虚無の皇帝と、存在の証明
「グオォォォォォォ……ッ!!」
それは、もはや人間の声ではなかった。 謁見の間を揺るがす咆哮とともに、ガリウス皇帝の姿が膨れ上がる。 玉座から溢れ出した『原初の虚無』――ドス黒いヘドロのような闇が、彼の機械の体を飲み込み、巨大な異形へと再構築していく。
全長十メートルを超える、鋼鉄と闇の巨人。 背中からは漆黒の翼のようなエネルギーが噴き出し、胸部には紫色のコアが不気味に脈打っている。
「これが……皇帝のなれの果て?」 アリアが剣を構えながら後ずさる。「魔物というより、もっと禍々しい……世界のバグそのものだわ」
『恐れることはない。これぞ進化の極致』
巨人の胸部コアから、ガリウスの声が響く。だが、それは複数の声が重なったような、歪んだ響きを帯びていた。
『余は虚無と一つになった。この力があれば、古き世界をリセットし、強靭な新人類だけの理想郷を築ける!』
「リセットだと?」 レンは眉をひそめた。「お前は、今生きている人々を全員消すつもりか」
『そうだ。弱き者は生きるに値しない。――消え去れ、旧人類の遺物どもよ』
皇帝が巨大な腕を振り上げた。 その掌に、直径数メートルの黒い球体が生成される。
「『虚無の波動』」
ドォォンッ!! 黒い球体が炸裂し、空間を削り取る衝撃波となって俺たちに押し寄せた。 物理的な衝撃ではない。「存在の消去」を伴う破壊の波だ。床の石畳が、粉砕されるのではなく、最初から無かったかのように消滅していく。
「させない! 『炎帝・焦熱壁』!」 アリアが炎の壁を作り出す。
「……ん。『氷河の盾』」 ミリスが分厚い氷のドームを展開する。
だが。
ジュワッ……。 炎も氷も、黒い波に触れた瞬間に掻き消えた。 抵抗すら許されない。防御魔法という概念ごと食われたのだ。
「うそっ!? 魔法が通じない!?」 「……ん。魔力が、無に帰る」
波は速度を緩めず、俺たちへと迫る。 このままでは、俺たちも「無」にされる。
「レン! 避けて! 防御できない!」 アリアが叫ぶ。
だが、俺は動かなかった。 いや、逃げ場はない。この広間全体が、すでに奴の領域だ。
「……防御できないなら、消されないようにすればいい」
俺は『王家の鍵』を前に突き出した。 相手の能力は、データを削除するコマンドのようなもの。 ならば、俺の能力は――。
「『存在固定』――保護・ロック」
俺は自分たちの肉体、そして周囲の空間の「存在確率」を100%に固定した。 たとえ世界が消去されようとも、俺たちだけは「ここに在る」という事実を、世界の理に強制的に書き込む。
ゴオォォォォォッ!!
黒い波が俺たちを飲み込んだ。 視界が闇に染まり、アリアとミリスの悲鳴が聞こえかける。
――しかし。
波が通り過ぎた後。 そこには、無傷の俺たちが立っていた。 俺たちの周囲の床だけが、孤島のように残されている。
『な……何だと!?』 皇帝の巨体が、驚愕に震えた。 『虚無の波動を受けたはずだ! なぜ消えん!? なぜ存在している!?』
「言っただろ。俺は『固定』する能力だって」 俺は服についた埃を払った。
「お前の力が『消しゴム』なら、俺の力は『消えないインク』だ。いくら擦っても無駄だぜ」
「す、すごい……! 生きてる、私生きてるわ!」 アリアが自分の体を触って確認する。 「……ん。レンの近くにいれば、無敵」
「おのれ……ッ! ならば、これならどうだ!」
皇帝が激昂し、背中の翼を展開した。 無数の黒い羽のようなものが射出され、雨のように降り注ぐ。それは一つ一つが空間を穿つ針だ。
「物理攻撃と虚無の複合か。面倒だな」
俺は鍵を振るった。 「アリア、ミリス。守りは俺がやる。お前たちは攻撃に専念しろ」
「え? でも、魔法は消されちゃうわよ?」
「いいや、通じるはずだ」 俺はニヤリと笑った。 「俺が『あいつの存在』を固定してやるからな」
俺は虚空に魔力を走らせ、皇帝の巨大なコアに向けて『固定』のラインを繋いだ。
「『状態固定』――実体化強制」
皇帝の体は、虚無と融合して実体が曖昧になっている。だから攻撃がすり抜ける。 ならば、あやふやな存在を「物体」として固定してしまえばいい。
バチチチッ! 俺の干渉を受け、皇帝の霧のような黒いボディが、カチリと硬質な物質へと変化した。
『ぐゥッ!? 体が……重い!? 虚無への同化が解かれただと!?』
「今だッ! 殴れッ!」
「オッケー! 理屈はわかんないけど、殴れるようになったのね!」 アリアが獰猛に笑い、地面を蹴った。 強化された愛剣が、紅蓮の光を放つ。
「神様気取りのポンコツロボットが! スクラップになりなさい! 『炎帝・鳳凰斬』!」
巨大な炎の鳥となった斬撃が、実体化した皇帝の左腕を直撃した。
ズドォォォォンッ!! これまで無効化されていた炎が、今度は確かに鋼鉄と肉を焼き切り、巨大な腕を切断した。
『ギャァァァァァッ!!』
「……ん。私も続く。『絶対零度』」
ミリスの魔法が、切断された傷口を瞬時に凍結させ、再生を阻害する。
「貴様らァァァッ!!」 片腕を失った皇帝が、怒り狂って残った右腕を振り下ろす。 だが、その動きは鈍い。俺が関節の動きを『摩擦係数増大』で阻害しているからだ。
「進化だの新人類だの、御託は聞き飽きた」 俺は皇帝の目の前に跳躍し、空中に固定された足場に立った。
「俺たちが生きる世界は、お前が勝手に消していいもんじゃない。……ここから退場してもらうぞ、皇帝」
Sランク『銀翼』の総攻撃が、虚無の王を追い詰めていく。 しかし、コアの奥底で脈打つ『原初の虚無』の光は、まだ消えてはいなかった。




