日程と行事
皇宮に戻り、また皇太子妃教育の日々が始まった。そして婚約披露の正式な日程も決まった。イズリーシュが自らメリッサの部屋までやってきてそれを教えてくれた。
「あと約三か月後の春先月に行おうと思うんだ。陽気もいいだろうし、色々外での催しも予定が立てやすいだろうから」
「はい」
皇族の婚約披露ともなれば、三日ほどは国家行事として組まれ、市民の間でもお祭り気分が高揚して経済は回る。国家行事ともなれば、王都全体での催しごとも増えるだろうし、市も立つに違いない。であれば、やはり春先月か、春中月の頃がいいのだろう、ということはメリッサにもわかった。
イズリーシュの言葉を受けてリッチェが書類を確認しながら予定を述べる。
「まずは、皇族方での内々の婚約披露が行われます。皇帝、皇后両陛下との顔合わせの正餐会、その後、皇族方との晩餐会。高位貴族へのお披露目会を経て、正式な婚約披露行事。皇宮でのすべての儀式が終わりましたら、皇宮前広場におきましての市民へのお披露目。その後王都中央大通りでの披露パレード。それが済みましたら、各同盟国、属国代表を交えた披露式典。最後に皇宮大庭園にて、全貴族参加の庭園披露行事。このような流れとなります」
婚約だけでこの行事数‥と考えて少しメリッサは気が重くなった。メリッサが知る限り、皇族の大きな行事は一市民としても経験していないので、どのようなものなのかが全くわからない。これは、いざ成婚ともなればどれだけの行事が詰め込まれるのだろうか。
そのメリッサの不安を読み取ったのか、イズリーシュが苦笑しながら応えた。
「うん、大変だと思うけど、これだけ大きな行事になればいろいろなところに影響が出るからね。このところ皇族関係の行事も少なくて、市民も祭り事に飢えてるだろうしここぞとばかりに楽しませてあげたいんだよ」
「はい‥」
イズリーシュはふふっと笑った。げんなりしている事がメリッサの表情に表れていたのかもしれない。そう思ってメリッサはさりげなく口元を引き締めた。イズリーシュは、そのようなメリッサの反応をかわいらしく思い、笑いながら言った。
「成婚の行事だと‥婚約の行事に、同盟国属国以外の近隣諸国の大使を招いての晩餐会、軍部、有力商人それぞれとの昼餐会、あと王都内のパレードが倍の長さになるのと広場での挨拶にメリッサの言葉が加わる、くらいかな?」
成婚の際には自分も挨拶をせねばならない、と聞いてメリッサは思わず喉をごくりと鳴らした。ピン、と背筋が伸びたまま固まってしまったメリッサに、カリーナが優しく声をかける。
「まだ市民はメリッサ様の事を存じ上げませんが、平民からの皇太子妃ということは王都市民にいい意味での衝撃を与えると思います。その分、注目度も高まることが予想されます。婚約披露の際の市民の反応を見ながら、挨拶の言葉など考えられれば良いかと存じます‥メリッサ様、決して悪いことばかりではございませんよ」
安心させるようなカリーナの言葉に、メリッサは表情を硬くしたままこくりと頷いた。イズリーシュも身体を前のめりにしてメリッサの目を見つめてくる。
「困ったことがあれば、いつでも私を頼って下さい。私たち二人の事ですから」
「ありがとうございます」
「この調子で行けば、成婚は婚約披露の一年後の春中月になる見通しだ。まだ時間はありますからね、メリッサ」
「はい」
このところの皇太子妃教育は順調に進んでいる。もうすぐ、メリッサと同じ年頃の若い貴族たちを招きごく内輪の茶話会を開催して、実践的なマナーなども学ぶことになっている。先日、久しぶりに面会した母と義姉から「貴族のお嬢さんとかに意地悪されたら‥こないだの怪我の事もあるし心配だよ」と言われていた。義姉は大きな商会の娘であったので、厄介な貴族には心当たりがあるらしい。
その時少しだけ同席したイズリーシュが、「私が責任をもってお嬢さんをお守り致します」と言ってくれたので、ようやく二人は安心して帰っていったのだった。
「あとはダンスですね。こればかりは殿下にもご協力いただきませんと」
「わかってる。出来るだけ時間を取るよ。どうしても私の時間が取れない時は、私と似た背格好のパートナーを手配するから」
カリーナ、リッチェ、ソルンなどの侍従侍女たちがてきぱきと予定を決めていく。期限が切られたことで、メリッサはようやく実感が湧いてきだした。
「メリッサ、少し‥庭を歩かないか?」
急にそう言い出したイズリーシュに、侍従侍女たちは目を丸くした。メリッサは自分のやるべきことを頭の中で数えていたのでイズリーシュの言葉が耳に入っていない。ササッと近寄ってきたキルウェに
「メリッサ様イズリーシュ様が散策を提案されておられますっ」
と囁かれ、弾かれたようにイズリーシュに向き直った。
「はいっ‥はい?」
イズリーシュは慌てたメリッサを咎めることもせず、ニコッと笑ってもう一度言った。
「一緒に、少し庭園を散歩しないか?」
「あ、はい」
言われてメリッサは勢いよく立ち上がった。「ンンッ」という咳払いがカリーナの方から聞こえる。しまった、もっとゆっくりの所作にすべきだった、と身体が固まったが、もう今更だ。カリーナに少し会釈をして、それでもゆっくりとイズリーシュの傍に寄った。イズリーシュは右手を差し出して「行こう」と言いながらメリッサの手を取った。
もうすぐ夕刻、という時間で、日も傾きつつある。寒さが少し増す時間帯で、メリッサは思わず肩を震わせた。
「ああ、ごめん。もう少し厚い外套の方がよかったな。これをかけるといい」
イズリーシュが自分のコートをメリッサの肩にかけてくれた。
「いえ、殿下がお寒くなってしまいます」
「下が結構厚手のシャツだから、気にしないで。そんなに長くはいないし」
護衛騎士たちは二人から五メートルほど離れたところで控えている。イズリーシュは小さな池のほとりで立ち止まった。白いカランの花が少しだけ咲いて水面に浮かんでいる。
「メリッサ」
そう呼びかけながら、イズリーシュはポケットから何かを取り出した。紐、のようなものに見える。
「はい‥?」
そしてその紐のようなものを、メリッサの右手にあてた。それは、暗紅色と金色の紐で編まれた飾り紐だった。とはいえ、編み込みが甘かったり、少し玉になって盛り上がったりしていていびつなものだ。
「メリッサ、ササライの家でも言ったけど‥」
「はい」
真剣な表情で手を取ったまま、瞳をじっと見つめてくるイズリーシュに、メリッサはどきどきした。この人はいつも、私の目をしっかりと見て話をしてくれる。それは嬉しいことではあったが、まだ恥ずかしい気持ちの方が強かった。だが、イズリーシュが真剣な様子だったので、恥ずかしさをこらえて一生懸命目を逸らさないようにした。
「私は‥身勝手なきっかけからだったけど、メリッサの事を妻にしたい、と思っている。あなたの事が好きだし、愛おしいと思う。‥ササライに対して‥初めて嫉妬めいた感情も持ったし‥」
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