深淵の将軍
魔物の波が、まるでモーゼの海割れのように左右へと開いていく。 その道の中央を、重厚な金属音を響かせながら、一騎の騎士が歩いてきた。
漆黒のフルプレートアーマー。 右手に握られた身の丈ほどもある大剣。 そして最大の特徴は――首から上が無く、その左脇に兜を抱えていることだった。
「……デュラハン?」
城壁の上から見ていたレンが呟く。 だが、図鑑で見るような通常の個体とは違う。 全身から噴き出すドス黒い魔力は、周囲の空間を歪ませるほど濃密で、ただ立っているだけで肌が粟立つような威圧感を放っていた。
「……我が名はベルディア。深淵より出でし軍団の長なり」
兜の奥から、低く、腹の底に響くような声が聞こえた。 魔物が喋った。その事実に、衛兵たちが動揺する。
「お、おい……喋ったぞ……」 「言葉が通じるのか? なら、交渉を……」
恐怖に駆られた一人の衛兵が叫ぼうとした瞬間、デュラハンが大剣を軽く振るった。
「――失せよ」
ズンッ!!
黒い衝撃波が放たれた。 それはレンが補強したはずの鋼鉄の城門に直撃し、鼓膜を破るほどの轟音を立てた。
バギィィィンッ……!!
「な……ッ!?」
レンが目を見開く。 『状態固定・絶対耐久』を施し、ダイヤモンド並みの強度になっていたはずの門に、亀裂が入ったのだ。 あと一撃。 あと一撃食らえば、門は粉砕され、数千の魔物が街へ雪崩れ込む。
「ほぅ。我が『魔剣』の一撃を耐えるか。……小賢しい結界だ」
デュラハンは退屈そうに言い捨て、再び大剣を振り上げた。 衛兵たちは腰を抜かし、武器を取り落とした。 勝てるわけがない。あれは、人間が敵う相手ではない。 絶望が伝染し、防衛線が崩壊しようとした――その時。
「――アリア、飛べッ!!」
レンの鋭い指示が響いた。 同時に、城壁の上から銀色の影が弾丸のように射出された。
「おうよッ!!」
アリアだ。 レンが空中に作った加速用の足場を蹴り、落下の勢いを乗せた渾身の『兜割り』を、デュラハンの脳天(兜)目掛けて叩き込む。
ガギィィィィンッ!!
火花が散る。 だが、デュラハンは一歩も引かなかった。 あろうことか、振り下ろされたアリアの剣を、片手で――左腕のガントレットだけで受け止めていたのだ。
「……軽いな。羽虫か?」 「へっ、言うじゃねえか……!」
アリアは空中で体を捻り、追撃を放つが、デュラハンの鎧には傷一つ付かない。 硬すぎる。アリアの剣が「折れない」だけで、相手の装甲を貫通できていない。
「消えろ」
デュラハンが裏拳のように左腕を振るう。 それだけで暴風が発生し、アリアが吹き飛ばされた。
「ぐっ……!?」 「アリア!」
レンが即座に空中にクッション代わりの『壁』を作り、アリアを受け止める。 同時に、後方からミリスの援護射撃が飛ぶ。
「アリアさんをいじめるな! 『フレア・ランス』!」
極大の炎の槍がデュラハンに着弾する。 ドォォォンッ! 直撃。しかし、爆煙の中から現れた黒騎士は、煤一つ付いていなかった。
「魔法耐性まで完備かよ……」
レンは冷や汗を拭った。 物理も魔法も通じない。攻撃力は一撃必殺。 推定ランクはA級。単独で国を落とせるレベルの化け物だ。
「人間にしてはやるようだが……所詮は時間稼ぎ。我が軍勢の前には塵に等しい」
デュラハンが剣を掲げると、背後で待機していた魔物の群れが再び雄叫びを上げ、前進を開始しようとした。
「……ミリス、アリア。僕のそばへ」
レンは城壁から飛び降り、デュラハンの前に着地した。 二人の少女もすぐに駆け寄り、レンの両脇を固める。
「レン、どうする? あいつ、私の剣でも斬れないぞ」 「魔法も弾かれちゃいました……」 「大丈夫。攻略法はある」
レンは真っ直ぐにデュラハンを見据えた。 その瞳に、絶望の色はない。あるのは、難解なパズルを解こうとする知的な光だけだ。
「衛兵の皆さんは下がっていてください。……ここからは、『銀翼』が引き受けます」
たった三人で、数千の軍勢と、最強の将軍を相手にする。 狂気の沙汰だ。 だが、レンが「勝てる」と言えば、それは決定事項なのだ。
「行くよ。――『空間の支配者』の戦い方を教えてやる」
レンが右手を突き出す。 それに応えるように、デュラハンが初めて兜の向きをレンに固定した。
「……面白い。その首、我がコレクションに加えよう」
夜明け前の荒野で、最強の矛盾対決の火蓋が切って落とされた。




