとつぶやく時期が来ていたのだろう。
ちまちまとして特に理念もないようだが「それが普通で何がいけないのか」と、声をあげて言うでもなく、ただ普通であることによって逆に際立ってくるというような人が増えてきた。普通に人の悪口を言ったり、こぜりあいをしたり、ぼやいたりしながら。
わたしはそういうことが起こっていると明確に察知したわけではなく、なんだか世の中全体がセコくなってきたなと感じていただけだが、自分自身の感じ方の変化と照らし合わせてもそういうことなんだろうなとだんだん納得していった。
単に古い思想が消えて新しいものが生まれたのではないと思う。個人のコンプレックスをバネに大仰な物語を作りだし、その価値観に人を染めようとするというようなことが方法論として無効なものとなってきた。「もの言わぬ人たちがそれでも表明してくる違和感の総体が臨界点に達した」という感じである。
まあ個人個人がただ身の丈に合ったことを考えているだけではそう大したものは生まれてこないが、個々の小さな情報が生成されつづけるところに意味があったり、なかったりするという世界が目の前に現れた。
旧世代が夢想したユートピアとはまったくちがう形で夢の王国は浮かんできて、その住民はどことなく不景気な顔でぼやき続ける。




