剥がれ落ちた神の仮面
「『原初の理』……。全ての異能を無効化し、純粋な物理法則のみを適用する空間、ですか」
教皇イノケンティウスが、忌々しげに顔を歪めた。 彼が指を鳴らしても、もう床が消えたり、空間が削り取られたりすることはない。 ここでは、「質量」と「速度」、そして「魔力量」だけが物を言う。
「そういうことだ。管理権限を奪われてどんな気分だ?」 レンは折れた腕を庇いながらも、不敵に笑う。
「ここからは、お前が馬鹿にしていた『下等生物』の喧嘩のやり方を教えてやるよ!」
「生意気な……!」 教皇が手をかざし、純粋な魔力砲を放つ。 だが、それは「必中」でも「防御不能」でもない、ただの魔力の塊だ。
「アリア、ミリス! 今なら通じる!」
「待ってましたァッ!」 アリアが炎の剣を構え、真正面から突っ込む。 魔力砲を剣で切り払い、教皇の懐へ。
「神様だか何だか知らないけど、痛みを知らないんでしょ!? 教えてあげるわよ!」 「『炎帝・連撃』!」
ドガガガガッ!!
アリアの高速の斬撃が、教皇の身体を襲う。 教皇は障壁で防ごうとするが、アリアの膂力と剣速がそれを上回る。 純白の法衣が切り裂かれ、その下の白い肌に赤い線が刻まれていく。
「ぐっ……!? この私が、傷を……!?」
「……ん。私も忘れないで」 ミリスがアリアの背後から飛び出し、至近距離で杖を突きつける。
「『氷槍・零距離射撃』」
ズドォォンッ!! 無数の氷の散弾が教皇を直撃し、吹き飛ばす。 教皇は無様に地面を転がり、玉座の足元に叩きつけられた。
「かはっ……! ごほっ……!」 教皇が口から血を吐く。 それは、数千年ぶりに彼が感じた「痛み」であり、「屈辱」だった。
「どうした? 神様なら、奇跡でも起こしてみろよ」 レンがゆっくりと歩み寄る。
「お前は強い力を持っていたかもしれないが、戦い方は素人だ。痛みを知らない奴は、痛みへの対処法も知らないからな」
教皇は震える手で口元の血を拭い、立ち上がった。 その美しい顔は、憎悪と憤怒で醜く歪んでいた。
「……許さない。許しませんよ……」 ギリギリと歯ぎしりをする音が響く。
「たかが人間の分際で……。創造主たる私を見下ろすなど……! これほど不快なエラーがあるものですか!」
教皇が両手を広げると、周囲の空間に無理やり「穴」を開けようとし始めた。 レンの『原初の理』と拮抗し、空間が悲鳴を上げて軋む。
「まだ抵抗するか!」 「抵抗? いいえ、粛清です」
教皇の背後の空間が割れ、そこからドス黒いヘドロのような液体が溢れ出した。 それは、聖都の地下工場で集められていた、数百万人の「絶望」のエネルギーだ。
「この星の寿命が尽きているなら、私が新たな星になればいい。 全ての魂、全ての虚無を取り込み、私が唯一絶対の『個』となる!」
ズズズズズ……ッ! 黒いヘドロが教皇の身体を飲み込んでいく。 少年の姿は崩れ去り、巨大な肉塊へと膨張していく。
背中から六枚の黒い翼が生え、手足は異形に伸び、顔には無数の瞳が開く。 それは、もはや人間でも魔族でもない。 この世界を終わらせるために顕現した、生ける「終焉」そのものだった。
『――アァ……満チル……。これゾ完全……これゾ神……』
異形となった教皇の声が、重低音となって空間を震わせる。 その圧倒的な魔力質量に押され、レンの展開していた『原初の理』の領域が、ガラスのように砕け散った。
「領域が……破られた!?」 レンが鍵を構え直すが、鍵の光が弱まっている。相手の出力が桁違いすぎるのだ。
『消エロ、塵芥ドモ』
教皇が軽く指を弾いた。 それだけで発生した衝撃波が、レンたちを木の葉のように吹き飛ばす。
「ぐあああああっ!?」 「きゃあああっ!」
三人は壁のない空間の果てまで吹き飛ばされ、かろうじて出現した瓦礫にしがみついた。
『モウ遊ビハ終ワリダ。……世界ヲ閉ジル』
教皇が天を仰ぐと、上空に巨大な魔法陣が出現した。 それは聖都だけでなく、大陸全土を覆うほどの規模だ。 魔法陣から放たれる光が、地上の全てを分解し、虚無へと還そうとしている。
「でかすぎる……。あんなの、どうやって止めるのよ……」 アリアが絶望的な表情で呟く。
だが、レンは瓦礫の上で立ち上がった。 その瞳は、まだ死んでいない。
「……サイズの問題じゃない」 レンは血を拭い、ニヤリと笑った。
「どんなにでかくても、あいつは今『実体』を持った。……なら、殴れるし、固定できる」
「レン? 何か策があるの?」
「ああ。とっておきの大技がある。……ただし、俺一人じゃ無理だ。お前たちの協力がいる」
レンは二人に向かって手を差し出した。
「俺の命も、魔力も、全部懸ける。……付き合ってくれるか?」
「愚問ね!」 「……ん。最後まで一緒」
三人の手が重なる。 絶望的な神を前に、最後の反撃の狼煙が上がる。




