VS キメラ
北の交易路に到着したレンの目に飛び込んできたのは、地獄絵図のような光景だった。
「グオォォォォォッ!!」 「メェェェェ……!」 「シャアァッ!」
獅子、山羊、そして蛇。三つの頭を持つ異形の巨獣――『キメラ』が、街道を塞ぐように暴れまわっていた。 さらにこの個体は、背中から腹にかけて、ミスリルすら凌駕すると言われる黒光りする「甲殻」に覆われている。ユニーク個体『鎧砕き』だ。
「くそっ、剣が通じねえ!」 「魔法もあの甲羅で弾かれるぞ! 弱点はどこだ!?」
先行していたCランクの冒険者たちが包囲攻撃を仕掛けているが、戦況は絶望的だった。 鋭い剣撃も、炎の魔法も、全てキメラの装甲に阻まれ、傷一つつけられない。 逆にキメラの獅子の爪が振るわれるたび、冒険者の盾が紙のように砕かれ、人が宙を舞う。
「ひぃっ、来るな!」
一人の剣士が転倒した。 そこへ、キメラの背後から「蛇の尾」が槍のように射出される。 回避不能。死を覚悟した剣士が顔を覆う。
ガギィィィンッ!!
だが、その牙が剣士の喉笛を食いちぎることはなかった。 蛇の頭は、剣士の目の前50センチの空中で、何かに阻まれたように不自然に静止していた。
「え……?」 「遅くなってすみません」
剣士の横に、いつの間にか一人の少年が立っていた。 レンだ。彼は空中に突き出した右手で、蛇の進行ルート上の空間座標を『固定』し、絶対防御の盾を作り出していた。
「さがっていてください。ここからは僕が引き受けます」
レンはそう言うと、リュックから数本の「鉄杭」を取り出し、空中に放り投げた。
「ギャウッ!?」
獲物を邪魔されたキメラが、三つの頭を一斉にレンに向け、殺気を集中させる。 獅子の咆哮と共に、数トンの巨体がレンに向かって突進を開始した。 地面を揺らす轟音。戦車のような破壊力。
だが、レンは動かない。 ただ、冷静に戦場全体を「定義」していく。
「――『固定』」
レンが指を鳴らした瞬間。 ドガガガッ!! 猛スピードで走っていたキメラの前足が、突然地面にへばりついたように止まった。 レンが、キメラの足の裏と地面の接地面を『固定』したのだ。
「グギャッ!?」
慣性の法則は無慈悲だ。 足だけを止められたキメラは、つんのめる形で盛大に転倒し、顔面から地面に激突した。 地響きと共に砂埃が舞う。
「まずは足止めだ」
レンは空中に『固定』しておいた鉄杭を足場にして駆け上がり、キメラの頭上を取った。 起き上がろうともがくキメラ。 山羊の口から炎のブレスが放たれ、蛇の尾が鞭のように襲いかかる。
「無駄だ」
レンは空中で身をひねりながら、さらに鉄杭を投擲する。 狙うのは敵の体ではない。「敵の動きを阻害する空間」だ。
カカンッ! カカンッ!
蛇の尾が振り回される軌道上に、鉄杭が『固定』される。 尾はそれらの障害物に絡まり、自ら結び目を作るように動きを封じられた。 ブレスも、レンの目の前に展開された空気の壁によって霧散する。
「す、すげえ……」 「あのでかい図体を、子供ひとりで手玉に取ってやがる……」
周りの冒険者たちが呆然と見守る中、レンはキメラの背中――最も硬い甲羅の上に着地した。
「グルルゥ……ッ!」
キメラは背中の異物を振り落とそうと暴れるが、足が地面に縫い付けられているため動けない。 レンは甲殻をコンコンと足で叩いた。
「確かに硬いな。僕の剣じゃ傷もつかない」
物理攻撃無効。魔法耐性も高い。 通常の攻略法なら、ここで詰みだ。 だが、レンの『固定』は物理法則への干渉権限。 外側が硬いのなら、中身を弄ればいい。
レンは甲羅の上に膝をつき、掌をピタリと当てた。 イメージするのは、分厚い装甲のさらに奥。 生命の根源。ドクドクと脈打つ、心臓部。
「生物である以上、血液の循環は止められない。……そこが弱点だ」
レンの瞳が鋭く細められる。 魔力を集中させる。対象は座標指定。 キメラの体内、心臓のポンプ機能、その弁の動きを――
「――『心臓固定』」
ドクン。
キメラの動きが、不自然に跳ねた。 直後。
「ガ……ッ、ア……?」
三つの頭が同時に白目を剥き、口から泡を吹いた。 外傷はゼロ。 だが、体内では心臓が停止し、行き場を失った血液が血管を破裂させていた。 脳への血流が止まり、意識が断絶する。 どんなに硬い鎧を着ていても、中身が死ねばただの肉塊だ。
ズゥゥゥゥン……。
山のような巨体が、ゆっくりと脱力して地面に沈んだ。 完全なる沈黙。
レンは動かなくなったキメラの背中の上で立ち上がり、ふぅ、と息を吐いた。 そして、周囲で石像のように固まっている冒険者たちに声をかけた。
「終わりましたよ。解体、手伝ってもらえますか?」
その瞬間、街道に爆発的な歓声が沸き起こった。
「うおおおおおおおおッ!!」 「やった! やりやがった!!」 「英雄だ! 英雄がいたぞ!!」
誰もが彼を称え、駆け寄ってくる。 その中心で、レンは少し困ったように笑っていた。 もう誰も、彼を「荷物持ち」とは呼ばない。 この瞬間、レンは名実ともに、この街の英雄となったのだった。




