噂の『見えない壁』使い
数日後。レンは薬草採取のクエストで、再び森の奥深くへと足を踏み入れていた。 Fランクの基本業務だが、今のレンにとってはピクニックのようなものだ。
「……ここ、テストに出るぞ」
レンは独り言を呟きながら、足元の空間に魔力を流す。 空中に見えない足場を作り、それを蹴って木の上へと飛び上がる。高所から周囲を見渡す索敵だ。 これも『固定』スキルの応用訓練の一環である。
その時だった。 風に乗って、焦ったような怒声と、金属がぶつかり合う激しい音が聞こえてきた。
「……戦闘音? しかも、かなり近い」
レンは木々を飛び移り、音の発生源へと急行した。 視界が開けた先には、3人組の冒険者パーティが、一体の巨大な魔物に追い詰められている光景があった。
「嘘だろ!? なんでこんな所に『ハイ・オーク』がいるんだよ!」 「盾が保たない! 魔法まだか!?」 「だ、ダメ! 詠唱する暇がないわ!」
相手は身長2メートル後半、全身筋肉の鎧をまとった豚面の亜人――ハイ・オークだ。 推定ランクはD上位からCランク相当。ゴブリンとは比較にならない怪力を持つ。 対する冒険者たちは、装備を見る限りDランクパーティだろう。だが、前衛の盾がひしゃげ、既に満身創痍の状態だった。
「ブモォォォォッ!!」
ハイ・オークが巨大な戦斧を振り上げる。 狙いは、恐怖で足がすくんでいる後衛の女性魔術師だ。 前衛の剣士が叫ぶが、間に合わない。
「しまっ――」
死を予感させ、魔術師が目を閉じた瞬間。 レンは木の上から飛び降りた。
ドォォォォォォンッ!!
強烈な衝撃音が森に響く。 だが、それは肉が潰れる音ではなかった。 魔術師が恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景があった。
自分とオークの間に、一人の小柄な少年が立っていたのだ。 少年は片手を軽く前にかざしているだけ。 それなのに、ハイ・オークの全体重を乗せた戦斧の一撃が、少年の掌から数十センチ離れた空中で「ピタリ」と止まっていた。
「え……?」
魔術師の声が漏れる。 ハイ・オークも訳がわからないといった様子で、何度も斧を押し込もうとする。 だが、そこに見えない鋼鉄の壁があるかのように、斧はミリ単位たりとも進まない。
「すごい怪力だな。まともに受けたらペチャンコだ」
レンは涼しい顔で感想を述べた。 反動すらない。なぜなら、レンが止めているのは斧ではなく、斧が触れた「空間の座標」そのものだからだ。 この世界で最も硬い盾。それが『空間固定』だ。
「さて、と」
レンは固定を解除すると同時に、懐から鉄杭を引き抜いた。 相手の体勢が前のめりに崩れる。
「隙あり」
レンはすれ違いざまに、ハイ・オークの膝関節の裏側に杭を突き刺し、そのまま空間に『固定』した。
「ブギッ!?」
悲鳴が上がる。 膝裏にある杭が空中に固定されたことで、オークの足は強制的に地面から浮いた状態でロックされた。 片足を封じられ、バランスを崩して倒れ込む巨体。
「とどめだ」
レンは無防備になった首筋に飛び乗り、ショートソードを一閃させた。 鮮血が舞い、巨獣の咆哮が断末魔へと変わる。 Dランクパーティが手も足も出なかった強敵を、レンは登場からわずか十秒足らずで沈めてしまった。
静寂が戻った森の中で、レンは剣の血糊を振るい、呆然としている3人に振り返った。
「怪我はありませんか?」 「あ、ああ……助かった……」
リーダーらしき剣士が、震える声で答える。 彼はレンの胸元で揺れる「Fランク」のタグと、倒されたハイ・オークを交互に見て、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「君は……一体、何者なんだ?」 「ただのFランク冒険者ですよ。通りすがりの」
レンはそう言って、ハイ・オークの素材には手も付けず(討伐権は彼らに譲るつもりで)、軽く手を振ってその場を去ろうとした。
「ま、待ってくれ! 名前だけでも!」 「……レンです」
短く名乗り、レンは森の奥へと消えていった。 残された3人は、しばらくその場から動けなかった。
「見たかよ、今の……」 「ああ。オークの斧を、素手……いや、魔法で受け止めたのか?」 「『見えない壁』が見えたわ。……あの強さでFランクなんて、信じられない」
◇
その日の夕方。 ギルドの酒場は、ある噂話で持ちきりになっていた。
「おい聞いたか? 『鋼鉄の斧』の連中が、ハイ・オークに襲われたところを新人に助けられたらしいぞ」 「なんでも、『見えない壁』で攻撃を防いで、一瞬で首を狩ったとか」 「名前はレン……って、あの『暁の牙』の荷物持ちか!?」 「あいつ、念動力だけじゃなくて防御魔法も使えるのかよ……」
噂には尾ひれがつき、「レンは実は高位の魔術師だ」「いや、精霊使いだ」と勝手な憶測が飛び交っていた。 カウンターの隅で食事をしていたレンは、居心地悪そうにスープをすする。
(なんか、どんどん話が大きくなってるような……)




