極寒のピクニックと白い影
「うっひょー! 見てよレン、ミリス! 外の世界が真っ白だー!」
馬車の窓から顔を出したアリアが、子供のようにはしゃいだ声を上げる。 俺たちが向かっているのは、北の果て。大陸最北端にある『常闇の氷河』だ。
王都を出発してから二週間。景色は豊かな緑から枯れ木混じりの荒野へ、そして今は一面の銀世界へと変わっていた。 外気温はマイナス二〇度を下回っているらしい。吐く息どころか、瞬きをした瞬間にまつ毛が凍りつくほどの極寒地獄だ。
本来なら、Sランク冒険者でも装備を厳選しなければ凍死するレベルの環境なのだが――。
「……レンのアイス、美味しい」 「お代わりあるよ、ミリス。外の雪にシロップかけただけだけど」 「ん。天才」
車内では、ミリスが優雅にカキ氷を食べていた。 アリアも半袖の軽装で、窓から身を乗り出して雪玉を作っている。
なぜこんなふざけた状況がまかり通っているのかと言えば、もちろん俺のスキルのおかげだ。
「よし、結界の維持も問題ないな」
俺は馬車全体を包む見えない膜――『固定』の領域を確認して頷いた。
『状態固定・恒温結界』。
これが俺の開発した新技だ。 馬車の周囲五メートルの空間を指定し、その中の「気温」という数値を摂氏二〇度に『固定』している。 外が吹雪こうが絶対零度になろうが、この空間内だけは春の陽気を維持し続ける。熱力学の法則を完全に無視した、移動式シェルターだ。
「ほんと、レンのスキルってデタラメよねぇ」 アリアが感心したように言う。「普通の『温度調整』の魔法石だって、こんな極寒じゃすぐに魔力切れになるのに。レンはずっと涼しい顔してるもん」 「魔力を消費して熱を作ってるわけじゃないからな。『今の温度であること』を固定してるだけだから、燃費はすごくいいんだ」
俺は肩をすくめる。 ギルバートさんとの修行を経て、俺の魔力操作は格段に向上していた。これくらいの広範囲固定なら、三日三晩維持し続けても息切れすることはない。
「でも、そろそろ気を引き締めた方がいいかもな」 俺は窓の外、白く霞む地平線を見つめた。「地図上だと、この辺りから『人の住めない領域』だ。魔物だけじゃなく……妙な噂もある」
「妙な噂?」 「ああ。ギルバートさんが言ってた。『北には、古い掟を盲信する狂信者たちがいる』って」
その時だった。
キィィィィン……。
耳鳴りのような高い音が響き、馬車の進行方向の雪原が、不自然に爆ぜた。 いや、爆発じゃない。雪が一瞬にして蒸発したんだ。
「――敵襲!」
アリアが瞬時に剣を抜き、ミリスが杖を構える。 俺は即座に『恒温結界』を解除し、代わりに防御特化の『物理固定』を馬車の前面に展開した。
吹雪の向こうから、複数の人影が現れる。 全身を純白のプレートアーマーで覆った、騎士の一団だ。 雪景色に溶け込むような白い鎧。だが、その胸元には毒々しいほど赤い「十字」の紋章が刻まれている。
(あれは……『白の教団』か!?)
冒険者ギルドの資料で見たことがある。 魔法を「神からの借り物」として神聖視し、特に空間魔法や重力魔法などの理に干渉する力を「悪魔の業」として忌み嫌う、過激派の宗教武装組織だ。
「止まれ、穢れし者どもよ」
先頭に立つ騎士が、大剣を突きつけて言った。 兜の奥から響く声は、氷のように冷徹だ。
「我らが聖域への侵入は許さん。……特に、そこな黒髪の男」
切っ先が、真っ直ぐに俺を指した。
「その禍々しい『黒』の色。そして、世界を歪める不浄な魔力の波動……。貴様、古の『呪われた血』を引く者だな?」
俺はアリアとミリスを手で制し、馬車から降りて雪の上に立った。 ギルバートさんの推測通りだ。俺のルーツ――始祖王朝の末裔という事実は、どうやらこの北の地では歓迎されないらしい。
「ただの冒険者だと言っても、通してはくれなさそうですね」 「問答無用。悪魔の血族は、神の名において浄化するのみ!」
騎士たちが一斉に動き出す。 数は十二人。全員が高い魔力を帯びた武器を構えている。
だが、俺の中に恐怖はなかった。 以前の俺なら、足がすくんでいただろう。けれど今は違う。自分の力の正体を知り、それを制御する術を学んだ。
「アリア、ミリス。準備運動といこうか」 「了解! 寒くて体が鈍ってたところよ!」 「……ん。殲滅する」
俺は右手を前に突き出し、迫りくる白銀の騎士たちを見据えた。
「悪いが、そこをどいてもらう。――『固定』」
極北の旅路、最初の障害。 俺たちは真っ向から、その白い壁を打ち砕くことにした。




