第6話 七回目のはじめまして
観察室に入ると、ナギは机を扉の前へ押した。車輪がついていて、思ったより簡単に動いた。止め具を踏んでも、少しずつずれる。それでも、何もないよりはましだった。
向かいの壁は大きなガラスだった。こちらからは、先ほどの居間が見える。あの部屋で食事をする人は、ずっと見られていたのだ。
画面に触れると、一覧が開いた。参加票の番号と同じ『NG-04』が並んでいる。ナギは一番上の映像を選んだ。
食卓に、自分が座っていた。
画面のナギは、いま着ている病衣ではなく、黄色いカーディガンを羽織っている。髪を耳の後ろで留め、膝の上に両手をそろえていた。
玄関が開くと、立ち上がった。
「はじめまして。ナギです」
入ってきた女の人は、薄い灰色の服を着ていた。右耳のあたりを何度も触り、笑おうとしてから、口を閉じた。
「綾瀬澪です。今日は、よろしくお願いします」
二人は向かい合って座った。澪は食卓の魚の皿を見て、少し笑った。
「それ、私も小さいころ使ってた。同じ物、まだ売ってるんだね」
「好きなの?」
「好きだった。落とすとすごく叱られたから、最後には少し苦手になったけど」
画面のナギが皿を両手で持ち、食卓の真ん中へ移した。落ちない位置だった。澪はその動作を見て、黙ってしまった。
ナギも、画面の前で黙った。そんなことをした記憶はない。それなのに、次に何を言うか分かる気がした。
「ここなら大丈夫」
画面の中の自分が、そう言った。
廊下で足音がした。ナギは次の映像を開いた。三日後の日付だった。
同じ居間、同じ食卓。澪の服だけが変わっている。画面のナギは立ち上がり、前と同じように名乗った。
「はじめまして。ナギです」
澪は、立ったままナギを見ていた。
「昨日じゃなくて、三日前。会ったんだけど、覚えてない?」
画面の端から、白衣を着た男が入ってきた。顔は半分しか映らない。澪の椅子を引き、座るよう勧めた。
「条件をそろえるためです。初対面の反応を複数回取らないと、比較できませんから」
「この子には、どう説明しているんですか」
「負担になる記憶は残りません。前にもお話ししました」
男は穏やかな声だった。澪は何か言いかけ、言わずに座った。
ナギは再生を止めた。止めた画面の中で、自分だけが笑っている。
続く映像を、冒頭だけ順に開いた。同じ挨拶が、五回、六回と続いた。七回目には、澪は椅子に座らなかった。
「今日は、もういいです。この子の記録を消してください。私の検査も、ここでやめます」
ナギの指が止まった。
男の声がする。
「落ち着いてください。そういう判断は、いまの精神状態では」
「私がやめると言ったら、やめられる契約だったはずです。聞こえていますよね、牧瀬先生」
画面のナギが、澪の袖を引いた。澪はその手を見たが、つかみ返さなかった。
そこで映像が切れた。ファイルの説明欄には、『母親候補による受入拒否』とだけ書かれていた。
消して、という言葉が、まだ耳の中に残っている。
扉が押され、机の車輪が滑った。
「点検の時間です。画面から離れてください」
ナギは飛びのいた。大きな機械の腕が、扉の隙間へ入り込んでいる。机が床をこする音と重なって、画面から短い音声が流れた。
映像のあとに、別の録音がつながっていた。
「……今の発言は、同意撤回として扱ってください。あの子を罰してくれなんて、言っていません」
澪の声だった。
ナギは振り返ったが、画面はもう暗くなっていた。壁の照明まで消え、非常口の緑だけが残った。
全部を聞けたわけではなかった。何が消され、何が残ったのか、順番に考える時間もなかった。
ナギは奥の扉を押して、作業用通路へ走った。灰色の八号が、その先で止まっている。
八号の横を抜けたところで、ユノの青い目が見えた。ナギは、助けてと言おうとして、声を飲み込んだ。
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