鉄壁の国境と、拒絶される空間
「……うっぷ。気持ち悪っ」
グラストヘイムを発ち、西へ向かうこと三日。 国境地帯の荒野を歩いていた俺は、突如として襲ってきた激しい吐き気に口元を押さえた。 乗り物酔いではない。もっと根源的な、自分の存在領域が掻き回されるような不快感だ。
「レン? 大丈夫? 顔色が真っ青よ」 アリアが心配そうに覗き込んでくる。
「……ん。私も、なんか変。空気が……ピリピリしてる」 ミリスも不快そうに眉をひそめ、自分の杖を強く握りしめた。
「どうやら、歓迎はされていないみたいだな」 俺は冷や汗を拭いながら、前方を睨み据えた。
視線の先、数キロメートル彼方に、巨大な『壁』が聳え立っている。 断崖絶壁の峡谷を塞ぐように建設された、黒鉄の巨大城壁。 ガレリア帝国の入り口を守る最強の防衛線――『鉄のカーテン』と呼ばれる国境要塞だ。
「あそこから発信されている『波』だ」 俺は『空間把握』の感覚を絞り、原因を特定した。 「要塞全体から、強力な『空間阻害波』が出ている。空間魔法の使用を妨害し、転移や亜空間倉庫へのアクセスを乱すための結界だ」
「空間阻害……? それって、もしかしてレン対策?」
「ああ。間違いない」 俺は要塞の頂上に設置された、無数のパラボラアンテナのような装置を見上げた。 「あのヴァルターとかいう将校が言っていた通りだ。奴らは俺の戦闘データを解析し、即座に対策を講じてきたんだ」
俺の『固定』や空間魔法は、世界というシステムに干渉する権限だ。 だが、そのシステム自体にノイズを走らせれば、アクセスは不安定になる。今の俺は、砂嵐の中で針の穴に糸を通すような精密操作を強いられている状態だ。
「転移で一気に内部へ、っていうのは無理そうね」 アリアが悔しそうに言う。 「正面突破する? Sランクの力なら、あの城壁ごと吹き飛ばせるけど」
「いや、それは最終手段だ」 俺は首を振った。「派手に暴れれば、要塞内の兵士や、捕まっているかもしれない民間人を巻き込む。……それに、あれを見ろ」
俺は要塞へと続く一本道を指差した。 そこには、鎖に繋がれた長い列が、重い足取りで要塞のゲートへと歩かされていた。 ボロボロの服を着た人々。老人や子供もいる。
「捕虜……?」 「おそらく、帝国領内や周辺の村から攫ってきた人々だ。……機工魔人の動力源にするか、人体実験の材料にするつもりだろう」
ギリッ、とアリアの剣の柄が鳴った。 「許せない。……ねえレン、あの人たちを助けなきゃ」
「当然だ。だが、このジャミング下で乱戦になれば、人質に被害が出る可能性がある」
俺は思考を巡らせた。 空間魔法が使いにくいなら、使わなければいい。 いや、奴らが「空間魔法は使えない」と思っている裏をかけばいい。
「……ミリス。あの上空の雲、凍らせて『レンズ』を作れるか?」 「レンズ? ……ん。できる。光を集める?」
「ああ。そしてアリア、お前の炎で空気を熱して、蜃気楼を作れ」
二人がキョトンとするが、俺の作戦を聞くと、すぐに悪戯っぽい笑みを浮かべた。
◇
要塞の城壁の上。 帝国兵の見張りたちが、退屈そうに捕虜の列を見下ろしていた。
「おい見ろよ。また『燃料』が到着したぜ」 「へっ。魔力持ちはいい値で売れるからな。技術局の連中が喜ぶ」
彼らは油断しきっていた。 最新鋭の『空間阻害装置』が稼働している以上、あの厄介なSランク冒険者『銀翼』であっても、転移で侵入することは不可能だと信じ込んでいたからだ。
だから、彼らは気づかなかった。 上空の雲が不自然に凍りつき、巨大な凸レンズを形成していることに。 そして、地上の空気が熱せられ、光の屈折率が変わっていることに。
「……おい、なんだあれ?」 一人の兵士が、空を指差した。 太陽の光が一点に収束し、要塞の頂上にあるパラボラアンテナを照らした瞬間。
ジュッ!!
「うわああっ!?」 「アンテナが溶けた!?」
高熱のレーザーと化した太陽光が、阻害装置の基盤を焼き切ったのだ。 物理的な自然現象を利用した攻撃。ジャミングなど関係ない。
バチバチバチッ! 装置が火を吹き、要塞を覆っていた不快な波動が一瞬だけ途切れる。
「今だッ!」
その一瞬の隙を、俺は見逃さなかった。 俺は回復した空間制御権限をフル活用し、捕虜たちの足元へ『座標指定』を行う。
「『空間固定』――集団転移!」
ヒュンッ! 数百人の捕虜たちの姿が、要塞の前から掻き消えた。 彼らを安全な後方の森の中へ転送したのだ。
「な、何!? 捕虜が消えた!?」 「敵襲! 敵襲ゥゥッ!」
警報が鳴り響く中、俺たちは正々堂々と要塞の正面ゲート前に姿を現した。
「やぁ、こんにちは」 俺は慌てふためく城壁の兵士たちに手を振った。
「帝国観光に来たんだが、入国審査の準備はいいか?」
アリアが炎の剣を抜き、ミリスが氷の嵐を纏う。 人質はいなくなった。ジャミングも消えた。 ここからは、遠慮なしのSランクによる蹂躙戦の時間だ。
「総員、戦闘配置! 相手はたった三人だ、撃てぇぇぇ!」
無数の銃弾と魔法が降り注ぐが、俺は一歩も動かずに手をかざす。
「『物理固定』――反射」
全ての攻撃は、見えない壁に当たって180度反転し、撃った本人たちへと降り注いだ。 悲鳴と爆発音が要塞を包む。
「さあ、通り道を空けてもらおうか。……その奥で待ってる、黒幕たちのところまでな」
俺たちは爆炎を背に、帝国の『鉄のカーテン』をこじ開けるべく足を踏み入れた。




