第18話 夫のいる部屋
管制室の前で、律子は歩く速さを落とした。
膝が痛むのだと思ったが、扉の曇りガラスに男の影が見えたとき、違う理由もあるのだと分かった。律子は職員証を読み取り機へ当て、一度失敗してから、持ち直した。
「私が話している間、あなたは扉の近くにいて。中へ入るかどうかは、自分で決めていい」
ナギは入口に立った。律子は振り返らず、室内へ入った。
牧瀬征一は、机に座っていた。白衣の袖をまくり、腕時計を外している。机の隅に、冷めた飲み物のカップが二つあった。
「騒ぎを大きくしたな。部品を運び出すのに、職員を退避させる必要があったのか」
「中央通路を開けて。回収区画にいる子たちを出す」
「その言い方をやめろ。おまえまで区別がつかなくなったら、誰が現場を見る」
律子は机の向かいに立ったまま、書類を置いた。外部監査への申告書だった。最初の署名欄に、自分の名前がある。
征一は目を落とし、しばらく動かなかった。
「これにはおまえの承認も入っている」
「入れた」
「澪が求めれば、全部の責任を私が負うと言ったはずだ。おまえが仕事まで失う必要はない」
「私がしたことまで、あなたの判断で取り上げないで」
ナギは二人を交互に見た。長く一緒にいた人にしか分からない言葉が、会話の底を流れていた。
征一は椅子の背へ体を預けた。
「彼女とのことは、謝った。だが、胎児を失った原因が私だとは言えない。それまで、この書類に結びつけるつもりか」
「誰も結びつけていない。妊娠が終わったあとも、あの子を使った試験と販売準備を続けたことを書いている。あなたは、別の話を混ぜて逃げている」
征一の視線が、入口のナギへ向いた。
「ナギ。寒いだろう。中へ入って、椅子に座りなさい」
その声は、ユノより人間らしかった。だからこそ、言う通りにしたくなるのが嫌だった。
「ここでいい」
「無理をする必要はない。君の体温は、ちゃんと監視している」
「痛いことも、見てた?」
征一は一瞬だけ口を閉じた。
「不具合があったなら、担当者に確認する」
ナギは律子を見た。報告を読んだと言った人と、確認すると言う人が、同じ部屋にいる。その違いを、覚えておこうと思った。
律子は操作卓へ移った。自分の認証を入れ、回収区画から中央通路までの防火扉を順に指定する。征一が立ち上がり、手を伸ばした。
ナギは思わず一歩進んだ。律子が振り返る。
「止めるなら、監査記録にあなたの操作が残る。この端末は、もう外部への接続待機に入っている」
征一の手が止まった。殴られるのではないかと思っていたナギは、自分の肩に力が入っていたことに気づいた。
机の画面に、扉が開いたことを示す緑の線が増えた。
「警備は止められないぞ。出荷前の機体を持ち出すなら、外でも回収の対象になる」
「だから、正式に止める記録を作る」
律子は画面を閉じず、そのまま部屋を出た。ナギもあとへ続いた。廊下へ出た途端、律子が手すりにつかまった。膝よりも、息を整えるのに時間がかかっている。
「怖かった?」
ナギが聞くと、律子はうなずいた。
「ええ。長いこと、あの人に間違っていると言われると、自分のほうを調べていたから」
「わたしも、そうなるように作られた」
律子はナギの顔を見た。それから、目をそらさずに言った。
「それを使いやすいと評価したのは、私です」
中央通路に着くと、澪とユノが運搬台を押してきた。晴を含めて八人、反応のある子どもたちを連れ出したという。残る六人は元の状態へ戻せず、その記録と器体を保存指定にしたと、澪は短く説明した。
晴は黄色い髪留めを握っていた。
ナギが名前を聞こうとしたとき、背後で管制室の扉が開いた。征一が、ゆっくりこちらへ歩いてきた。
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