第4話 家族の練習
黄色い線の先には、一軒の家の玄関があった。
白い壁に郵便受けがつき、小さな表札に『綾瀬』と書かれている。研究所の廊下が続いているはずの場所で、床材だけが木目に変わっていた。
ナギは郵便受けを開けた。中には、宛名のない白い封筒が一枚入っていた。紙を引き出すと、『家族体験・第七回』という文字と、その下の表が見えた。
十七時三十分 帰宅
十八時 食事
十八時三十分 課題提示
十九時 評価
食事の横には、『好物を一品抜く』と書かれていた。
ナギは首をかしげた。献立を間違えないための注意書きにしては、妙だった。その下には、『保護者が疲労を訴えた場合の反応を見る』という一行が続いている。
家族というのは、こういう予定を立てて会うものなのだろうか。
玄関の読み取り機へ近づくと、腕の識別帯が小さく鳴った。鍵が開き、温かい空気が流れてくる。廊下の冷たさに慣れた足には、床暖房が少し熱かった。
靴箱の上に、紺色の運動靴が一足並んでいた。かかとにナギと書かれている。履くと、ぴったり合った。左の靴底だけ、外側が少しすり減っていた。
誰かが履いたのだ。自分が履いたのかもしれない。新品でないことが、うれしくて怖かった。
居間には三人分の食器が置かれていた。大きな皿二枚と、少し小さな皿が一枚。小さな皿には、青い魚が描いてある。
ナギは無意識にその席へ向かい、椅子を引いた。引いた途端、天井から明るい女の声がした。
「おかえりなさい。今日は、どんな一日でしたか」
返事を待つ間があった。
ナギは椅子の背を握ったまま、天井を見上げた。
「何も覚えてない」
沈黙のあとで、短い音楽が鳴った。
「もう少し、詳しくお話ししてみましょう」
言い直せば正解になる質問なのだと分かった。ナギは椅子を押し戻した。皿の魚の目が、照明を反射して白く光った。
食卓の端には、名札を挟むための小さな台があった。父、母、子。父の札の裏側には、何度も紙を差し替えた跡がある。
壁に掛かった家族写真にも、顔がなかった。大人二人の顔の部分が、きれいな灰色で塗られていた。真ん中には、ナギによく似た少女が立っている。
写真の少女は、ナギより上手に笑っていた。
物音がして、ナギは振り返った。玄関の外を、八号が通り過ぎるところだった。前面の表示が『床面清掃』から『回収』に変わっている。
「待って。ほかに誰かいないの?」
八号は止まったが、答えなかった。その背後で、防火扉がゆっくり下り始めた。天井から、低い警告音が響く。
「東棟一般職員の退避確認。家族体験区画を順次閉鎖します」
ナギは玄関へ戻ろうとした。けれど、下りてくる扉の向こうで、人影のようなものが横切った。白い服を着た、ユノより背の高い機械だった。両腕の先に、手の代わりの丸い器具がついている。
その機械は、ナギの識別帯に光を当てた。
「未登録候補体を確認。現在位置を保持してください」
聞きたくない言葉だった。ナギは家の中へ後ずさり、玄関の扉を閉めた。外で八号の車輪がきしみ、大きな機械の足音が止まった。
扉に鍵をかけようとして、内側に鍵がないことに気づいた。
居間の奥には二つの通路があった。一つは『生活記録室』、もう一つは『観察室』。どちらも非常口を示す緑の小さな印がついている。
玄関の読み取り機が鳴った。大きな機械が、開けようとしている。
ナギは食卓に戻り、そこにあった薄いカードを取った。家族体験の参加票だった。自分の顔写真と、『NG-04』の文字。説明は分からなくても、ここで自分を示す物には違いなかった。
生活記録室には、色鉛筆で描かれた絵が何枚も見える。観察室では、一台だけ画面が光っている。
ナギはカードをポケットに押し込み、どちらかへ走るために息を吸った。
【選択】
・生活記録室に入り、家族の絵を調べる。→第5話へ移動
・観察室に入り、残っている映像を見る。→第6話へ移動




