9/12「難儀な人 〜坂口安吾小論〜」
坂口安吾 (さかぐち あんご)1906年(明治39年)10月20日〜1955年(昭和30年)2月17日
大戦後、太宰治、織田作之助らとともに「無頼派」「新戯作派」として注目され、早世した彼らよりは長く、48歳まで精力的に書き続けた。
坂口安吾というのは連想ゲームのようにただ太宰と並べていい作家ではないと思うが、何かと比較しやすくはある。
写真を見ると太宰より横幅もあり、顔つきもたくましく、本人も身体は頑丈だと書いている。
体格で作家を評価するのかといわれそうだが、安吾は体力でおそらくまさるだけあって太宰と同じように酒クスリ女をやっていてもその質がちがうというか、しぶとい感じがする。
本人にそのつもりがなくても黙ってどんと構えていれば風格があるから、安吾と知らない人たちも自然と一目おいてくれるということがあっただろう。戦時中に京都伏見をはじめ各地を転々としていた時も、土地の人々に畏敬され、意外なほど親切な扱いを受けていたという。
その作風は太宰よりは論理的に明快な部分があり、骨太な印象を持たせる。しかしこの人の思考というのは、ものごとを複眼的に見て弁証法よろしくなかなか筋道をたてて考えていくのだが、最後は奇妙に飛躍したところに着地することが多い。書かれたものを読んでいくとわかるのだが「整然とした結論にはウソがある」という感性というか直観に従っているのだと思う。矛盾や破綻をその中に飲み込みながら、最後は気合一発でぽんと飛んでいってしまうという豪快な思考法である。
その流儀でいくと文体を飾るなどということもウソだということになる。そのためか、この人の文章はその思考のままにずんずん進んでいく。助詞や代名詞の乱れなどものともしないので、最初は読みづらかった。粗雑ではないと思うが、独特というか。
そして太宰の詩は舞台の上で役者が語るのにふさわしいが、安吾にも詩はあって、それは古代の人々が自らの内面に向かってつぶやいたような趣のものである。比較的有名な「桜の森の満開の下」はそれが作品として結実した例だと思うが、この物語が終わったか終わらないうちにもう「さあ次だ次だ」とずんずん歩き出していく安吾の姿が見えるような気がして、余韻を残さないのが安吾だろうか。
そういう安吾が矢田津世子との奇妙な恋愛の数年間はかなり不細工に支離滅裂に苦しんでおり、こういうものを恋愛と呼ぶのだろうかと思う。昔のことであり、私がこのお二人のことを知るのも紙の上だけだから漠然と想像するしかないが、矢田さんも作家であるから作家ふたりが生活を共にすることへの怖れはあっただろう。他にもお互いの愛人やらパトロンやらの問題が重なってくるのだが、お互いに愛しているのだと認めながらついに結ばれなかったのはなんというか気の毒である。
安吾は、作家はやめて女房になってくれと普通に彼女にいうことができず、また思い切ることもできず、長い間、愚直に苦しんだ。太宰であれば単に投げてしまうところを、愚直に苦しみつづける体力がある安吾はそれができた。そんな言い方が成立するかどうか。
太宰と比較していい悪いとか優劣をつける必要はない。自ら望んだとおり、完璧ではないがただ前進しつづける文章を残した安吾もまた、難儀な人だった。




