第四章 納期という名の戦場
成田の夜風を切り裂き、黒塗りの公用車が急ブレーキの音とともに木下氏の私邸前に滑り込んだ。ドアが開くと同時に、私は八層のスカートを翻してアスファルトの上へと飛び出す。目の前では、超合金のバルキリー型アーマーをまとった我が国の機動レイヤー部隊と、超電磁パワードスーツを輝かせるアメリカの特殊工作員たちが、肉薄した白兵戦を繰り広げていた。重装甲同士がぶつかり合う金属音が、閑静な住宅街に不釣り合いな爆音となって響き渡る。「そこまでだ、電子渓谷の狗ども!」私は形状記憶チタン製の魔法のステッキを構え、木下邸の割れた二階の窓へと視線を走らせた。すでに工作員の一人が、意識を失った木下監督を肩に担ぎ、窓枠から飛び降りようとしていた。「無駄だ、首席交渉官!」背後から聞き覚えのある変調音声が響く。振り返ると、そこにはいつの間にか追尾してきたチャールズ大使。いや、暗黒卿の姿があった。彼はクロークをなびかせ、冷酷な電子音を鳴らす。
「木下の頭脳(人間資産)と、すでに我が国が確保した九十一パーセントの原画データがあれば、残りの九パーセントなどAIで瞬時に補完できる。日本のアニメ覇権は今夜、完全に終了するのだ!」「……補完、ですか」 私は傾いた胸のリボンにも気づかぬまま、フリルの袖から一枚のタブレットを取り出し、不敵に微笑んだ。「大使。先ほどデジタル庁の呪術班に命じて、流出データの中に昭和のセル傷やチリのノイズを一兆個混入させたと言いましたよね?」「それがどうした!そんなアナログなゴミデータ、我が国の超高性能AIのフィルタリングにかかれば数秒で消去」「消去できませんよ。なぜなら、木下監督の描く主線そのものが、その昭和のノイズを奇跡的なバランスで学習して成立している、超不規則な職人技だからです」私はステッキの先端を、工作員が抱える木下監督へと向けた。「我が国の最先端の作画アルゴリズムは、計算された美しさではない。人間の手ぶれや迷いという、ノイズそのものを芸術に昇華させた歪なシステムだ。それを無視してAIが無理に補完すれば、線の連続性がゲシュタルト崩壊を起こし、動画はまたたく間に自壊する。……ほら、御国のサーバーの演算ログを見てごらんなさい」暗黒卿のヘルメットの奥で、息を呑む気配がした。彼のホログラム端末に表示された流出原画は、AIの自動補完が走った瞬間、まるで生き物のように歪み、文字通りの作画崩壊を起こして奇怪な光の塵へと霧散していった。
「な、何だと……!? データが、自己崩壊している……!?」「木下監督の生み出す線画は、彼という人間がこの手でペンを握り、納期という極限の地獄の中で削り出した魂そのものだ。システム化された御国の電子渓谷には、一秒間二十四フレームに込められた執念の重さは再現できない!」私は一歩を踏み出し、ステッキを天高く掲げた。「我が国は、一歩も退かない。たとえ世界を敵に回そうとも、この線のクオリティと納期だけは死守してみせる!」




