第21話 残すものを選ぶ
「その契約は、しない」
ナギが言うと、征一は口を閉じた。少しの間、誰も動かなかった。断ればすぐに腕をつかまれると思っていたので、その静けさがかえって怖かった。
「分かった。ここから先の損害まで、私が引き受けるとは思わないことだ」
征一は端末を閉じた。廊下の向こうの回収機が動き、中央監査室の扉の前へ立つ。
律子は自分の職員証を掲げた。
「原本保全の開始通知は受理されている。いま記録を壊せば、その操作も外へ残る。入室を拒否するなら、理由を記録して」
機械は動かなかった。征一が短い指示を出すと、扉の片側だけが開いた。
「入ればいい。ただし、私も立ち会う」
監査室には、低い台がいくつも並んでいた。処置室に似ていたが、拘束用の器具は畳まれている。澪は一番手前の台を指し、ナギへ説明した。
「あなたの背中にある接続口から、封印された操作記録を読みます。生活の記憶を初期化する操作ではありません。嫌になったら、その時点で止めます」
ナギは、説明を最後まで聞いてから座った。ユノが病衣の背の留め具を一つ外し、上から布をかけた。冷たい端子が触れる前に、どこへ触るかを告げた。
ナギは手の中に、青いボタンを持った。これを落とさずにいたいと思った。
画面に、日時と署名が並び始めた。牧瀬征一、牧瀬律子、綾瀬澪。ほかの職員の名もある。ナギが知らない日に、知らない理由で、いくつもの変更が行われていた。
昨日の記録には、消去を拒んだ発話が保存されていた。音声そのものではなく、発話を検出した時刻と、処置を続けた担当者の署名だった。
全部の昨日は戻らない。それでも、嫌だと言わなかったことにはできない。
外部監査の担当者が、画面に現れた。髪を後ろでまとめた女の人で、名乗ってから、全員の位置を確認した。
「二通りの保全ができます。一つは、研究の操作履歴と関係者の署名を受領し、保全開始の事実を外部の公開台帳へ載せる方法。もう一つは、記録の原本を封印したまま、非公開で引き取る方法です」
担当者は、公開する範囲を示した。診療記録や面談映像、ほかの子どもたちの個人情報は、そのまま公開されない。外へ出すのは、不正利用と消去操作を確認できる、絞った履歴だった。
「公開すると、施設側が保全の事実を否定しにくくなります。ただ、研究や関係者への注目は避けられません。非公開なら、その範囲を抑えられますが、原本の現物をこちらが受け取るまで、現場で守っていただく必要があります」
どちらにも、すぐに全部を解決する約束はなかった。
澪は、自分の資料について必要な開示へ同意した。律子も、自分の署名を残すことに同意した。ナギは二人に確認したあと、自分の履歴を見た。
「わたしの怖かった声を、みんなに聞かせることにはならない?」
「公開範囲には入れません。元の記録は証拠として保管します。後から利用範囲を変えるときにも、改めて確認します」
ナギは少し息を吐いた。誰かに信じてもらうために、自分の全部を見せなければいけないのだと思っていた。
征一が壁際で時計を見た。六時が近づいている。
ナギは、残したいものと、守りたいものを考えた。どちらの道でも、記録をなくさないために動かなければならなかった。
【選択】
・公開範囲を絞って履歴を外へ送り、保全の開始を公にする。→第23話へ移動
・公開は保留し、原本を封印したまま外部担当者へ引き渡す。→第24話へ移動




