その翌日 その2
左腕に菫が抱き着いたまま、という状態を維持して(させられて、が正しいのだが)車に乗り込み、光は自宅へと向かってくれと専任の運転手に告げた。
「総理、本当にお疲れさまでした。300年にもわたる総理としての国のかじ取りを続けられた……私にはその間の苦労、重圧などは想像もできません」
光の自宅に向かう途中、運転手はそう光に話しかけてきた。
「はは、まあそれでもやっと総理の椅子から降りることが出来たよ。今は人も育ち、後を託せるようになった。いい加減、老兵は去らねばならぬと思い続けてやっと実行できただけだがな」
光の言葉に、運転手は「老兵などと言う事はないでしょう」と返事を返し、菫はただ静かに光の腕に抱き着きを継続している。
「私の周囲でも、総理が椅子から降りられるというニュースに大騒ぎでしたよ。その、正直に申し上げて、総理は生涯総理であり続けると私も周囲も疑いを持たなかったので」
運転手の言葉に、光はやれやれと思うしかなかった。陛下だけでなく、周囲からもそうみられていたとは……だが、それも仕方がない。300年以上総理として国のかじ取りをし続ければ、命尽きるその時までずっとその場にとどまると考えられても無理はない。
(本当なら、あと50年は早く総理を降りたかったのだがな……やっておくべきことがすべて整うまでに予想以上の時間がかかってしまったな)
だが、その分先に逝った戦友達に顔向けは十分にできる結果と未来を作ることが出来たと光は思う。彼等の命が無駄死にではなかったことは、証明できただろうと。
「まあ、私は今後は新しい総理や大臣達の相談役とガーディアンズの一員として戦い続ける形になる。完全な隠居生活とはならないさ……まだまだ働けるならば、働かないとな」
光のこの言葉を聞いた運転手は笑みを浮かべる。
「そうですか、光様がまだ政治の世界に身を置いてくださるのであれば安心できます。そろそろ光様のご自宅につきますよ」
光の自宅は新しく新築されていて、大きくなっていた。理由は言うまでもなく、フルーレ、フェルミア、沙耶との結婚である。流石に前の家では手狭になる事は間違いないので、新しい場所に大きな家を構えた。前の家は処理する予定だったのだが……周囲の住人がそんなもったいないことしないでください! と嘆願してきたので、藤堂総理が過ごした家として保存されている。
「ありがとう。これからも頼む」
家の前につき、車から降りるとそこには一人の男性が待っていた。彼こそがレスター、フルーレとの間に儲けた子供である。
「父上、お帰りなさいませ。こちらの準備は全て終わっております──そして、菫様の同行も母上の想定通りです。さ、こちらへ」
菫を伴ってきてしまった事がどういう問題を引き起こすのか、という点が光の不安だったのだが……レスターはむしろ菫が同行してくるのが当たり前だと言わんばかりの表情であった。全て予想されていたのかと思いつつ、家の中に入る。家の中で1番広い居間にレスターの先導で入ると、そこには妻と子供達が待っていた。
「あなた、長きにわたるお勤めお疲れさまでした」「本日は無事に仕事を務められたあなたの為に、腕を振るわせていただきました」「うむ、菫殿も楽にして欲しい。身内のみのささやかな宴ゆえにな」
フルーレ、フェルミア、沙耶の言葉に従い、光は用意されていた席に腰を下ろす。菫も抱き着いていた腕を放して、案内された席へと腰を下ろす。他の面々も、それを確認した後に腰を下ろす。
「それでは。父上の総理退任が無事に完了したことを祝って、乾杯!」
レスターの乾杯の音頭に皆が合わせ、最初の一杯を口にする。
「父様、本当にお疲れさまでした。300年以上も国のかじ取りを行い続けるなど、並々ならぬ苦労がおありだったでしょう……これからは休む時間を多く増やし、無理のない生活を送ってください」
フェルミアとの間に儲けた娘、アルミアの言葉に、光も笑みを浮かべながら「ああ、そうさせてもらうつもりだ」と返答を返す。
「そして、休まれた後は菫姉さんとお父さんの結婚式ですね。楽しみですわ」
なんて言葉を、沙耶との間に儲けた娘である琴音がさらっと言い放つ。この様子から、完全に菫と結婚する事は家族内で決定事項になっているなと光は改めて思った。前日までそんな雰囲気は一切出さなかったのに、とも思ったが。
「父上、一応申し上げておきます。父上が多忙な時期に、負担を増やさないためにこの話を伏せていただけです。それに、菫様との結婚はしておく方が良いと家族全員で納得した上での話ですので」
レスターの言葉に、光は話を聞く準備を心の中で整える。光の様子を確認したフルーレが口を開いた。
「私達はあの日、より国家間の結びつきを強めるために光様と結婚しました。それについては何の問題もありません……むしろ私達としても喜ばしい事でしたので。そして子供達も授かり、幸せな日々を送っていたのですが一つだけ懸念点がありました。光様が日本皇国の人と結婚しておらず、子を成していない事です」
フルーレの話の続きを、フェルミアが引き継ぐ。
「光様はお嫌でしょうが、周囲から見たあなたは紛れもなく英雄と呼ばれる人物です。日本皇国の歴史を文字通り大きく変えた人物。運命を蹴り飛ばした人物。神々の試練に打ち勝った人物。表現方法は数多に渡りますが──英雄であるという見方だけは間違いありません。そしてさらに私達と結婚し、子供も生まれました……ですが、それが口さがない人々に英雄の血を盗んだという声を上げる切っ掛けとなってしまっています」
フェルミアの言葉を、さらに沙耶が受け継いだ。
「そこで、日本皇国の人とも結婚してもらった方が良いとわらわ達は考えておった。が、ただの一般人と結婚してもダメじゃ。英雄の隣に立つに相応しい相手でないとな……しかし、そこに現れたのが菫嬢じゃ。更に彼女は政略的な結婚ではなく、自然と我らが旦那に惹かれ、恋をし、そして今ここに居る。わらわ達にとっても、彼女と手を取り合うべき相手なのじゃ」
と、妻3人の話を聞いて光もなるほど、と顎を撫でる。そう言う言い分が存在する以上、無視する事は出来ない。それに、妻達に対する罵声や暴言など許せるはずもない。しかし、だからと言って自分が力を振るえばどうなるか分からない。自分にはもう立場がある、そんな立場の人間が腕を振るえば、大波となってあまりにも多くの影響が出る。
が、ここで菫を妻として迎えて子供を成せば事は比較的穏便に収まる可能性はそれなりにある。菫も乗り気だし……妻や子供達もすでに菫が新しい家族の一員として加わる事に何の抵抗も持ってい無い様だ──
「話は分かった。確かに、無視できる内容ではないな。その手の連中が過激になれば、どんな手を使ってくるか分かった物ではない……その手の連中を納得させるためにも必要、か」
やっと世の中が落ち着いてきたと思ったらこれだ。光は内心で悪態をついた……そんな事に使うエネルギーがあるなら、もっと他に回せと言いたくなる。渋面を浮かべた光に、菫がそっと触れる。
「大義名分も手に入りましたし、これで私も光様の妻の一人ですね。明日、婚約発表をしましょう? 早い方がよろしいでしょうし」
菫の言葉に、光は頷いた。菫と夫婦になるのは複雑な感情が渦巻いているのだが、結婚しないという選択肢は消えた。将来の国の事を考えれば、揉め事の種は潰せるだけ潰しておきたい。翌日結婚する事を発表する事が決められる……難しい話はこれでお終いとなり後はのんびりとささやかな宴を皆で楽しむ。皆肝が据わっているので、それぐらいの気持ちの切り替えは容易く出来るのである。
翌日の光と菫の婚約発表で、狙い通り血を盗んだと吠えていた連中に対する一定の効果が確認できた。もちろんそれでも勝手な妄想や思い込みからくる暴言を叫び続ける連中は──いつしかいなくなっていた。居なくなった理由は……お分かりな方はお分かりになるだろう。こうして光には新しい家族が増えてしまったのである──総理の椅子から降りても、政治がらみの話からは逃れられないと言う事なのだろう。




