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【選択式】生まれる前に、逃げなさい  作者: みき


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第8話 皮膚の下

「見る。説明してから触って」


 言うと、ユノはうなずいた。いつものように次の作業へ進まず、ナギの手の下へ柔らかい布を敷いた。

 手首の内側に、薄い線があった。ユノがそこへ工具を当てる。痛みより先に、張りついていた何かが離れる感覚がした。


「いま、外装の固定を外しています。中には触れないでください」


 皮膚に見えていた部分が、細く開いた。

 中には小さな関節と、束ねられた線が収まっていた。血は出なかった。代わりに透明な液が一滴、布へ落ちた。

 ナギは自分の左手で、診察台の端を握った。中身を見ても、痛さはなくならなかった。怖いと思っているのがどこなのか、急に分からなくなった。


「これで、どうして痛いの」

「損傷を知らせる感覚系があります」

「知ってたら、痛くなくなる?」


 ユノは動かしていた指を止めた。


「痛覚の原因を知っても、現在の感覚はなくなりません」


 ナギはうなずいた。説明が欲しくて聞いたはずなのに、その答えを聞いたら、少しだけ泣きたくなった。

 ユノが関節の位置を戻すと、薬指がゆっくり伸びた。自分が動かそうと思うより先に動いたことが、いちばん怖かった。


「食べたパンは、どこに行くの」

「対面生活のための摂食機構があります。取り込んだ物は回収容器へ移されます」

「おいしいって思ったのは?」

「味と匂いを判別する感覚があります」


 何を聞いても、仕組みの説明が返ってきた。ナギは途中で質問をやめた。仕組みを一つずつ聞くうちに、好きだった物まで、誰かの部品になってしまいそうだった。

 けれど、パンの端を丸める癖も、部品として入れられたものなのだろうか。


「わたし、どのくらい生きてるの」


 ユノは枕元の端末を見た。


「この器体の初回起動から、九十三日です」


 ナギは床の靴を見た。少しだけすり減った左のかかと。九十三日もあれば、靴はすり減る。覚えていなくても、ここを歩いた日はあった。

 ユノは外装を閉じ、布の上の液を拭き取った。跡は、手首の薄い線に戻った。


「握れますか」


 ナギはゆっくり指を曲げた。五本とも動いた。指先が手のひらに触れると、ほっとした。中身を見たあとでも、その気持ちは変わらなかった。

 ユノは使用済みの布を捨てようとし、一度止まった。


「処置記録の備考欄に、何か残しますか」

「誰が読むの」

「次の担当者です」


 ナギは少し考えた。


「急につかまれるのは嫌だって。触る前に、言ってほしい」


 ユノは端末へ文字を入力した。短い処置記録の下に、ナギの言った文章が、そのまま現れた。要約も番号もつかなかった。


 扉の向こうで、機械が再び鳴った。ユノは『移送前の動作確認を継続中』と答えたあと、室内の清掃口を開けた。

 八号が入ってきた。灰色の容器には、使用済みの紙と、割れたプラスチックが載っている。ユノはそれらを確認するふりをして、奥の小さな扉を開いた。


「廃棄物の搬送経路です。いまは監視の対象が、正面通路に集中しています」


 ナギはユノを見上げた。


「逃げていいの?」

「私は、清掃経路を案内しています」


 ユノの声は変わらなかった。それでもナギは、その言い方の隙間に入れてもらっているのだと分かった。

 診察台から降りると、靴の中で足の指が動いた。右手も動く。ナギは一つずつ確かめ、八号のあとへ続いた。

 扉が閉まる直前、ユノが言った。


「次に処置が必要になったら、先に説明します」


 その約束だけは、覚えていたいと思った。

【移動】

・八号と搬送通路を進む。→第10話へ移動


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