神を騙る少年と、終焉の理(ことわり)
「――消えろ、害虫」
教皇イノケンティウスが、無造作に細い指を振った。 それだけで、俺たちが立っていた白い空間の「床」が、音もなく消失した。
「なっ!?」 「きゃああっ!」
アリアとミリスが悲鳴を上げて落下していく。 下は何もない無限の奈落。落ちれば二度と戻れない「データのゴミ箱」のような空間だ。
「『空間固定』――空中足場!」
俺は即座に反応し、二人の足元に透明な床を固定した。 だが、安堵する間もない。 教皇の指が、今度は俺に向けられる。
「しぶといですね。では、貴方自身の座標を消しましょう」
シュッ。 俺の目の前の空間が、丸く抉り取られた。 見えない何かが、俺の首があった場所を通過したのだ。回避がコンマ一秒遅れていれば、俺の首から上は異次元に消えていただろう。
「空間ごと削除か……! 厄介な能力だ!」 俺は冷や汗を流しながら、空中を蹴って肉薄した。
「なら、消される前に叩く! 『空間固定』――超加速!」
俺は自分の背後の空間をバネのように収縮・固定し、それを解放することで弾丸のように加速した。 一瞬で教皇の目の前へ。 俺の拳が、その涼しい顔面を捉える。
ガッ!!
手応えがあった。 ――いや、違う。
「……硬い?」
俺の拳は、教皇の鼻先数センチで止まっていた。 透明な壁に阻まれたのではない。俺の拳の「運動エネルギー」が、そこで完全に殺されたのだ。
「野蛮ですね」 教皇はため息をついた。 「私はこの空間の管理者です。ここでの物理法則は、私の記述一つでどうにでもなる」
教皇がデコピンのような動作をした。
「『反作用・最大化』」
ドンッ!!
俺が殴ったエネルギーが、数倍になって俺自身に跳ね返ってきた。 右腕の骨が軋み、俺は砲弾のように後方へと吹き飛ばされた。
「ぐぅっ……!」 「レン!」
アリアが俺を受け止めようとするが、勢いが強すぎて二人して転がる。
「……ん。魔法で援護する」 ミリスが杖を掲げる。「『絶対零度・氷棺』!」
極大の冷気が教皇を包み込み、巨大な氷の棺に閉じ込める。 だが、教皇は氷の中で優雅に微笑んだままだ。
「無意味です。『熱量保存・無効』」
パリン。 氷の棺が、熱で溶けるのでもなく、砕けるのでもなく、ただの光の粒子となって霧散した。 物理攻撃も、魔法攻撃も、彼の「設定変更」の前では無力化される。
「絶望しましたか? これが神の力です」 教皇は玉座からふわりと浮き上がった。
「貴方の『固定』は、あくまで既存の物理法則を利用した応用技。ですが私の力は、法則そのものを書き換える『理の改変』。次元が違うのですよ」
教皇が両手を広げると、白い空間全体に黒い亀裂――『虚無』の裂け目が無数に走り始めた。
「さあ、終わり(シャットダウン)にしましょう。この聖域ごと、貴方たちを虚数空間へ送ってあげます」
亀裂から溢れ出す闇が、津波のように押し寄せてくる。 逃げ場はない。
「くそっ……! 万事休すかよ!」 アリアが剣を構えるが、その手は震えている。 ミリスも顔面蒼白だ。
だが、俺は笑った。 折れた右腕を『状態固定』で無理やり繋ぎ合わせながら、立ち上がる。
「次元が違う、ね」 俺は埃を払い、教皇を睨みつけた。
「確かに、お前は管理者気取りでルールを弄くってる。……だがな、お前は大事なことを忘れてるぞ」
「……何です?」
「お前が弄ってるそのルールも、元を辿れば『始祖』たちが作ったシステムの上書きに過ぎないってことだ」
俺は懐から『王家の鍵』を取り出した。 鍵は今、かつてないほど激しく熱を帯び、虹色の光を放っている。
「そして、この鍵は『管理者権限』だ。……ハッカー風情が、正規の持ち主に勝てると思うなよ」
俺は鍵を頭上に掲げた。
「アリア、ミリス! 俺の後ろに隠れてろ! 世界のルールを、正常に戻してやる!」
「『事象固定』――領域展開・原初の理!!」
カチリ、カチリ、カチリ。 空間全体に、時計の秒針のような音が響き渡った。
次の瞬間、俺を中心にして、世界の色が反転した。 教皇の支配する「白」が、俺の放つ「虹色」に侵食されていく。
「な、何だと!? 私の空間記述が……上書きされていく!?」 教皇の表情から、初めて余裕が消えた。
「ここはもうお前の箱庭じゃない」 俺は鍵を突きつけた。
「俺たちの土俵だ。小細工なしの、力比べといこうぜ」
神の改変能力を、レンの固定能力が凌駕する。 全ての特殊効果が無効化された「純粋な力」の世界で、最後の殴り合いが始まる。




