第二章 電脳渓谷の逆襲
「……フシュー、フシュー。いいだろう、首席。今回は引き分けだ」暗黒卿のヘルメットから、負けを認める変調音声が絞り出された。チャールズ大使はホログラム端末を荒々しく消去すると、マントを引きずりながら、宇宙の機動歩兵たちを引き連れて第一極秘会談室を去っていった。
重厚な扉が閉まった瞬間、私は深く息を吐き出し、チーク材の卓上に両手を突いた。勝った。だが、これは一時的な防衛線に過ぎない。超大国がこのまま黙って引き下がるわけがないのだ。パドルランプが、再び狂ったように赤く明滅した。通信機に飛びつく。「首席! 大変です!」先ほど廊下で私の足元のリボンを映してくれた、青龍刀を持った部下の緊迫した声だった。「どうした。アメリカ側が早くも報復措置に出たか?」「いえ、実力行使です! たった今、デジタル庁の監視網からアラートが出ました。京都の老舗アニメスタジオ『スタジオ・レイヤーズ』の基幹サーバーに対し、メガ・クオーツ・バレー経由の超高密度分散型サイバーアタックが開始されました。目的は、現在制作中の極秘プロジェクト、国家機密指定アニメ『超時空神話』の、レイヤー分離状態の原画データの強奪です!」
私の背中に冷たい汗が流れた。原画データの強奪。それはアニメ貿易国における、国家資産の直接略奪を意味する。データがレイヤーごとに分解された状態で流出すれば、他国のAIに学習され、我が国独自の線の揺らぎや魂の作画のアルゴリズムが完全に模倣されてしまう。「それだけではありません! 同時刻、成田の第二チェックポイント周辺の防犯カメラに不審な動きが。……大使館付きの特殊工作員とみられる一団が、スタジオ・レイヤーズのチーフ作画監督である木下氏の私邸へ向かっています。物理的な人間資産の強制連行……つまり、誘拐です!」「……表の外交で折れたフリをして、裏で力技に出てくるとはな」
私はステッキを強く握りしめた。木下作画監督が連れて行かれ、原画データが電子渓谷に渡れば、日本の供給独占体制は崩壊する。そうなれば、今期の覇権アニメの五話以降をいくら差し止めたところで、我が国の外交カードは紙屑同然になる。「成田の機動レイヤー部隊をすぐに木下氏の私邸へ向かわせろ!モブ兵士の衣装ではなく、重装甲の戦闘メカ混成部隊の正装でだ。データ防衛はデジタル庁のサイバー呪術班に繋げ!」
私はピンクのフリルを激しくなびかせ、大理石の廊下を全力で走り出した。今度はブーツのリボンの傾きを気にしている余裕などなかった。「こちら首席交渉官。外務省直轄の迎撃班、これより現場へ直行する。……アメリカの暗黒卿に、我が国の納期の本当の恐ろしさを教えてやる」私は、立ち上がり八層で構成されたスカートをなびかせその場を後にした。




