剣聖の閃きと、固定された未来
三日後。王都闘技場は、異様な熱気に包まれていた。
「おい、聞いたか? 今日のメインイベント」 「ああ。あの『剣聖』ギルバート様が、数年ぶりに剣を抜くって話だろ?」 「相手は誰だ? 騎士団長か?」 「いや、なんでも……史上最年少の冒険者パーティらしいぞ」
観客席を埋め尽くす何万人もの人々。その視線が、石造りの闘技場の中央に注がれている。
俺――レンは、その中心で深呼吸を繰り返していた。
「……緊張してるのか、レン?」 対峙するギルバートさんが、腰に手を当てて笑う。 今日の彼は、いつものラフな革鎧ではない。現役時代の、鈍い輝きを放つフルプレートメイルを纏い、背中には愛剣である大剣『ドラゴンスレイヤー』を背負っている。 ただ立っているだけなのに、巨大な山がそこにあるような圧倒的な威圧感。
「緊張、してますよ。……相手は世界最強の剣士ですから」 「ハッ、口だけは達者になったな。だが、今日は手加減せんぞ。死ぬ気で来い」
審判役のギルド職員が、震える声で告げる。 「これより! パーティ『銀翼(仮)』のSランク昇格試験を開始する! 試験官は、元Sランク冒険者ギルバート・ライオット!」
ゴォォォォンッ……! 開始の銅鑼が打ち鳴らされた。
「行くぞ!」
ドンッ! ギルバートさんの姿が掻き消えた。 速い。目で追えるレベルじゃない。
「――右!」
俺は思考するより早く、右側の空間に『物理固定』の壁を展開した。 ガギィィィンッ!! 火花が散る。透明な壁の向こうに、大剣を振り抜いたギルバートさんの姿が現れる。
「ほう、今の初太刀に反応するか。勘がいい」 「勘じゃない……気配で読んでるんです!」
俺はバックステップで距離を取りつつ、無数の不可視の棘を地面に固定する。 だが、ギルバートさんは止まらない。 剛剣一閃。 地面ごと棘を粉砕し、瓦礫の雨を突っ切って迫ってくる。
「防御一辺倒では勝てんぞ! 攻めてこい!」 「くっ……! アリア、ミリス! 援護を!」
観客席の最前列で見守る二人――今回は1対1の決闘という形式だ。パーティ戦ではない。だが、二人の声援が聞こえる。 「レン、いけぇぇぇ!」 「レン、負けるな」
仲間の声が、恐怖を押し流す。 俺は腹を括った。逃げ回っていては勝てない。 かつて俺を「ゴミ」だと言って追放した連中とは違う。俺を認め、育ててくれたこの人に、俺の全てをぶつけるんだ。
「『空間固定』・多重展開!」
俺は空中に足場を固定し、三次元的な機動でギルバートさんの頭上を取る。 そこから、空気の塊を圧縮・固定した『空気弾』を連射する。
「甘いッ!」 ギルバートさんは大剣を一振りし、衝撃波だけで俺の弾幕を吹き飛ばした。 さらに、剣を構え直す動作の中に、強烈な魔力が収束していく。
――来る。 あの構えは、ギルバートさんの必殺剣『竜断』。 かつてドラゴンを一撃で両断したという、防御不能の斬撃。
(速すぎる……。見てからじゃ間に合わない)
俺の動体視力でも、剣の軌道は見えないだろう。 防御壁を張っても、あの威力なら紙のように切り裂かれる。
どうする? いや、考えるな。感じろ。 北の遺跡で掴んだ感覚。 『事象固定』の応用。
今、この瞬間を止めるのではない。 これから起こる「結果」を、俺の都合のいいように固定するんだ。
ギルバートさんの筋肉の動き、視線、魔力の流れ、風の揺らぎ。 全ての情報が脳内で統合され、世界がスローモーションに見える。 そして、俺の目の前に「赤いライン」が走った。
(――そこだ!)
ギルバートさんが踏み込む。 大剣が放たれる。 音速を超え、雷鳴のような轟音とともに迫る銀色の閃光。
俺は動かない。 剣を避けることもしない。 ただ、自分の首元――剣が到達するであろう「未来の座標」に、指先を添えた。
「『事象固定』――空の鞘」
俺は、その空間に「剣が収まるべき鞘」という概念を固定した。 物理的な壁ではない。 剣の運動エネルギーがゼロになる「点」を、強制的に作り出したのだ。
キィィィィィン……。
甲高い金属音が、闘技場に響き渡った。 観客たちが息を呑む。
ギルバートさんの大剣が、止まっていた。 俺の首筋から、わずか数センチ。 まるで、見えない万力で挟み込まれたかのように、ピクリとも動かない。
「……なっ!?」 ギルバートさんが目を見開く。渾身の力を込めているはずなのに、剣が石に埋まったように抜けないのだ。
「未来の軌道を予測して、そこに『停止』を置きました」 俺は冷や汗を拭いながら、ニッと笑った。 「あなたの剣が速すぎるなら、剣が通る場所を先回りして通行止めにするだけです」
数秒の沈黙。 やがて、ギルバートさんは全身の力を抜き、大剣から手を離した。 カラン、と大剣が地面に落ちる音だけが響く。
「……参った」 ギルバートさんは両手を上げた。「俺の負けだ、レン」
わぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!! 一瞬の静寂の後、闘技場が割れんばかりの歓声に包まれた。 「見たか!?」「剣聖の剣を止めたぞ!」「あいつ何者だ!?」
「見事だ。力技ではなく、理で俺を上回るとはな」 ギルバートさんが歩み寄り、俺の肩をバンと叩いた。
「胸を張れ。今日この瞬間から、お前たちはSランクだ」
俺は震える足で立ち尽くし、駆け寄ってくるアリアとミリスの姿を見た。 アリアが泣きながら抱きついてくる。ミリスが静かにVサインをしている。
「……はいッ!」
「それとな」 ギルバートさんは観客席に向かって手を掲げ、高らかに宣言した。
「聞け、愚民ども! そして称えろ! 空間を支配し、天翔ける竜すらも凌駕する新たな英雄! Sランクパーティ――その名は『銀翼』だ!!」
『銀翼』。 それはかつて、俺たちが初めてワイバーンを倒した時に冗談半分で話していた名前。 それが今、世界最強の証として刻まれた。
俺は空を見上げた。 王都の青空はどこまでも高く、俺たちの未来のように晴れ渡っていた。 ……そう、この時はまだ、その空の向こうから迫りくる「本当の絶望」を知らなかったのだ。




