二つの影
「アリア、今だ! 核を砕け!」
レンの叫びが夜の王都に響く。 『座標固定』によって動きを封じられたキメラは、ただの巨大な肉の塊だった。 ミリスの炎によって再生能力を焼かれ、逃げ場を失った怪物に、銀色の剣閃が迫る。
「これで……終わりだァァァッ!!」
アリアが跳躍し、脳天から垂直に剣を突き立てた。 レンが強化した絶対に折れない刃は、キメラの頭蓋を貫通し、胸部にある魔石(核)を一撃で粉砕した。
「ギ、ギャ……ァ……」
断末魔と共に、キメラの巨体が崩れ落ちる。 ドズンッ! という地響きを立てて動かなくなった怪物は、やがて紫色の粒子となって霧散していった。
「はぁ……はぁ……! や、やったか……?」
アリアが剣を杖代わりにして荒い息を吐く。 ミリスもその場にへたり込み、レンも額の汗を拭った。 宿屋の火災、住民の避難、そしてキメラの相手。消耗は激しかった。
「とりあえず、これで一安心かな。あとは騎士団に引き渡して……」
レンが警戒を解きかけた、その時だった。
ゾワリ。
キメラ以上の悪寒が、レンの背筋を駆け抜けた。 殺気がない。足音もない。 だが、確実な「死」が背後から迫っていた。
「――レン、後ろッ!!」
アリアの絶叫。 レンが振り返ると、暗闇の中から「影」が染み出すように現れ、漆黒のダガーを振り下ろそうとしていた。 ボルットンが雇った、本命の暗殺者だ。
(間に合わない……!)
『固定』の発動には、コンマ数秒のラグがある。 疲弊した今のレンの反応速度では、その切っ先を止めることはできない。 死ぬ。 レンが死を覚悟した、その瞬間。
カァァァァンッ!!!
甲高い金属音が夜空に響き、火花が散った。 レンの目の前、鼻先数センチの場所で、漆黒のダガーが「錆びついた鉄の剣」によって受け止められていた。
「……あ?」
暗殺者が、感情のない声を漏らす。 レンと暗殺者の間に割り込んでいたのは、ボロボロのローブを纏った、無精髭の男だった。
「……ったく。せっかく屋根の上で月見酒と洒落込んでたのに、騒がしくて酒が不味くなるだろうが」
男――『隻腕の剣鬼』ギルバートは、面倒くさそうに頭を掻いた。
「ギ、ギルバートさん!?」 「よう、坊主。生きてるか?」
ギルバートは片手だけで暗殺者のダガーを抑え込み、あくびを噛み殺した。 暗殺者の目が驚愕に見開かれる。 彼は全体重を乗せて押し込んでいるのに、ギルバートの腕はピクリとも動かないのだ。
「……貴様、何者だ」 「ただの通りすがりだよ。……失せな」
ギルバートの手首が、鞭のようにしなった。 ブンッ!! ただの「払い」だ。 だが、それだけで暴風のような衝撃が発生し、暗殺者は弾き飛ばされて民家の壁に激突した。
「ガハッ……!?」
暗殺者は血を吐きながら、信じられないものを見る目でギルバートを睨んだ。 そして、その錆びた剣と隻腕の姿を見て、正体に気づいたようだ。
「……隻腕の……剣鬼……!」 「チッ、まだやる気か? 俺は今、猛烈に機嫌が悪いんだ。次は首が飛ぶぞ」
ギルバートが殺気を解放する。 その瞬間、周囲の空気が凍りついたかのように重くなった。 Sランク。人類最強の一角。そのプレッシャーは、キメラの比ではない。
「……撤退する」
暗殺者は瞬時に判断し、煙玉を投げつけて闇の中へと消えた。 賢明な判断だ。あのまま戦っていれば、数秒で肉塊になっていただろう。
「……ふぅ。逃げたか」
ギルバートは剣を背中の布に巻き直し、レンの方を向いた。
「助かりました……。でも、どうしてここに?」 「たまたまだと言ったろ。……まあ、お前らの戦い方が面白くて、ちょっと見物してたんだがな」
ギルバートはニヤリと笑い、レンの頭をガシガシと撫でた。
「いい度胸だ。キメラ相手に一歩も引かず、住民を守りきった。……気に入ったぜ、ガキ共」 「あ、ありがとうございます……」 「礼はいい。その代わり、今度こそ高い酒を奢れよ? 俺の喉はカラカラなんだ」
そう言って笑うギルバートの背中は、王都のどんな城壁よりも頼もしく見えた。 遠くから、ようやく騎士団の到着を知らせる笛の音が聞こえてくる。
王都炎上事件。 それはレンたち『銀翼』が、王都の闇組織と全面戦争に突入したことを告げる狼煙となった。 だが、今の彼らには強力すぎる味方がいる。 反撃の準備は整った。




