第17話 返事のない名前
澪が回収区画の鍵を開けると、古い空気が流れ出た。
寝台は十四あった。名前ではなく番号の書かれた札が、それぞれの足元に差してある。晴は入口で止まり、ナギの病衣の端をつかんだ。
澪は手近な寝台へ寄り、端末を開いた。操作する前に、横たわる子へ声をかける。
「綾瀬です。いまから状態を確認します。聞こえていたら、嫌なことは教えてください」
返事はなかった。数値がいくつか現れ、澪の顔が少しゆるんだ。続けて、別の寝台へ進む。
ナギは晴と一緒に、壁際の小さなロッカーを開けた。中には、返却されなかった持ち物が入っていた。片方だけの靴下、折り紙、裏に名前のない絵。どれを誰へ渡せばいいのか分からなかった。
「この髪留め、ミナのだよ」
晴が黄色い髪留めを取った。奥の寝台へ走りかけ、途中で止まる。
そこでは澪が、画面を消していた。
「起きる?」
晴が聞いた。澪は膝を折り、目の高さを合わせた。
「いま残っている記録からは、元のミナさんを動かせません。外装だけ直しても、同じ人として戻せるとは言えない」
「僕のこと、忘れただけ?」
澪は目を閉じ、それから首を振った。
「忘れた、とも違う。ここで消されたところを、私たちは持っていないの」
晴は髪留めを握ったまま、何も言わなかった。
ナギは寝台の札を読んだ。処分の承認欄に、複数の名前が並んでいる。その一つが澪だった。ナギが見ていることに気づいても、澪は紙を隠さなかった。
「自分が見なくても手順は進むと、思っていた」
それ以上の説明はしなかった。晴に聞かせるには、どんな説明も足りないと分かっているようだった。
最後まで確認して、反応があったのは晴を含めて八人だった。六人は、同じ状態へ戻せる見込みが立たなかった。澪は札を抜かず、その場で保存指定を入れた。終わったことにして、残っている物まで片づけるつもりはなかった。
ハチがロッカーから運んできた箱を、ナギは床へ置いた。
「名前が分からない物も、持っていっていい?」
「ええ。あとで確認できるように、入っていた棚の番号を残そう」
ナギは箱の側面へ番号を書いた。字を書いているあいだだけ、手が少し落ち着いた。何もできない場所にも、まだすることがあるのだと思った。
奥の少女が目を開けた。声を出そうとして、音が途切れる。澪が近づくと、少女は顔を背けた。
「触らないで」
澪の手が止まった。
「分かりました。移動の台を横につけます。自分で移れるか、見ていてもいいですか」
少女は、しばらくしてうなずいた。
ナギはそれを見た。やめると言ったことを、澪は一度守った。だから全部信じていいとは思わなかったが、一度守ったことまで、なかったことにしなくていい。
ユノが運搬台を押して入ってきた。正面通路の機械へ別の点検指示を出し、一時的に離れさせたという。澪と一緒に、動けない子を移していく。
起きた子たちは、外へ出られると聞いても喜ばなかった。行き先や、そこにいる大人のことを、一人ずつ確かめた。ナギには、その慎重さが分かった。
晴が黄色い髪留めを箱へ入れようとした。途中で止め、ポケットへしまう。
「これ、僕が預かっていていい?」
ナギはうなずいた。誰に許可を取ればいいかは分からない。それでも、誰の物だったかを知っている人が持つことには、意味があると思った。
廊下へ出る直前、澪が空の寝台を振り返った。
ナギは待たなかった。待って、慰める言葉を言う役には、いまはなりたくなかった。
澪は遅れて追いつき、運搬台の片側を押した。
中央通路の扉が開いた。向こうで律子が職員証を外している。さらに奥には、白衣を着た男が一人立っていた。
男は八人の子どもたちを見てから、最後にナギへ視線を移した。
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