宰相の背後に蠢くもの
「な、なんだこれは……!? 私の体に、何をした!」
バルデル宰相が悲鳴を上げ、自身の体を見下ろした。 俺の『虚偽看破』によって可視化された視界の中では、彼の上半身に紫色のヘドロのような靄が絡みつき、背後には人ならざる「影」が張り付いているのが見えていた。
それは、周囲の貴族たちや国王の目にもはっきりと映っている。
「バルデルよ……その禍々しいオーラは一体何だ?」 アストラル王が、玉座から身を乗り出して問いただす。
「へ、陛下! これは幻覚です! この冒険者が、私を陥れるために幻術をかけたのです! 衛兵、早くこの無礼者を斬り捨てろ!」
宰相は必死に喚き散らすが、近衛騎士たちは動けない。 彼らもまた、戦士としての本能で感じ取っていたのだ。宰相の背後にいる「影」から放たれる、底冷えするような殺気を。
「幻術じゃありませんよ」 俺は冷静に告げた。 「俺はただ、空間の光の屈折を固定して、『そこにあるが見えていないもの』を見えるようにしただけです。……ねえ、いつまで隠れているつもりだ?」
俺は宰相の背後の影に向かって声をかけた。
――キシャァァァァッ!
その瞬間、宰相の影が実体を持って膨れ上がった。 影の中から、鋭い爪と赤い目を持つ、不定形の黒い怪物が飛び出したのだ。 それはバルデルを守るためではなく、口封じのために彼の首を刎ねようと鎌のような腕を振り上げた。
「ヒッ!?」 バルデルが腰を抜かす。
「させない。『空間固定』――隔離結界」
俺は指を弾く。 怪物と宰相の間に、不可視の壁が出現した。 ガギィン! と硬質な音が響き、怪物の爪が弾かれる。
「アリア!」 「任せて!」
待機していたアリアが、すでに抜刀して飛び出していた。 赤絨毯の上を疾走し、燃え盛る炎の剣を一閃させる。
「はぁぁぁっ!」 斬撃が黒い怪物を捉える。 怪物は断末魔の叫びを上げ、霧のように散り散りになって消滅した。
静寂が戻った謁見の間。 腰を抜かした宰相と、剣を納めるアリア、そして無表情で杖を下ろすミリス。 貴族たちは、あまりの出来事に言葉を失っていた。
「……見たか」 俺は全員に聞こえるように言った。 「あれは『影憑き(シャドウ・ストーカー)』。白の教団が、都合の悪い人間を監視・処分するために使う使い魔の一種です」
俺はバルデルを見下ろした。 「宰相殿。あなたは教団と繋がり、王宮の情報を流していた。そして用済みになれば消される運命だった。……違いますか?」
「あ……あぁ……」 バルデルはガタガタと震え、床に額を擦り付けた。 「お、お許しください、陛下……! む、娘を人質に取られ、仕方なく……!」
やはりか。 彼もまた、教団の被害者であり、加担者だったわけだ。
「連れて行け」 王が静かに、しかし冷厳に命じた。 近衛騎士たちがバルデルを拘束し、引きずっていく。
邪魔者が消え、再び王と俺たちが向き合う形になった。
「……レン殿と言ったな」 アストラル王が玉座から立ち上がり、ゆっくりと階段を降りてきた。 周囲の貴族たちが慌てるが、王は手を挙げて制し、俺の目の前まで歩み寄ってきた。
「其方の髪の色を呪いと呼び、蔑んですまなかった。其方は我が国の膿を出し、宰相の命すら救った。……紛れもなく、国の恩人だ」
「もったいないお言葉です」 俺は頭を下げた。
「しかし、驚いたな」 王は俺の手にある『王家の鍵』と、アリアたちを見回して微笑んだ。 「古の遺産を使いこなし、魔物を一撃で葬る武力。そして真実を暴く知恵。……ギルバートが『最強』と認めるのも頷ける」
王は近衛騎士団長から、豪奢な装飾が施された勲章を受け取り、俺の胸に直々に着けてくれた。
「レン、アリア、ミリス。 本日ただ今をもって、貴殿らをレグルス王国公認、Sランク冒険者パーティ『銀翼』として認定する。 その双翼で、この国を……いや、この世界に迫る闇を払ってくれ」
わぁっ、と貴族たちからも拍手が湧き起こった。 さっきまでの冷ややかな視線は消え、今は純粋な畏敬と称賛の眼差しが向けられている。 ゲンキンなものだが、これで王都での活動は格段にしやすくなるはずだ。
「謹んで、お受けいたします」
◇
謁見を終え、城を出た俺たちを、ギルバートさんがニヤニヤしながら待っていた。
「やるじゃないか、レン。まさか宰相の不正まで『固定』して暴くとはな」 「偶然ですよ。あんなのが憑いてるとは思いませんでしたけど」
俺は勲章を撫でた。 これで名実ともにSランク。 地位も名誉も手に入れた。
だが、俺の心は晴れていなかった。 バルデルに憑いていた『影憑き』。あれは教団が王宮の中枢まで深く入り込んでいる証拠だ。 そして、ジークが残した「彼らが黙っていない」という言葉。
「……ギルバートさん。これから忙しくなりそうですね」 「ああ。教団の連中、本格的に動き出すぞ。それに――」
ギルバートさんが西の空を見上げた。 そこには、不気味な赤紫色に染まった雲が、遠く棚引いているのが見えた。
「西の空に『亀裂』の予兆が出ている。……帝国の動きもきな臭い」
俺たちの戦いは、まだ終わったわけじゃない。 むしろ、ここからが本当の「世界を守る戦い」の始まりなのだ。
「行きましょう。世界の綻びを、直しに」
俺たちは新たな決意を胸に、歓声に包まれる王都の大通りを歩き出した。




