嵐の前の静けさ
ギルドマスターからの警告を受け、街の空気は一変していた。 表向きは平常通りだが、水面下では大規模な物資の搬入が行われ、冒険者たちは武器の手入れに余念がない。 誰もが肌で感じていたのだ。遠くない未来に訪れる「何か」を。
そんな中、レンは再び武具店『鋼の槌』を訪れていた。
「いらっしゃい。……なんだ、またお前か」
頑固親父の店主が、呆れたような、しかし少し嬉しそうな顔で迎える。 レンはカウンターにドン! と重そうな革袋を置いた。
「オヤジさん、注文です。『鉄杭』をください」 「ああ、またか。前回の追加で20本くらいか?」 「いいえ。――1000本です」
店主が目を見開き、ポカンと口を開けた。
「せ、1000本!? 戦争でも始める気か!?」 「似たようなものです。それと、長さ50センチの『大杭』も100本。素材は鉄じゃなくて、ミスリルコーティングでお願いします」 「お前……本気か。金貨が何枚飛ぶと思ってる」 「金ならあります。……街を守るためですから、ケチってる場合じゃない」
レンが中身の詰まった革袋を開くと、店主はフンと鼻を鳴らし、ニヤリと笑った。
「……いい目になったな、坊主。わかった、在庫を全部かき集めてやる。徹夜で仕上げるから明日取りに来な!」
◇
弾薬(鉄杭)の手配を終えたレンは、その足で街の北門へと向かった。 そこは『奈落の顎』がある方向であり、スタンピードが発生した場合、魔物の大群が最初に押し寄せる最重要防衛ラインだ。
「おい、君! ここは関係者以外立ち入り禁……あ、あなたは!」
衛兵がレンを止めようとしたが、その顔を見て敬礼の姿勢をとった。 『空間の支配者』の顔は、すでに衛兵たちの間でも知れ渡っている。
「門の補強に来ました。ギルドマスターの許可は得ています」 「ほ、補強ですか? 大工も連れずに?」 「僕一人で十分です」
レンは巨大な鋼鉄製の門扉の前に立った。 厚さ30センチの重厚な門だが、オーガやトロルのような巨人が数百体で突っ込んでくれば、いずれ破壊されるだろう。 だから、物理的に「壊れない」ようにする。
レンは両手を門に押し当てた。 門全体、蝶番、かんぬき、そして周囲の石壁。それら全ての「結合状態」をイメージする。
「――『状態固定・絶対耐久』」
門が微かに光を帯び、すぐに落ち着いた。 見た目は変わらない。だが今、この門はダイヤモンドよりも硬い、一枚の巨大な防壁と化した。 魔力が尽きない限り、たとえドラゴンが体当たりしても傷一つ付かないだろう。
「これでよし。……あとは、門の上にも」
レンは門の上に登り、等間隔に『空間固定』で見えない「足場」や「遮蔽板」を設置していく。 弓兵や魔法使いが身を乗り出しても落ちないように、そして敵の遠距離攻撃を防ぐための陣地作成だ。
「す、すげえ……。何もない空中に壁ができたぞ……」 「これなら安心して矢が撃てる!」
衛兵たちが歓声を上げる。 レンの『固定』は、個人の武器であると同時に、集団戦においては最強の「インフラ」にもなるのだ。
◇
その日の夜。 宿の窓から、不気味に静まり返った街を見下ろしながら、レン、アリア、ミリスの三人は食事を摂っていた。
「準備は万端だな。私の剣も研ぎ終わった。いつでも斬れるぞ」 「私も、魔力回復薬を買い込みました。……怖いですけど、逃げません」
アリアは闘志を燃やし、ミリスは不安を押し殺して杖を握りしめている。 レンは二人にスープを取り分けながら言った。
「二人がいてくれてよかった。僕一人じゃ、きっと足が震えていたよ」 「何言ってんだ。お前が一番どっしり構えてるじゃないか」 「そうですよ。レンさんがいるから、私たちは戦えるんです」
三人は顔を見合わせ、静かに笑った。 言葉は少なくても、信頼だけで繋がっている。 嵐の前の、最後の穏やかな時間。
だが、その静寂は唐突に破られた。
ズズズズズズッ……
テーブルのスープ皿がカタカタと震え出した。 地鳴りだ。 それも、地震ではない。無数の「何か」が地面を叩く振動。
カラン、カラン、カラン、カランッ!!!!
直後、街中の警鐘が一斉に鳴り響いた。 空気を切り裂くような、非常事態の鐘の音。
「……来たか」
レンが立ち上がり、窓を開ける。 街の北側、闇に包まれた森の奥から、数え切れないほどの赤い光――魔物たちの瞳が、津波のように押し寄せてくるのが見えた。
スタンピードの発生だ。
「行くぞ、『銀翼』! 初陣だ!」 「応ッ!!」 「はいッ!!」
レンたちは武器を手に取り、部屋を飛び出した。 街の命運をかけた、長い夜が始まろうとしていた。




